ルシアン・ルバテ:『ユダヤ的事実』

1944年4月14日、『ジュ・スイ・パルトゥー』新聞より


1939年以前から我が紙を購読している方々は、以下の文章から新たな事実は何も学ぶことはできないだろう。私はそう願っている。だが今日、我が紙の読者数は非常に増え、その彼等の発言、我々の下に届く意見を見ると、我々はひき続き日々、幾つかの主要事項を繰り返し伝えなければならない重要性を実感した。以下に紹介するのは、ユダヤ主義の基本をなす事実である。

様々な学者や人類学者がユダヤの起源について行なう多かれ少なかれ互いに矛盾する説明とは別に、一つはっきりとユダヤ的と言える事実が存在する。それは、歴史の分野において最も容易に掌握できるものである。

イスラエルの民に関する歴史書は、五十余りの図書館を満たすほどに数多い。いくらかでも教養があると自認している二十世紀の人間なら、少なくともそのうちの一書は所有しているべきだろう。最も新しい概説書は、メルキュール・ドゥ・フランス社から最近刊行された、非常に客観的で充実したアルフォンス・セシェ著『ユダヤ国家の歴史』である。同氏は予言書的な『地獄の戦争』の著者でもある。ユダヤの歴史とは、その最古の章に遡るまで、幾つかの明白な特徴のうちに要約することができる。ユダヤという寄生的遊牧民族の放浪性と飽くなき貪欲は古代史のいたる所で語り草となっているが、彼等はどこにあろうと、どの時代であろうと、常に同じ理由のために糾弾されてきた。それは、考えうるあらゆる形の下での高利貸し、詐欺、横領、投機、金銭と商品の非生産的流通によってこれでもかと富を収集するやり口、どこからともなく湧き起こっては、地球の隅々で無用心に彼等を受け入れる土地をまたたくまに占拠するやり口、そしてその土地の原住民と文化、信仰に対して彼等が向ける多少なりとも陰険な、そして常に積極的な憎悪、またあらゆる政治的、宗教的、社会的動乱に必ずや不吉に手を貸す事実。こうしたふるまいによって彼等は最終的にはいつでも暴力的で血生臭い追放処分の憂き目にたどり着くのだった。

そのやり口の証拠は、世紀を重ねていくごとに常に同じパターンで驚異的な量にまで集積する。早くはバビロニア時代から、数え切れないほどの例が我々の時代にまで伝わってきている。古代エジプト、ペルシャ、シリア、ローマ帝国、スペイン、中世のフランスとイギリス、黎明期のロシア、ポーランド、ゲルマン圏全域、イタリア、ローマ教皇領、ボヘミア、イスラム教国、ハンガリー、ルーマニアにおいて、ユダヤをめぐる騒動は、常に同じシナリオでもって繰り返されてきた。想像してもいただきたい。ユダヤ人は、既にローマ帝国で、今日の社会民主主義国家においてと同じように、貧困層を卑劣極まりないデマで煽動しつつ、同時にその貧困層を牛耳り、搾取していたのだ。歴史のなかで繰り返しイスラエルの民を糾弾してきた人々は、秘密結社的な胡散臭い煽動屋ではない。ざっとその名を挙げただけでも、ティトゥス、ティベリウス、聖ルイ、フィリップ・オーギュスト、ルター、フランクリン、ナポレオン等である。その他、最も偉大な教皇のうちの五十名は言及するに及ばない。

