『ヒトラーとサダム・フセインの〈大量破壊兵器〉』ロベール・フォリソン

(2003年6月2日著)


第三次世界大戦史を歴史見直し主義的方法論を用いて分析すると素晴らしいことがわかる。六十年の期間を隔ててまったく同じ嘘が、まったく同じグループの人間によって、まったく同じ動機のために使用されているのだ。


1944年1月フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領はシオニストやユダヤ人団体による圧力と特にヘンリー・モーゲンソウ・ジュニアの一味に煽られて、「戦争難民評議会」(War Refugee Board, WRB)という大統領の直属機関を設立した。この戦争難民評議会は、同年9月アドルフ・ヒトラーがヨーロッパユダヤ人の物理的絶滅政策を実施しているという告発を公式に行なった。彼等の告発によればヒトラーはその政策を実行するために特にアウシュヴィッツ強制収容所で〈ガス室〉と呼ばれる大量破壊兵器を使用していることにされ、アウシュヴィッツ強制収容所の実体は〈絶滅収容所〉だということになった。このテーマに関する大統領印付き報告書の題名は『ドイツの絶滅収容所――アウシュヴィッツとビルケナウ』(German Extermination Camps - Auschwitz and Birkenau)というものだった。


およそ六十年後の2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、ユダヤ人やシオニストが大多数を占める〈ネオコン〉グループの圧力と、特にユダヤ人のポール・ヴォルフォヴィッツ一味に煽られて、「特別計画事務所」(Office of Special Plans, OSP)と言う、これまた大統領直属機関を設立した。OSPはユダヤ人のアブラム・シュルスキーの指揮下、サダム・フセインが〈大量破壊兵器〉(Weapons of Massive Destruction 又はWMD)を所持していると信じさせるアメリカのキャンペーンをさらに強化した。この核、化学、または生物兵器を使用することで、イラクの独裁者サダム・フセインは、中東や世界の他民族をまるごと絶滅させることもできるし、イスラエルやアメリカにこれを向ける危険もあると、我々は聞かされた。


1944〜1945年のケースと2002〜2003年のケースはどちらも共に偽の証拠を裏付けに用いた同類の嘘である。そしてどちらのケースにおいてもこの嘘を広めた人々の大多数は、多大な影響力を持つアメリカの富豪ユダヤ人だった。またこの嘘の目的はいずれのケースにおいても、世論に戦争を容認させることだった。


しかし二つのケースには異なる面もあることを注意しておこう。


第一に、ヒトラーが所持していたと不当に非難される兵器(〈ガス室〉と呼ばれる巨大な屠殺場)はそもそも化学的な理由から実現させることが不可能だったのに対して、サダムが所持していると非難される兵器は実現も実在も完全に可能なもので、その証拠にサダムを糾弾する人々こそがそうした兵器を所持している張本人である。


第二に、ヒトラーは不当に非難され続けて六十年になるというのに、その非難は今日かつてないくらい勢いを増しているのに対して、サダムに対する非難はわずか数ヶ月で揺らぎ始めた。


最後に、ヒトラーが所持していたことにされている大量破壊兵器の実在に異議を唱える者は、目下エルンスト・ツュンデルがその憂き目に遭っているように、手枷足枷を掛けられてアメリカやカナダの独房に閉じ込められ、公式に〈テロリスト〉扱いを受ける危険があるのに対して、サダムが所持していることにされている大量破壊兵器の実在性を疑うことには、今のところ限られた危険しか伴わない。


G・W・ブッシュは最近、アウシュヴィッツ・ビルケナウを訪問して、ヒトラーのものだったと言う例の大量破壊兵器なるものの跡地なるものの前で、サダムとサダムの大量破壊兵器なるものに対して行なってている戦争の正当性を確認した。こと世論の憎悪感情を扇動し、戦争を維持するための策略となると、まさにアウシュヴィッツの右に出るもののないことがよくわかる。1945年の戦争勝利者達が放つ嘘に続く嘘の大渦の毒の源がまさにここにあるのだ。民主主義と呼ばれる新たな消費時代の礎石を築く建国神話はここから生まれたのだ。アウシュヴィッツとは新たなイエルサレムである。偉大なる嘘の神殿、聖人の中の聖人、聖櫃、そして契約の箱がここにあり、グローバリズムの政治家達は揃ってアウシュヴィッツに巡礼する。彼らは現地では聖なる魔法のガス室について疑問を持つことを自ら禁じ、ひたすら平伏す。典礼化したスピーチをこぞって唱え、〈神に選ばれた民〉への忠誠を誓う。そしてこれを疑う者や不信者、また歴史見直し主義者の頭上に神の怒りの雷の落ちることを祈るのだ。


悪徳には悪徳が、嘘には嘘が賛美を送るように、ブッシュ大統領は最も偉大なるアウシュヴィッツの偽証人の口から最高の聴罪許可の言葉を授与された。すなわちエリー・ヴィーゼルである。[※]

※エリー・ヴィーゼルは、何よりも〈ガス室〉については謹慎の態度を守るように説いている。ヴィーゼルによれば、〈ガス室〉については、それを精査しようとすることも、それを想像しようとすることさえも憚らなければならないのだ。次のように彼は書く:「ガス室は、心無い者の視線や想像力から隠されたままである方が良いのだ。」あるいは、「私はガス室の内部でどのようなことが起こったのかを想像することを自分に禁じている。」(『回想録』第一巻、九七ページと第二巻、四八二ページ、パリ、スーユ社、一九九四、一九九六)。『ショア』の監督クロード・ランズマンもこれに同意する。もしもアウシュヴィッツのガス室でユダヤ人の毒殺される場面を撮影した映像が残っていたとしたならば、自分はそれを破壊していただろうと、彼は断言する。「もしも私がそういう物を発見していたならば、それを人目から隠すだけではない、それを破壊していただろう。どうしてなのか、説明することはできない。おのずとそのような気持になるのだ。」(『ホロコースト、その可視化の不可能』、「ル・モンド」紙、一九九四年三月三日、七頁)。彼はまた次のようにも宣言する。「ホロコーストを前にして、それを理解しようと考えること事態が絶対的に不埒である。映画『ショア』の撮影年月を通して、私は、理解しないことを自分にとっての絶対の法則とした……(後略)」(ジャン=ミシェル・フロドンによるインタビュー、『ル・モンド』紙、一九九七年六月十二日、二七頁)。


註:上記の記事を読んだ読者の一人は、「つまりアドルフ・フセインは、大量死刑用ガス室を所持していたのだ」と結論した。


2003年6月6日付け追記:今日の『ル・モンド』紙上に、目下コメディ・フランセーズで上演中の『エステル』について、ミシェル・クルノーによる書評が載っている。ラシーヌが劇作化したこの聖書の中の悲劇の物語は、1689年にサン・シールの娘達によって、ルイ14世、マントノン夫人及び宮廷人の御前で初演された。それについてクルノー氏はこのように書いている:「最後に一言。この質素で忠実なエステルの舞台を、一瞬たりともアウシュヴィッツに想いを馳せることなく観劇することはもちろん不可能である。」(三〇頁)