モーリス・バルデシュ:「アンチファシズムとは何か?」

『コロンブスの卵、あるアメリカ上院議員への手紙』(1951年)より

アンチファシズムとは何か?

ご説明しましょう。これまですべての政党は闘う時、自らの旗色を掲げてきました。共産主義者は共産主義者、社会主義者は社会主義者、カトリックはカトリックでした。しかしこのような条件の下では共産主義は常に少数派に留まり、どの国でも政権に就く可能性のないことをクレムリンは理解したのです。この状況を変えなければならない、素顔で闘うことをやめなければならない、仮面を被らなければらない、しかしどうやって? 共産主義はまさにこの時、見事な手腕でもって共産主義に反対する力を逆に利用して、潜入工作を確実なものにしたのです。実に簡単です。彼等は自らの手でヨーロッパに直接火をつけることを阻止されてしまったので、今度はあべこべに「助けてくれ!」と叫ぶことにしたのです。うめき声をあげ、手を捩り、善良な人々に向って、松明を掲げて自由の名の下に行進する許しを求めたのです。党プログラムについては一切口にされなくなりました。共産主義の名も言及されなくなります。脅かされているのは人類全体だということになったのでした。なぜなら悪魔が現われたからです。ほら、哀れな聖ロシアの国境をご覧ください。恐ろしい軍団[ファシズム]が陣取っています。この軍団は、共産主義の集会の開催を禁止し、赤軍の目的が弾圧からの解放だと口にすることを禁止してしまった。だから彼等[ファシスト]は悪魔です。彼等に脅かされているのは共産主義ばかりでない、私達全員、何かしらの集会を開こうとする人間、何かしらの解放を求める者すべてです。彼等は悪魔です。人間の鎖を築いてこの悪魔を打倒しなければならない。誰もが自分の身分など忘れ、ブルジョワであろうと、カトリック、サンディカリスト、ナショナリストであろうと、この悪魔に対して一丸となって行動を起こさなければならない。共産主義者はすぐにも団結をする用意がある。もはや共産主義については語るまい。ソ連共和国が存在することなども忘れよう。共産主義の夢はすべて忘れ、今後は人類を救済することのみに専念しよう……。

この時から、この悪魔[ファシズム]に対して闘っているとさえ言えば、誰も自分がであるかを名乗る必要はなくなったのです。悪魔像にはさらに様々な残虐な色が施されました。“独裁者”の名が付けられました。悪魔自身は無邪気にも軍靴をちらつかせてしまったものですから、今度は“虐殺者”の名も加わりました。幾つもの家族が涙ながらに国を追放されたと訴えはじめました。すると悪魔には“不公正”の名も冠されました。彼がやることなすことすべて、犯罪行為と見なされます。そして残念ながら人間の常であるように、彼も間違いを犯すことがありましたから、揚げ足を取るのは簡単でした。

さて、今ではこの独裁者呼ばわりされるようになった者に反対していると言うだけで、人は自由の擁護者と見てもらえるようになりました。共産主義者でも、社会主義者でも、カトリックでもなくなり、自由を守るための共同戦線の一員となったのです。スターリン政権は冷酷無比の独裁政治を執行し、その監獄は囚人が氾濫していましたが、共産主義者はファシズムに反対しているのですから、つまりは自由を擁護していることになったのです。スターリンは何千という単位で政敵を強制収容所に送還し、飢餓のために地方一帯が全滅することもありましたが、共産主義はファシズムに反対しているのですから、つまりは労働者の生活の糧を擁護していることになったのです。ソ連は戦車と大砲の製造にひたすら専心するようになりましたが、共産主義者の目にはいずれソヴィエト勢力に向けられるかもしれない戦車や大砲しか見えず、その全滅を要求していましたから、それは平和のためと見なされたのです。あなたはファシズムに反対しますか? と共産主義者は、社会主義者やカトリックに問いました。それならばあなたは平和と自由と日々の糧の擁護者です。平和と自由と日々の糧の擁護者だと言われて有頂天になったカトリックは、ソヴィエト政権がカトリック教会を消滅させた事実をケロリと忘れ、社会主義者は、スターリン政権が民主主義であると信じるふりをしました。かくして海戦で巡洋艦を隠蔽する煙幕のごとく、私達の政治舞台は言葉による煙幕に包み込まれました。そして濃霧の向こうで、本来の自然に反する同盟が結成されたのです。カトリックは心穏やかに十字架を踏みにじり、民主主義者は国民投票を無視しはじめました。そうしたことが許され、神化されたのは、それがファシズムに反対しているからでした。(……)

