以下は、加藤継志著『「アンネの日記」は嘘なのか?』の概説及び、読書感想文及び、販促文です。
概説したら逆に売上が下がる可能性もありますが、元々の知名度が低い(失礼)ため、きっと概説や読書感想文は逆効果にはならず販促になるのではないかと考えております。
尚、この概説は私なりの要約であり、作者からすれば「勘違い・誤読がある」「そんな理路より作中でもっと妥当な理路を示したつもりだ」「記すべき情報を削りすぎで、そんな概略書いても読み手が不審感を抱くだけだろう」と感じるかもしれませんので、興味を抱いた方は是非購入して実際に何が書かれているかを調べてください。
ここでは「日記は実際にアンネが体験したことが書かれているか」が検討されており、以下がその要約だ。
このように、数々の事実関係の変更を行い、虚偽を書き連ねている人物が、「わたしの体験のいっさいを忠実に、飾ることなくお伝えする」という白々しい嘘をついているのです。ならば、そのような人物が書いた「日記」なる文章の、どの部分の出来事が忠実に書かれたものだと信じることができるでしょうか。
- 何故、隠れ家の物理的設定は不条理なのか。
- 何故、「隠れ家」での「音」についての記述には矛盾があるのか。
- 何故、「編集版」では原形をとどめないほどの「変更」が行われたのか。
- 何故、「変更」にとどまらず、「完全新作」の記事すらあるのか。
- 何故、「日記版」と「編集版」で、事実関係に説明不可能な食い違いがあるのか。
- 何故、事実関係どころか、アンネの結婚観や恋愛感情にすら一貫性が無いのか。
- 何故、BBCのラジオ放送や建物の売却といった、現実世界での出来事と「日記」の日付が合わないのか。
- 何故このような「編集」を執筆者自身が行ったのか?
- 何故、自身が書いたことになっている作品についてすら、明白な虚偽が存在するのか。
答えは明白です。「アンネの日記」は「編集版」のみならず、「日記版」も含めた全ての文章が「日記ではない」からです。
そして、それらを執筆した人物もそれを熟知していたからです。
ドキュメンタリーを模した形で制作された映画ジャンルに「モキュメンタリー」というものがあります。これと同じように、「アンネの日記」も、「日記という形式をとった全くの創作物」であり、描かれている出来事も、登場人物たちの台詞も、「執筆者」だとされているアンネ・フランクの感情や性格設定ですら仮想の物だったのです。ならば、「編集版」を執筆する際、「日記版」をどのように変更、削除、移動しようが、文章中に虚偽を含めようが、何のためらいもなかったとしても当然です。
同時に、オットーを始めとする「一般販売版」の出版に関わった人々も、それを熟知していたのです。最初に出版された独語版は、蘭語版とはほとんど別物のテキストであり、日付や記述も移動しており、少なくとも「翻訳」とは呼べないような代物だったことは既に述べました。
仮にオットーが「日記のオリジナルテキスト」に対して、亡くなった娘が書き残した日記、「生きた証」だという思い入れを持っていたなら、そのようなドイツ語版の出版を容認したのは極めて奇妙です。これに関して、ドイツ系ユダヤ人であるオットーはドイツ語を読むことができたという事実は重要です。
すなわち、オットーもまた「編集版」の執筆者同様に、日付も内容もオリジナルに忠実でなければならないというこだわりを持っていなかった……大筋で内容が一致していれば問題はないと思っていた……そのように解釈することによって、この疑問は氷解するのです。
以上が、私なりの2章までの触りです。最後の引用で分かるように、実際には要約から省かせていただいた情報は多々あるので、購入してご確認ください。
もう本の後半に入るので詳述しないし、結論も書きませんが、2章までに挙げた点以外の、アンネ・フランクが書いたとは思えない理由、書かれている潜伏生活の不自然な理由を挙げ、アンネの日記は「実体験に想像を付与してアンネが著した潜伏生活の小説」ではなく、「潜伏生活の描写全体をアンネ以外が想像を基に描いている」と想定するのが妥当であると判断し、犯人は誰かを考察しています。
犯人を誰と考えたかを含め、これ以降については購入してお読みください。
因みに『「実体験に想像を付与してアンネが著した潜伏生活の小説」ではなく、「潜伏生活の描写全体をアンネ以外が想像を基に描いている」』の要約は結構乱暴なので、著者様は眉を顰めるかもしれません。
大変説得力を感じた本でした。
まず2章までについて、少なくとも事実が描かれていないことは確実で、出版関係者が事実でないことを知りつつ発売したのも確実です。
次に、3章以降について、「アンネが実体験に想像を付与して著した潜伏生活の小説」ではなく、「潜伏生活の描写全体をアンネ以外が想像を基に描いている」も、間違いないでしょう。「実体験に想像を付与してアンネが著した潜伏生活の小説」と仮定するのは無理だと思います。アンネが実体験に想像を付与して著す理由がありません。例えば、2章までの情報に限っても、キャディーの生涯を日記版で2回書いたことにした理由の説明はどうつけるのでしょう。また、一家が本当に潜伏生活をしていたとしたら、2章までに公開した、『隠れ家に2階より上があることは外観から一目で分かるのに、日記の中で部外者は誰もそこに行こうとしなかった』は余りに不自然すぎます。
「アンネの日記の作者はアンネではない」という命題の回答をこのような手法で試みた例は見たことがなく、読んでいて非常に面白かったです。
それと、「目の前に奇書があり、何故その奇書は書かれたのかと、その本が書かれた上位世界を想像せよ」というお話は、昔読んだ三大奇書の1つ、ドグラ・マグラを思い出しました(笑)。
余談ですが、この本はトーマス・ダルトン教授監修のもと「Is the Diary of Anne Fake?」という表題で英訳されております。この英語の本は、米国アマゾンでは数か月間問題なく発売しておりましたが、何の説明もなく停止処分を受けました。小さな通販サイトでは購入可能です。
また、著者様がご自身のフェイスブックで米国向けに有料広告を出したのですが、数日でそのフェイスブックページごと削除されました(この本の出版に携わった方から伺いました)。
海外からの読者レビューでも(私がそう評価しているのと同じように)「驚異的な本である」などといった極めて良好な評価を受けています。
『こんな反論なら、この論理を崩せるのではないか』といったことを想像されるかもしれませんが、何度か繰り返していますがこの紹介は大分省略しておりますので、読めばその反論は打ち砕かれるかもしれません。
これにて加藤継志著『「アンネの日記」は嘘なのか?』の概説、読書感想文、販促を終わりとします。「アンネの日記」の副読本としては最重要となるのではないかと感じております。「アンネの日記」は嘘なのか?はメルカリ、アマゾンで販売中です。是非購入下さい。