後世どのように評価されたにしろ、人類は、アッシリア人であろうと、古代ギリシャ人、あるいは現代のヤンキーであろうと、幾つかの不変の法則を守り通して来た。こうした法則は、それに反する者を、たちまち不条理な死の淵に追い詰める性質のものである。ユダヤ民族のアナーキズムと寄生に対して自己防衛しなければならないことは、このような黄金の鉄則の一つだった。反ユダヤ主義は、かつてのフランスの政治的、精神的遺産の何よりも重要な一部をなしていた。これまでも幾度となく書いてきたとおり、フランスワ一世、ラブレー、ロンサール、アンリー四世、リシュリュー宰相、チューレーヌ、パスカル、ボスュエ、ルイ十四世、モリエール、ヴォルテールらにとって、ユダヤ民族がもたらす被害や彼等の劣等性を一瞬たりとも議論しようと考えることほど、滑稽で野蛮に思われることはなかっただろう。四百年以上(十五、十六、十七、十八世紀)にわたって、フランス国民の望みと、また国民の望みに忠実であることを知っていた我が国の賢明な王制は、ほぼ全てのユダヤ人を排斥することによって、フランスにおけるユダヤ問題を解決してきたのである。この事実は、何度でも繰り返し思い起こさせる必要がある。

これらはすべて、1789年の[フランス]革命によって一変させられた。旧右派の歴史家達が好んで行なってきたように、フランスにおけるこの大いなる革命運動精神のすべてを丸ごと断罪するべきでは確かにない。だがこの革命の有名な〈原則〉が生み出した害悪はもはや数え切れない。共和国の殿堂に〈平等〉と〈自由〉の名が刻み付けられて以来、実際には自由と平等はかつてないほど乱暴に足蹴にされる結果となった一方で、憲法制定会議は1791年、同じ名の下にユダヤ人の解放を宣言したのである。世界で最初に同様の政令を発したのは1776年、アメリカだった。やがてその他のヨーロッパ諸国は、好むと好まざると、徐々に同じ道を進まざるを得なくなった。民主主義の〈理想〉の恩恵を蒙ったのは唯一、ユダヤ民族である。キリスト教徒にとっては、労働者の運命が一層苛酷になり、残虐極まりない殺し合いが多発するようになったことを意味していた。自らは本質的に反民主主義的で、熱狂的な人種差別者として至るところでこれ以上ない不平等を振り撒いているユダヤ人が、それにも拘わらず、民主主義的妄言を掲げるあらゆる国家を熱烈に擁護するのは、そのためである。

我々はこのように十九世紀初頭以来、それまでは常にゲットーや特別な法的規制によって社会から隔離されてきたユダヤ人の解放という史上初の実験に立ち会ってきているわけである。二十世紀の間にわたる教訓を忘れ去ろうというこの狂気に満ちた実験の結果は目前にある。ゲットーの解放は、ならず者民族を地球上至るところに拡張させることを意味していた。この拡張以来、イスラエルの民の責任に帰される事件ファイルは十倍増した。現代という時代はそれでなくとも、機械化の到来によって動乱に満ちた困難なものになるはずであった。ユダヤ人は他の誰にも増して、この時代を暴虐なものにすることに貢献した。資本主義の国際支配力をこれ以上ないまでに非人間的な蜘蛛の巣に仕立て上げたのはユダヤ人である。アーリア人によるあらゆる社会主義的努力を逸脱させ、二つの典型的なユダヤ的産物、すなわち社会民主主義による混乱とマルクス主義に取って替わらせたのもユダヤ人である。

目下の戦争[第二次世界大戦]をユダヤだけで説明するのはあまりに短絡的であるという反駁の声もある。我々は世界の不均衡、愚の骨頂である1919年の[ヴェルサイユ]条約、アングロ・サクソン政権の凄まじい金儲け根性がこの戦争の大きな原因であることを否定しているわけではない。しかしこれら一つ一つの原因の裏には必ずユダヤが隠れているのだ。イスラエルの民ほど執拗に戦争を望み、開戦を決定的にした者はない。

ユダヤの視点から見れば、結局のところ、これは驚くに値しない。ユダヤが偏愛する領土の一つであるドイツ国内で、ヒトラーが断行したユダヤ勢力に対する歯止め政策がもたらす影響は予測不能だった。というのもヒトラーは世界を前に、ユダヤ民族をその太古から永続してきた条件の下に立ち戻らせようとしたからである。ここで疑問となるのは、いったいこのならず者民族の〈権利〉を擁護するために、たった一人のフランス人兵長でさえ戦死する価値があったのかということだ。我々はこの十年間、何百回とこの疑問を本紙の上で発してきた。