この見事なカモフラージュからは多くの教訓を学び取ることができます。貴殿[本書はアメリカのある上院議員に宛てられた手紙の形式を取っている]にとっては見覚えのある偽計でしょう。それは貴国の歴史の一部そのものでもあるのですから。彼等の偽計のなかでも最も重要な点は、共産主義者が中立者の立場を装ったことです。ある国が労働者にストライキを行なう権利を認めないこと、共産党を法的に認めないことに義憤し、ショックを受け、憂慮する中立者のふりをしたのです。この偽装をするためには何の犠牲もいりませんでした。彼等は共産主義信仰を捨て去ったわけではないのですから。その一方で実に便利な効果を勝ち取ることができたのです。

第一に人々は共産主義を怖がらなくなりました。共産主義とはもはや、冷徹な規律を強要する恐ろしい活動家でも、血も涙もない政治委員会でも、人民法廷でも、恐怖政治でも、集団処刑でもなくなったのです。そうしたイメージは誤ったものだったのだろうということになりました。共産主義者は他と変わらない普通の人間だった。彼等の党プログラムは忘れ去られ、彼等の過去が語る数々の例も忘れ去られました。彼等はもはや恐怖の大天使ではありませんでした。サン・ジュストは棚にしまわれ、ジョレスの胸像が持ち出されました。プロレタリアによる独裁や血生臭い革命といった恐ろしいものにはすべて蓋がされました。ようやく正直な市民と手を取って自由のための闘いにのぞむようになった血気盛んなこの兄貴分に人々は手を差し伸べました。彼等は勇ましい新参者であり、それは進歩発展のための彼等の権利でもありました。

たちまち戦線は桃色をした優しい黎明の輝きに包まれました。それがアンチ・ファシズムの最初の光彩でしたが、実際にはそれは、その血生臭い使命の反映に過ぎなかったのです。こうして人々は自由のためだけではなく、進歩のためにも闘うようになりました。労働層を解放し、女性に電力を供給し、ダムを建設し、農地開墾し、国営化を進め、財産を没収し、土木建設を進め、トラストを潰し、すべての慎ましい冶金技術者が小さな自家用車を持ち、有給休暇を与えられ、週40時間労働を享受できることが要求されました。こうした計画に賛同する人々はずいぶん沢山いるでしょう。ところがこれらはある種の魔術を使って、常にアンチ・ファシズムの専有物であるかのように言われたのです。実際に農地開墾を実施しているのがムッソリーニであり、フォルクスワーゲンが[民衆のためにドイツ国家社会主義政権が実現化し]ヴィースバーデン市[フランクフルト東部のドイツの都市]で製造され、ドイツの労働者達がクルーズを楽しめる身分であることを指摘しても無駄でした。そのような指摘は、進歩思想に対してとんでもなく無礼な声を上げることを意味していました。世界に存在するダムはドニエプルダムただ一つであり、世界で唯一幸福な若者はコモソーモル[ソ連共産党の若者組織]のメンバーだけであり、本当の農地開墾はキルギス共和国で行なわれているものだけであり、フォルクスワーゲンがフランスに適応することができたのは、レオン・ブルム内閣[ユダヤ人首相に率いられた左派連合政権]のおかげなのでした。そこには何も特別に共産主義的な性質は見受けられません。アンチ・ファシズムはそのプログラムに労働者と軍人のソヴィエトの設立、農地分割、一党独裁制などを取り込むことは用心深く避け、ただ思想の方向を示すに留めたのです。あなたはただ共産主義ロシアを遠くにある美しい模範、理想郷と考え、ある種の完璧な楽園、庭園として愛に満ちた眼差しを向けさえすればいい。それが進歩主義だからです。アンチ・ファシズムの要求する内容自体はさほど重要ではなく、それは皆が知っていました。アンチ・ファシズムの要求するものの多くは実は既にファシストと呼ばれる国々で実現されており、それも皆知っていました。アンチ・ファシズムの賛同者に求められるのは唯一つ、ある信仰をはっきりと表明することだけでした。そしてそれこそが真髄でした。それは人類の進歩の到達する先が必ず共産主義ロシアであり、その方向に進むものはすべて、たとえそれが現実には貧困と砲撃であっても、喜びと幸福と平和を表しており、逆にソヴィエト・ロシアに敵対し、その対極に向かうものはすべて悪の帝国そのものであると見なすことでした。

