ここはホロコーストの実態について翻訳するページです。私が訳したものばかりではなく、転載もあります。また、元々日本語で書かれた文章もあります。
原文:Die Auschwitz-Lüge(元ページが消えてしまったため、こちらで復元しました)
ティース・クリストファーセンが著したアウシュヴィッツでの体験談です。内容も大変勉強になるものですし、その序文を書いただけで1ダースも告訴を受けたローダー氏には涙します。
「殺人ガス輸送車」
Santiago Alvarez、Pierre Marais著「The Gas Vans」の107ページ目〜143ページ目翻訳。
原文のダウンロード・ページ:The Gas Vans
第二次世界大戦の戦中戦後に連合国によって広められた、ドイツによる「ディーゼル貨物車の排気ガスを車内に流し込み乗員の囚人を一酸化炭素でガス殺するガス殺車」というホロコースト神話の一角をなす伝説を検証した論文です。
現在翻訳中。
論点 | ディーゼル機関 | ガソリン機関 | 木炭ガス |
---|---|---|---|
証人・ソ連の遺体検死学者・残存文書がガス殺に使ったと主張しているもの | 〇 | ||
一酸化炭素 | ほぼ生成しない | 大量に生成する | 燃焼時に大量生成するが、車の動力に変換する際二酸化炭素に変わるため、車を動かしながらのガス殺は不可能(停車中の殺人は可能) |
煤煙・熱 | 熱く、刺激がある | 余りない | |
普及度 | 石油機関の場合、ドイツ含む欧州ではほぼ全てこれ | ソ連ではこれのみを使用していた | 石油が不足していたドイツではこの機関に順次換装されていった |
極めて優れていると感じる英語の動画(Auschwitz: the missing cyanide)を翻訳し、友人に動画化していただきました。
上はその補足です。
※以前はこの英語の動画はhttps://www.youtube.com/watch?v=wgrZXiOPkrMでアップロードされていましたが、アップロードしていたアカウントが凍結されてしまったため、私の方で再アップロードしております。
10年間その正誤が裁判で争われた英国の小冊子「Did Six Million Really Die?」の訳文です。
ハーバート・フーバー元大統領が著し、死後刊行された大著「裏切られた自由」は様々な信頼できる出典を引用している歴史修正の大著であり、ここで今後議論に使えそうな重要な箇所に感じたところを引用します。
ハーバート・フーバー元大統領が著した大著「裏切られた自由」に、FDRが欧州の戦争に英ソ側で参戦する為に吐いた大嘘が載っていたので、引用しました。
イラク戦争に関するパウエルの大嘘(https://twitter.com/RusEmbassyJ/status/985132907898392576)も併せ、米国は戦争の為に嘘を吐く国だ、という重大な証拠に挙げられると思います。
「米国の挑発によって日本が宣戦布告した」という歴史認識は結構広まっていると感じますが、その認識は実のところ正しく、「米国は実際に日本に宣戦布告させようとしていた」証拠は1946年の米国の政府機関によって既に提出されていました、という引用です。
第二次世界大戦中、早期から米国大統領FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)が無条件降伏に執着していた話の引用です。
この話を知らない方はちょくちょく見るのですが、概要の説明としてウィキペディアを紹介するのもなんなので、本書から書き写しました。
『第二次世界大戦後、米国が中華民国に共産勢力を政権に入れるよう強要していた証拠』
戦後、米国が中華民国に何を強要していたか知らない方が多いように感じたので、第二次世界大戦後、米国が中華民国に共産勢力を政権に入れるよう強要していた証拠を提示します。
ニュー・ヨーク・タイムズの戦時報道の翻訳です。
戦時中である1943年8月8日にニュー・ヨーク・タイムズで報道された、「トレブリンカで水蒸気殺が行われている」という報道です。
上の『「ヒトラーがやって来る!」キャンペーンの開始』と併せて、当時の連合諸国では宣伝戦が堂々と広められていた(ソ連は言わずもがなで、こちらの報道は英米で広められたため)ことの好例となりましょう。
『ジョージ・S・パットン将軍はその連合国の戦争指導者たちへの批判を黙らせる為に暗殺されたと新しく発見された本が主張している』
テレグラフ紙の記事「General George S. Patton was assassinated to silence his criticism of allied war leaders claims new book」の和訳になります。
実行犯1人(OSSののDouglas Bazata)日誌も自供もあれば、他の例を顧みても正史でもこの話の内容が正史になっているのではないかと思うのですが、どうなのでしょうね。
海外の秀逸な見直し派の記事を翻訳してくださっていた国家社会主義日本労働者党が閉鎖していたので、復帰させます。
カナダで「600万人は本当に死んだか?」の小冊子を配布した結果「虚偽情報の流布罪」で訴えられ、10年間に亘るツンデル裁判を戦い抜き、勝利したカナダの見直し派の雄です。
ニュルンベルク裁判がどのようなものだったかを解説する記事です。ニュルンベルク裁判の詳細は加藤継志著「ニュルンベルク裁判の完全崩壊」を参照ください。
『エルンスト・ツンデル記者会見:1996年10月1日ツンデル・インターネットの内容が「未成年に有害」と判断された』
ドイツ家庭事情相クラウディア・ノルテは,ツンデル・インターネットに掲載された8本の記事を「未成年に有害」として禁じる公式発表を行った.