私個人は、ある種の偏執的反ユダヤ主義的態度は好まない。あまりにユダヤを扱い過ぎたために自らユダヤ的な性質を習得し、少しでも危険な敵に見える相手には、誰彼構わず黄色い星を貼り付けるタイプのことだ。我々を襲う戦渦の中にあって、アーリア人のものはアーリア人に返さなければならない。だがだからと言ってユダヤ人の第一義的責任、とてつもない責任は軽減されるわけではないし、それはあらゆる懲罰を是とする。目下、血で血を洗う脅威的な戦火の拡張は、何よりもまずユダヤの手による犯罪なのだ。ヤンキーの過半数はこの紛争に無関心だった。彼等が戦争に介入したのは、1939年フランス版アデマイと似たり寄ったりに、ただ単にユダヤに引きずられたからに過ぎない。ウォール街とクレムリンの仰天すべき協力体制を説明できるのはユダヤだけだ。これほど異質な二つのブロックを接合できる唯一つの要素はユダヤである。

行数が限られているため、ここで私は、それぞれが一章のタイトルと成りうる幾つかの点を列挙するに留めよう。この三年来、フランスで耳にするのは「私は戦前は反ユダヤだったが、ドイツによるユダヤ人の扱いを見てから、ユダヤに味方するようになった」という議論である。この繊細ぶった発言は、いかにフランス人のメンタリティが徹底的にユダヤ化されたかを証明している。ユダヤ人の嘘泣きにほろりとしたフランスのアーリア人が、センチメンタルな戯言にすっかりしてやられているその間にも、ユダヤ人はと言えば、テロリスト集団を率い、典型的にユダヤ的な戦闘を繰り広げ、残虐の限りを尽くしているのだ。ドイツは、生死を賭けた戦闘を行なっている相手に対して、戦時下の手段を取ったまでだ。それはいかなる戦争においてもそうであるように、冷徹な手段である。だがドイツはそれを実施するまで、我が国フランスでは二年もの間、我慢をしていたのだ。我が国のユダヤ人が一丸となって無言の戦争、つまりスパイ行為、テロ行為、ドゴール主義とボルシェヴィズムに加担していることが火を見るよりも明らかとなるまで。私がドイツに対して向ける唯一の非難は、彼等が対応策を取るまでに、あまりに長くヴィシー政権のユダヤ主義、あらゆる反逆的策謀からテロリズムの温床となった悪臭芬々たる南部のユダヤの巣窟を大目に見続けたことである。

最も意表を突いたのは、我が国フランスのかつての反ユダヤ主義者が、ユダヤ人に同情するだけでは飽き足らず、彼等と同盟を結ぶようになったことである。このタイプは軍の内部や右派カトリック系の古い組織に多く見られる。このことは反ユダヤ主義だけでなく、我が国の善良市民的で、宿敵ドイツに対する怨念が五臓六腑に染みこんだ本質的〈右派〉の脆さをよく表している。我が国ではユダヤという概念は、しばしばフリーメイソンや反キリスト教組織と重なる曖昧なものだった。右派がユダヤ人を嫌うのは、彼等が政教分離を定めたコンブ法の制定に手を貸したため、また親ドイツであるとされているため(1933年まではだいたいにおいて事実であった)、あるいはその無作法のため、彼等がエキセントリックな芸術を推奨するパトロンであるため、また性心理学を口実に少女の下着を撫で回すためであったりした。ユダヤ人側の人種差別意識に対する唯一効果のある対応は、アーリア人による差別による返答であるが、これはその〈過剰〉な性質のために、こうした似非反ユダヤ主義者達の気に入らなかった。軍人、市民を問わず、彼等の騙されやすさの度合いは、ドレフュス事件を通じてすでに明らかだった。生地のゲットー内では聖体容器に放尿をし、我が国の国防機密書類を高値で売り飛ばし、常識外れの非武装派政治家にこぞって投票していたポーランドのろくでなしユダヤ人が突如、「ドイツ野郎を打倒しろ!」と叫んだだけで、お人よしのフランス軍人と聖職者はひっしと彼を胸に抱きしめ、彼を守るための肉弾となったのだ。