この一点が確かとなるや、進歩主義の概念はみるみる普及し、その後の世界は二極分化することになりました。人々は二つの道の一つを選択しなければなりません。祝福に導く道か、あるいは破滅に導くものか。アンチ・ファシズムはたんなる自由の擁護ではなく、ひとつの宗教となったのです。私達は皆、灯火を掲げる聖処女となったのです。ロシアの火を灯さないものに災いあれ! 自由と進歩主義と社会主義の融合こそが素晴らしい、予想を超えた効果を持つのだと私達は教えられました。ところが自由と進歩主義と社会主義的改革を擁護しながら、アンチ・ファシズムの敵であることも有り得ます。人がアンチ・ファシストになるか、あるいは不適応者となるかはすべて、ある種の心の有り方、あるいはむしろ生来の印ようなものによって決まります。一見まるで無関係に見えるものによって、人はいずれかの陣営に分別されるようになりました。組合に所属する郵便配達夫、第三級職員が、“粗暴”なファシストであることも有り得れば、百万長者が押しも押されぬアンチファシストであることも可能でした。ピカソの絵を好むことはアンチ・ファシスト信仰の表明を意味していましたが、ソヴィエト映画を好むだけでは充分な信仰の表明とは言えないのでした。ジードを読むことはかつては長いこと進歩主義の証拠とされましたが、ある時からファシズムの証しとされるようになりました。選民も存在します。黒人は必然的にアンチ・ファシストです。ユダヤ人もそうです。それに対してアラブ人はファシストであることも有り得ました。また呪われた民も存在します。陸軍士官学校生徒は間違いなく奴隷商人であり、海軍将校ともなればさらに憎むべき存在とされました。一般に元軍人は常に疑わしい存在と見なされます。自由恋愛は本質的にアンチ・ファシストで進歩主義的とされますが、逆に子供を持つことはとんでもない馬鹿げたことです。ラ・ロック少佐という名のこの時代の将校は、強制収容所で亡くなりましたが、あらゆる野獣の烙印を押されました。家族、労働、そして祖国の話ばかりをしていたからです。どれも退歩的な響きの言葉ばかりですが、後に実際、これらが許しがたい奴隷主義的精神に満ち満ちていることが発見されました。まさにアンチ・ファシズムを最も逆鱗させる言葉なのです。アンチファシズムが一手に集めた力が、後に着実に実行されたことを私達は長年見てきました。大地への愛、子供への愛、労働への愛といったあらゆる農民の美徳、フランス民族の肉体的美徳、いえフランス民族に限らずすべての西欧民族の美徳、これこそがアンチ・ファシズムにとって征伐すべき宿敵だったのです。自由と進歩主義だけでは足りませんでした。私達が持つ民族特有の反応、生命に直結する反応を圧殺しなければならないのでした。いつの日か私達が本当の自由とは何か、喜びとは何かを発見してしまう危険がないように、私達の中にある生命を殺さなければならないのでした。私達の中にある民族性は、粘り強い生命力を持ち、時に急激に目覚めたりします。この目覚めを妨げなければならないのでした。そのために黒人が送り込まれ、ゲットーが丸ごと大量帰化され、日刊紙とラジオ、ポルノグラフィー、広告、金持ちの賞賛、安物メッキ商品の愛玩、ボクサーとヌーディストダンサーを聖人視させることによる白痴化が進められました。すっかり麻痺した服従しきった世代は、ピックアップギターとメリーゴーランドの楽隊に耳を塞がれ、乾いた口と濁った目をして爆竹の間を飛び跳ね、埃とアルメニア紙の匂いが芬々とする見世物市をうろうろします。人魚や怪獣の姿に目を見開き、決して満腹することのないバザー、盲目の雑踏の中をぐるぐる回り、人生が、吐き気を催すような永遠の日曜日であることをぼんやりと夢見ています。これがアンチ・ファシズムです。はじめは自由の名がありました。続いて進むべきラインが示されました。進歩主義を望まなければならない、進歩に向って生きなければならない。そして最後にはひとつの人生像が提示されたのです。この見世物市を愛し、この群集に付いていき、そのよちよち歩きに合わせてよちよちしなければならないのです。