前自サイトを掲載していたfc2が「このサイトにはアダルトコンテンツがあるからBAN!」と理解不能の言いがかりをつけたため、私は今のウェブサイトへと移転したのですが、もしかしてツンデル氏と同じように、私のサイトも歴史見直しが原因でBANされたのでしょうか……?
第一級の見直し派の方です。
『ユダヤ石鹸』
日本語圏ではこれ以上にユダヤ石鹸の神話について調べている論文は恐らくないのではないかと思います。
国家社会主義日本労働者党の翻訳は私がIHRで見つけた英語原文と比べて文章が増えているようだったので、私の方でIHRに掲載されている文章を基に修正しました。
見直し派セオドア・キーフによる、ナチスの収容所の解説です。
ナチスの人の革のランプシェードなど、まだ信じている方は、こちらをお読みください。
『想像してみよう!』
もしドイツ人が第二次世界大戦中、次のようなことをしていたら、どのような怒号が飛び交っていたか考えてみよう、という記事です。私、ホロコーストがあったとしてさえ、枢軸国よりも連合国の方が邪悪だったと思うのですよねえ。
「逆転ニュルンベルク裁判」で良く言及されるニツコーというサイトの66の質問と回答の和訳は、Internet Archiveで閲覧できるのですが、如何せんテキストファイル形式なので読みづらいです。
そのため、一部復元させることにしました。
「裏切られた自由」の訳者であり、近代史、特に「正史」の欺瞞と宣伝戦に造詣の深い渡辺氏の著作です。
「ブライス報告」
第一次世界大戦の宣伝戦の紹介です。
歴史見直し系の中でも有名なサイトでしたが惜しむらくも閉鎖してしまったため、現在Internet Archiveから少しづつ復元させております。
私が書いた、『「アンネの日記」は嘘なのか?』の読書感想文です。
私が自分で長文を書くなんて10年に一度もないくらいなので、大変貴重な文章です(笑)
第二次世界大戦までのナチス・ドイツの軍事行動に関する年表です。釈明史観(apologism。FDR・チャーチルを是とする歴史観。この歴史観の特徴はこの二人の政治家の評価に不都合な史実を極力軽視するか、あるいは全く触れないことにある)を持つ人に対して説得する為に纏めました。
日本語でも英語でもない言語、フランス語とかドイツ語とかの和訳文です。
第二次世界大戦に関する嘘に耐えかねて、1995年4月25日、ミュンヘンで抗議の焼身自殺を果たした元ドイツ国防軍軍人で化学者のラインホルト・エルストナーが残した遺書の翻訳です。インターネットには、この原文をドイツで公開することも許されないとありました。
フランスのファシスト新聞記者ルシアン・ルバテが1944年に掲載した記事です。私としても、「問題を起こさない民族が2000年に亘ってあらゆる国で理不尽にも同化も拒否され迫害され続けている」とはとても考えづらいです。
第二次世界大戦中、ドイツ軍人としてソ連のパルチザンと戦ったあるドイツ人少尉の手記です。
フランス人モーリス・バルデシュは1948年に『ニュルンベルク、または約束の地』をフランス語で著しましたが、この本は禁書になり、著者のモーリス・バルデシュは逮捕されました。
戦前戦中戦後の連合国の不正義を非難するこの本を焚書し、著者を坑儒するとは、フランスをドイツから「解放」した連合国の性質が分かるというものです。
アンチファシズムがなんなのかの解説です。明快な解説で、読んで以来私もこの内容通りの認識を持っております。
歴史修正論の大家で、彼を黙らせる為にフランスでゲソ法[ホロコーストを絶対化する法律]が制定された程の人物です。
当事者中の当事者ロベール・フォリソンが著した、ツンデル裁判の概説です。