これほど大バカモノの相手は、破廉恥にかけては先祖代々筋金入りのユダヤ人にとって赤子の手を捻るようなものだ。ユダヤ移民は、ブルジョワジーが1936年、シャンゼリゼで彼らの目前に三色旗を掲げただけでも、金切り声をあげた[三色旗を掲げたフランス愛国者達が“フランス万歳”“打倒ユダヤ”と連呼しながらデモを行なった。当時の政権は左派フロン・ポピュレール。レオン・ブルム首相はユダヤ人]。二年後、同じユダ公の発した法令によって、フランスの愛国ブルジョワジーは反ミュンヘン主義[第一次大戦後チェコに併合され、多くのドイツ人住民の取り残されたスーデーテン地方をドイツに併合する1938年のミュンヘン条約に反対する立場]に走った。さらに二年、我がユダ公達はロンドンから『サンブル・エ・ムーズ』あるいは『国旗に敬礼』などという名のラジオを放送して、同じブルジョワジーを敬礼させることになる:

“フランスは我々を養う母である……”

哀れな愛国主義的アーリア人には、ユダヤ人にとっては、『インターナショナル』も、〈人権宣言〉も、『若き番人』[共産主義の歌]も、レオン・タクシル流の反聖職主義も、あるいは反対に『ロレーヌ行進曲』や『サクレクールの名の下にフランスを救おう』[フランスの軍歌]も、どれもまったく同じ、手玉に取るべきキリスト教的阿呆ごとに過ぎず、彼等は玉突きゲームと変わらない無遠慮さでこれを利用しているだけであることが理解できないのだ。ユダヤにとって重要なのはただ一つ、それがユダヤにどんな結果をもたらすかということだけである。

ユダヤというちっぽけな国家は人口わずか二千万人、からきし軍事的勇気に欠け、その四分の三は(何度でも繰り返そう)、キリスト教徒の虚栄心と力添え、そして無知によって支えられているのである。今や、火を見るよりも明らかであるその金の力による買収力については言うに及ばない。ここで無知について一言書いておこう。これはもはや眩暈を覚えるレベルであり、まさにユダヤ解放がもたらした成果と言える。自由を得たユダヤがまず手始めに行なったことは、自分達の過去を忘れさせることだった。これは何世紀もの間、本物のユダヤとの接触を失っていたフランスでは、お茶の子さいさいの仕事だった。教育機関の知識層のユダヤ化が進むにつれて、今日、フランス人の中で、十歳の子供が他のいかなるテーマについてでも持っている程度のユダヤに対する基本知識を持っている者は一万人に一人もいないだろう。ユダヤ問題など存在しないと信じ込んでいるこれらすべてのフランス人は、ユダヤ人を同化させるには、少しばかり善意さえあれば事足りると信じており、ユダヤが解放から六十年もしないうちに、〈世界イスラエル同盟〉なる素晴らしい戦争プロパガンダ・マシーンを結成したことなど露知らずにいる。フランスが〈同化〉させられると信じている民族による初の勝利と言えるこの機関は、ユダヤ国籍以外のいかなる国籍の存在も認めないことを主軸としているのだ。

シカゴであろうと、ベルン(嗚呼、スイス人!)であろうと、リヨンであろうと、1944年の典型的アーリア人を前にする時、我々は同情と軽蔑の間に引き裂かれる思いがする。その脳はすっかり映画や出版物、ラジオで飽和し、自分達の文明と〈啓蒙〉ぶりに陶酔するこの哀れな動物は、実際には、聖ルイやルイ十四世時代の最もしがない平民よりも盲目で、偏狭で、自分を襲う運命をまったく理解できずにいるのだ。

ユダヤが何千年もの間駆使してきたのと同じ手口である真っ赤な嘘(その最たるものの一つが〈改宗〉である)、とんでもない大法螺を繰り返すのを前にしたこうした人々の無邪気と愚鈍を見る度、正直に言おう、私は時々、自分自身の身の危険さえなければ、彼等をそのまま放っておいて、ユダヤが彼等に躍らせる血みどろのワルツを踊る様子を、無関心に、サディスティックに眺めて楽しみたい欲求にかられるのだ。

