現状を認識する際に、「過去にどのような宣伝戦が行われたか」を知る事は、「過去に実際に何が起きたか」を知るのと同じ程に重要だと思います。
しかし歴史の授業では「過去に実際に何が起きたか」は教えられても「過去にどのような宣伝戦が行われたか」は教えてくれないため、ここにそうした宣伝戦の1つを引用します。
引用は渡辺忽樹著「戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実」22〜25ページ目からです。
……一九一五年五月、ウェリントンハウスは「ドイツの非道行為調査委員会(Committee on Alleged German Outrages)」による調査報告書を発行した。この委員会の長には世界的に著名な歴史学者ジェイムズ・ブライスが任命されていた。学術的色彩を付与するためだった。報告書は彼の名をとってブライス・レポート(1)と呼ばれた。
ブライスはその歴史書が当時の日本にも紹介されていたことからもわかるようによく知られた学者だった。もちろんアメリカでも知られていた。『アメリカ共栄圏(The American Commonwealth(2))』(一八八八年)なる書を著していたし、ドイツの格式あるプール・ル・メリット勲章も受けていた(一九〇八年)。大戦前には駐米大使を務めた(一九〇七−一三年)。
この「学術研究報告書」はドイツ軍の残虐行為を生々しく報告していた。
メヘレン(ベルギー)
ドイツ兵が女を殺し、その乳房を切り取ったことが目撃されている。町には多数の女の死体が転がっていた。
ハーヒト(ベルギー)
ここでは数人の幼児が殺されている。農家の納屋のドアに、二、三歳と思われる幼児が、手と足を打ち付けられて死んでいた。信じがたい話だが、我々の持っている証拠からは事実と考えざるを得ない。この農家の庭では少女が額を銃で撃ち抜かれて死んでいた。
エッペゲム(ベルギー)
二歳の子供が見つかった。ドイツ兵の槍状の武器が子供の体を通過して地面に突き立てられていた。
情報のソースはベルギー政府発表資料やベルギー難民の証言だった。後日の調査でそのほとんどが疑わしいことがわかっているが、戦時に高揚した英国民感情を煽るには十分な効果があった。
報告書と同時に夥しい数のポスターやパンフレットも制作された(図1、図2)。描かれたビジュアルイメージは国民に猛烈な反ドイツ感情を生んだ。「ドイツ人は人間の感情を持たない獣である」と国民の心に刷り込んだ。「敵の非人間化(dehumanization)」と呼ばれるプロパガンダテクニックであった。
イギリス国民だけでなくアメリカ国民の前にも大量のプロパガンダ情報が押し寄せた。ドイツは、アメリカ人ジャーナリストの従軍を認めていた。「従軍記者は、ドイツ軍とともにベルギーに入り、ニューヨーク・タイムズ紙に虐殺(atrocity)はなかったと寄稿(3)」していたが、そうした報告はイギリスのプロパガンダの洪水の中に消えた。ドイツからニューヨークにつながる海底ケーブルが切断されたことで、ドイツには反論の術がなかった。
注
(1)Report of the Committee on Alleged German Outrages, 1915.
(2)James Bryce, The American Commonwealth, Macmillian and Co., 1888.
(3)Jacobi 前掲書、p29.
図1 反独感情を煽るポスター(1915年)
Roy Douglas, The Great War, 1914-1918:The Cartoonists Vision
ブライス報告はドイツ悪玉論の神話(「The Myth of German Villainy」ベントン・ブラッドベリー著、燈照隅訳)の方が詳しいです。以下はその該当箇所です。