ロイヒター報告や裁判官の評価は多少知られ語られても「(600万人は本当に死んだか?の正誤を争った)ツンデル裁判そのものはどのようなものだったか」は語られることが少ないため、この概説は私にとってとても勉強になるものでした。
フォリソン教授による、連合軍の邪悪さへの告発です。この記事は短めで、すぐに読み終えれるのではないかと思います。
戦後七十年、ナチスの〈ガス室〉が実在したことを証明する法医学的鑑識は未だに提示されていない……
戦後の正史派についての概説です。情報が多岐に渉っており、読んだけど知らない情報はなかった、ということはないのではないかと思います。
歴史見直し主義者がどのようなものかの概要です。短く、読み易い記事だと思います。
中東問題と歴史見直し主義:『イラン、フランス及び世界における歴史見直し主義』
テヘランのネダ政治科学研究所所長とフォリソン教授との往復書簡です。歴史修正主義者に対する逮捕等の現状が語られています(涙)。
ヒトラーへのプロパガンダと、サダム・フセインへのプロパガンダの比較です。
当時のオーソドックスな学者の方々は当時の米国をどう評していたのか存じませんが、パウエルが国連で謎の瓶を振りかざして演説したのが2003年2年で、これを執筆したのが2003年6月とは流石の慧眼と感じてしまいます。
フォリソン教授がこの記事を執筆した時点(2003年5月)より2ヶ月前に勃発したイラク戦争や、ニュルンベルク裁判、ナイラ証言、第一次世界大戦等のプロパガンダを顧みて、今後のプロパガンダがどのようになるかを推測する記事です。
(この訳文をこのサイトに掲載する)現在、イスラエルがガザ地区を空爆・虐殺していますが、この虐殺に付随して、過去に行われたものと同種の様々なプロパガンダが流されるのではないかと思います。
2023年に起こったガザ空襲に纏わるプロパガンダと私が感じるものを右に掲載します。ガザ空襲。
ドイツはアメリカとイギリスにユダヤ人を移住させる用意があった
マダガスカル計画が特に有名な、ナチス・ドイツのユダヤ教徒移住政策の他の部分の紹介です。この時期にドイツからパレスチナに移住したユダヤ教徒もかなりいたとは聞きます(600万人は本当に死んだか?参照)。
あるドイツ人記者によるロベール・フォリソン教授へのインタビュー
ロベール・フォリソン教授へのインタビュー記事です。ホロコースト、ホラコーストについての知識がない人にとっては特に、不明なことをインタビュアーが聞いてくれてフォリソン教授がそれに回答してくれるため、とてもためになる記事だと思います。
長文の記事ですが、一部未訳なのはご了承ください。
フランスワ・ブリニョーの書かれた、フォリソン教授を紹介する記事です。若かりし頃のフォリソン教授がどのような人物だったか全く知らなかったため、大変勉強になりました。まさか強烈な反独主義だったとは。
1909年3月31日生 - 1945年2月6日死去
フランスの詩人、作家、批評家、ジャーナリスト。『鳥を売る男』『七つの虹彩』『時の経つように』等多彩な小説のほか、義弟モーリス・バルデシュとの共著『映画史』、同じくバルデシュと繰り返しスペインを訪れて共著した『スペイン内戦の歴史』等、異なる分野で多くの名作を残している。早くから国家主義者として『アクション・フランセーズ』に1939年まで執筆、また1943年までファシスト新聞『ジュ・スイ・パルトゥー』の編集長を務め(1943年からはピエール=アントワーヌ・クストーが編集長を引き継ぐ)、ヴィシー政権を支持したため、終戦時期、レジスタンス政権から対独協力罪に問われる。1944年9月、母親と義弟バルデシュが身代わりとして逮捕されたため、出頭、フレーヌ刑務所に投獄される。1945年1月19日に裁判が行われ、死刑の判決。数々の著名人による恩赦願いにもかかわらず(ただしピカソ、ジード、サルトル、ボーヴォワールは恩赦願いへの署名を拒否)、2月6日銃殺された。