しかし民族の血は黙っていない。そして我々が、愚の骨頂に達したキリスト教の惨めな代表者らを超越して、ユダヤから守ろうとしているものが、我々を再び現実に呼び戻す。我々はこの闘いを決して放棄はしない。

我々は戦前、本紙の中で、ユダヤ問題に対する非常に穏健な解決策を提案してきた。だが世論はそれらをまるで卑劣で野蛮の極みであるかのように非難した。ヨーロッパが目下の悪夢から解放された暁には、遙かに厳格な解決策が採択されるだろう。そうなったとしても我々の責任ではない。我々はユダヤ人に早くから警告をしてきたのだ。彼等は再び自らの悪事の代価を払うことになるだろう。それは高くつく。ユダヤ国家は、唯一集団懲罰を受けることが正当化される国家である。あらゆるユダヤ人に、その民族の有害性が潜在するからだ。

この民族の宿命の不可避性を目の当たりにして、同情の念を覚えることもあろう。だが彼等には矯正のあらゆるチャンスが与えられてきたのだ。イスラエルは、今やその権力の絶頂に到達した。金、精神、そして肉体という地上の三大圏が彼等の手中にある。またキリスト教教会の四分の三が彼等に協力の手を差し伸べている。これは歴史上初めてのことである。そしてユダヤの絶頂は、目下の世界戦争とまさに重なり合うのである。それがまだ理解できない非ユダヤ人には、付ける薬がない。だがこれが理解できた者は、なすべきことを知っている。そして彼等は敢然とそれを行なうだろう。それは復讐心からではない。我々の未来を破局から守るためである。

フランスでは、国民の目を覚ますことが急務である。我々の周囲にいる同世代のおそらくもはや手遅れのバカ者ではなく、未来世代のことを言っているのだ。フランス古来の反ユダヤ主義伝統を復活させる必要がある。そのためにはまずユダヤ史を教えることを義務化することから始めなければならない。その歴史は抗し難いほど饒舌であり、ユダヤはその研究を禁じてきた。

万一堕落したキリスト教のせいでユダヤ主義が今回の戦争に勝利をする場合、我々は心穏やかに、来るべき世界を確実に予言することができる。ユダとイスラエルの古来絶えることのなかった闘いが、まもなく再開するだろう。ユダヤ民族は自らの勝利を常にカオスに変えてしまう運命にある。アメリカのユダヤ資本主義とソ連・アジアのユダヤとの間に戦争が勃発するだろう。そしてそのために再び、数百万というアーリア人兵士が戦地に送られるのだ。

しかし現在の戦争の結果にかかわらず、ユダヤを待ち受けているのは、これまでの歴史と同様、悲惨な運命である。最も皮相な国民、最も騙され続けてきた国民、ユダヤの下で最も苦しんできた国民、アメリカ人とロシア人の目覚めを前には、ヨーロッパが採択するであろう反ユダヤ手段は寛容に見えることだろう。ニューヨーク・ポグロムやモスクワ・ポグロムは、歴史上有名なポグロムを上回るものとなるだろう。

この数行を書き終えつつある間にも、ユダヤの〈ボンブ〉が、パリの夜を襲っている。今この瞬間、幾人ものフランス人が命を落としている。だがいつの日か、この戦争の軍事的あるいは受動的犠牲者のすべての仇が討たれる時が来るだろう。


ルシアン・ルバテ(1903年11月15日生−1972年8月24日死去)

戦前・戦中のフランスのファシスト新聞『ジュ・スイ・パルトゥー』の花形記者。過激な反ユダヤ論で人気を博していた。戦後、ピエール=アントワーヌ・クストーと共に死刑宣告を受け、フレーヌ監獄に収監される。1947年やはりクストーと共に大赦され、無期懲役の身でクレルヴォ刑務所に移送。1952年釈放。