はじめはファシズムと闘わなければならないと言われました。このただ否定的であるだけの指令は中身のない枠でしかありませんでした。枠は徐々に満たされていき、ついにはファシズムの対極にあるすべてのものがそこに含まれるようになったのです。そしてファシズムとは本質的に健全な国民国家をボルシェヴィズムの浸透から守ることであったため、アンチ・ファシズムはこの防御本能の反対であるものをすべて絶賛し、強要するようになったのです。ファシズムとは健康と力を表していたため、アンチ・ファシズムは必然的に健康と力に反するものとなりました。アンチ・ファシズムとはソヴィエトの共産主義ですらありません。何故なら純粋な共産主義には健全さと力が存在するからです。アンチ・ファシズムとはトロイの木馬だったのです。その目的は唯一つ。ヨーロッパにおける脆弱な地域の存在を永続化させることでした。その目的は共産主義政権の樹立ではありません。アンチ・ファシズムの真の目的は、あらゆる国民国家を共産主義の浸透に対して無防備な状態に保つことにあったのです。アンチ・ファシズムの使命は国家を腐敗させることなのです。アンチ・ファシズムが常に純血性や魂、国民的意思を叩くのはそのためです。アンチ・ファシズムは国家の無力化を意図し、見事にそれに成功しました。今日の惨憺たるヨーロッパとは、アンチ・ファシズムが実現させたヨーロッパなのです。

これこそがアンチ・ファシズムの望んだものでした。ヨーロッパの腐敗によって彼等の未来が約束されるからです。共産主義とは何よりもまずこの原初の肥やしを必要とするのです。共産主義は、ゴミと茨に覆われたある種の空き地のようなものになった国家のなかにしか育つことができないからです。(……)」


モーリス・バルデシュ(1907年10月1日〜1998年7月30日)

フランスの文学者。戦前からバルザック研究の一人者として知られ、ソルボンヌ大学で教鞭を取ったが、ブラジヤックの義弟であることから追放され、1944年には政治活動とは無縁だったにもかかわらずドゴール政権に逮捕される。ブラジヤックの銃殺に義憤し、レジスタンス、ドゴール派による第二次大戦史改竄を糾弾する『フランソワ・モーリアックの手紙』を1947年に執筆。歴史見直し主義の先駆者となる。さらにはニュルンベルク裁判の欺瞞を暴いた『ニュルンベルク、または約束の土地』を1948年に発表し、再び逮捕され、禁固刑一年の判決を受ける。文学者、大学者としてのキャリアをかなぐり捨てて、生涯を義兄ブラジヤック擁護のために捧げた。