カチンの森事件現場の目撃証言の翻訳です。
ロベール・ブラジヤック:『ヒトラーの国で過ごした百時間』より抜粋
ブラジヤックによるヒトラーを間近で見ての印象を語る箇所を抜粋しております。
「国民の篤い信任を受けた」「恐怖政治を布き国民に恐れられた」という矛盾する2つの評価を受ける総統ですが、私は後者が嘘だと考えております。
米国のハーバート・フーバー元大統領も第二次世界大戦前にヒトラーと出会い、話しており、その聡明さに「彼が愚鈍だというのは報道機関の宣伝戦だと分かった」と述べておりました。詳細は彼の著書「裏切られた自由」上巻 P233(第3刷で)にあります。
ロベール・ブラジヤックの最期を3人の視点から描写しています。1人はロベール・ブラジヤック本人、1人は義弟のモーリス・バルデシュです。
Adrien Arcand (1899〜1967)、フランス語圏カナダ・モントリオールのジャーナリスト、政治家。ヒトラー政権とファシズムを擁護し、汎カナダ主義の政党を結成し党首となる。戦前、党は大成功を収め、フランスの大作家ルイ=フェルディナン・セリーヌさえもが、この運動に興味を惹かれ、わざわざモントリオールで開かれた集会に足を運んだ。しかし1939年第二次大戦開戦前後から、極左勢力とカナダ・ブナイブリット等のユダヤ人団体によるアルカンに対する弾圧は激化し、ファシストは国家の敵とみなされて、1940年5月30日アルカンは逮捕、他のファシズム運動家と共にカナダ・ペタワワの強制収容所に収監される。収容所内では、捕虜の間で英雄視されていたと言う。1944年、同収容所でアルカンの右腕だったスコット少佐が死亡。アルカンは終生、彼の死の責任は収容所指導部にあると告発を続けた。アルカン自身は、終戦後三ヶ月経った1945年7月にようやく釈放された。逮捕に対する訴訟を試みたが、起訴は却下され続けた。歴史家ピエール・タピニエは「カナダ国家は裁判を避けた。アルカンは人を殺したことさえなく、無実が証明されることは明らかだったからだ」と語っている。1967年8月1日癌で死亡。葬儀には何百という信奉者が集まったと言う。
ナチスを嫌悪してカナダに逃れた若きエルンスト・ツンデルが歴史見直しに目覚めたのは、アドリアン・アルカンに出会ったことがきっかけだった。「私はフランス系カナダ人のおかげで、本当のドイツ人になることができた」と、ツンデルは常に語っていた。
アドリアン・アルカンによる、民主主義や社会主義、リベラリズムをファシズムと比較した講演の文字起こしです。こういった主張をし、十分な支持を得ていた彼が逮捕されるとは、連合国側の主張する「枢軸国は不自由で連合国は自由」の実態が分かるというものです。
“アイゼンハワーの死の収容所”:アメリカ軍によるライン河畔ドイツ人戦争捕虜収容所
第二次世界大戦後のドイツ兵が米軍によって入れられた収容所の実態です。建物なしの屋外収容所なんてこれ以外では聞いた事がないのですが、もしかしてソ連のグラグに勝るとも劣らないでは?
アドルフ・ヒトラーの妹であるパウラ・ヒトラーによる、兄アドルフに対する戦後の評価です。記事自体は短いですが、ナイアガラの滝のごとく怒涛の嘘が襲いかかっている最中にこれを記せるとは、本当に勇気がいっただろうと思います。
アンリ・ロックの論文『“元SS将校ゲルシュタインの告白”について』の紹介記事です。論文自体は未訳です。
『ヨーゼフ・ゲッペルス1934年執筆「ベルリンをめぐる闘い」』
ゲッペルスによる当時の社会の実態の解説です。
今日び人が目にする氏の言葉は、前後の流れも分からない短い引用ばかりなので、その考えが分かる長文を読める機会は珍しいと思います。
良ければお読み下さい。
「翻訳規則」
訳語揺れが起きないようにするための自分用のメモです。