「今回はホロコースト肯定派の唯一のソースとも言えるニッコー・プロジェクトをネタにしてみよう。
はっきり言って、ニッコーの主張は穴だらけで、いままでの逆転ニュルンベルグ裁判を読めばこのようなページなど必要ないのだが、ネタがないのだから仕方ない。
『ホロコーストがあったという決定的な証拠』を持っているという人は是非とも掲示板に書き込んでくれたまえ。
さて、ユダヤ系カナダ人が運営するWebサイト『ニッコー・プロジェクト』は66個のQ&Aから成り立っている。
一般的質問にIHRが答え、それにニッコーがイチャモンをつけるという構成だ。
というわけでさっそく行ってみよう」
*IHRの主張(オリジナル版、サミスダット版、修正版の結合)
証拠はない。唯一の証拠は「生存者」個人の戦後の証言である。この証言は矛盾しているし、ガス殺を実際に目撃したと主張する主張する「生存者」は一人もいない。当時の証拠文書も、物的証拠もなんら存在しない。犠牲者の灰の山も、何百万もの死体を焼却することが可能な火葬炉も、犠牲者が脱ぎ捨てた服の山も、人間の脂肪で作られた石鹸も、人間の皮で作られたランプシェードも、記録も、信じるに足る人口統計も存在しない。
*ニツコーの回答
嘘の上に積み重ねた嘘、真実の一片さえ無い。
●唯一の証拠は「生存者個人の戦後証言」だとされている。(略)主要なポイントは、これら拷問の犠牲者とされる人々の一人も――50年間で一人たりとも――証言は強制されたものだという主張を支持するために、現われ出ていないのだ。
「強制されてない=事実というのは成り立たん」
そして、多くのケースの中でわずかに、例えばゲッペルスの日記のみは、まったくの幸運でかろうじて、7000ページもの反故紙として売られてしまうところから救い出されたのだが、しかし、四散した手書き原稿に埋もれた記述のいくつかは、全体像を語っている。
「カチンの森がナチの仕業と書いてあり、アメリカ政府がその日記が本物だと認めてないというあの疑惑の日記か……本編でやったネタだな」
(略)しかし、我々は生存者やナチや他の人々の証言だけに頼る必要はない。戦後の記述ではなく、ガス殺や他の残虐行為に関係する多数の戦時中の文書が、アメリカ軍によって押収された。そのほとんどはワシントンDCの国立文書庫にあり、一部はドイツにある。
「そんな書類があるわけないだろう。1984年に、シュトゥットガルトで「第二次大戦におけるユダヤ人の殺戮」という歴史家の会議が開かれたが、その参加者は、一つの点、すなわち絶滅の文書命令は発見されていないという点で一致している。これも本編でやったネタだな。
ニッコーの出す資料の欠点は、「誰が・いつ・どこの場所で・誰を・どのような方法で殺害したか」が明確ではないことだ。そのうえ、他の史料と相互矛盾を含んでいる。これでは史料の価値がない」
(略)そしてヒトラーは、公の場で少なくとも3度にもわたり、きわめて明確に言っている。
「連合軍の発表では絶滅計画は極秘だったのではないのか? 公なんて言ったら当時生きてたドイツ人に一発で嘘だとばれるぞ。これも本編でやったな」
(略)●「犠牲者の灰の山もない」というのは内的矛盾である。このQ&Aを出版したIHRが発行している雑誌の記事の中で、雑誌の編集人は、1946年にポーランドの委員会がトレブリンカ絶滅収容所から、20フィート以上もの深さの人間を焼いた灰を発見した、とリポートしている。この記事はグレッグ・ラビンのウェブ・サイトで入手できる。マイダネク収容所にも犠牲者の灰の山が残っている。
「本編でやったネタだな。伝染病で死んだ遺体は火葬してたから灰があるのは当たり前だ」
(略)●何百万もの死体を焼却することが可能な「火葬炉もない」のだろうか? これは絶対に嘘である。ナチ自身の内部メモによっても、生存者証言によっても、火葬炉はこの仕事をこなすよりもずっと高性能だった。
「そんなものは存在しない。途中で焼却炉の耐火資材がぶっ壊れてしまう。それについてはこちらを参照のこと」
(略)●「犠牲者が脱ぎ捨てた服の山もない」? どうもIHRは服の山が「確固たる証拠」であると考えているようだ! 奇妙な話である。なぜなら、IHRはナチの収容所で発見された他の種類の「山」については否定していないのだ。
「その山は犠牲者ではなく、シラミだらけの不潔な衣服の山だ。犠牲者などいないのだから、犠牲者の脱ぎ捨てた服もない」
(略)●「人間の脂肪で作られた石鹸もない」? これは本当だが、読者をミスリードしている。非常に限られた実験的な規模で死体から石鹸が作られたという証言や証拠がいくつかあるが、噂されたような「大量生産」はけしてなされず、知られている限りで人間の死体から作られた石鹸は現存しない。だがしかし、石鹸製造実験が行なわれたと供述する、イギリス兵捕虜たちとドイツ軍の役人の宣誓証言があり、それはいまだに反駁されていない。また、人間石鹸の製造法を記した文書も、連合軍によって押収されている。ナチスが人類を材料に石鹸を作らなかった、と単純に述べるのは不正確である。
「人間石鹸は嘘だと自分で認めてるではないか……。人間石鹸の存在はイスラエルのホロコースト博物館でも否定してるというのに。
実験的なものがあるかどうかというのもわかるわけないだろう。すべての書類は米軍が没収してしまったのだから。もし没収した資料から、実験的な人間石鹸を立証できる証拠があるなら公表するだろう。公表しないのはそんなものが存在しないからだ」
●「人間の皮で作られたランプシェードもない」? 嘘だ。――ランプシェードと他の人皮製「装飾品」は、イルゼ・コッホの2回の裁判で証拠として提出され、40年代の終わりには合衆国上院調査委員会にも提示された。それらが人間の皮で作られていると分かる理由は、刺青が彫られているからであり、これらの品物に対する顕微鏡による法医学鑑定も行なわれているからだ。
「その皮はヤギの皮だ。刺青=人間の皮という結論がどこからでてくるやら……これも本編でやったネタだな」
●「信じるに足る人口統計も存在しない」? これは「灰の山」に続く2番目の内的矛盾である。
(略)殺されたユダヤ人の総数――――5,721,500
「アウシュヴィッツ博物館の発表で、アウシュヴィッツの犠牲者数が400万から100万に減った。
それくらいいい加減な数字だ。信用できるわけがない。これも本編でやったな」
*IHRの主張
広範囲にわたる、法廷における、人口統計学の、分析的な、そして比較研究による証拠は、このような数字の不可能性を論証している。広く繰り返し主張されている「600万」という数字は無責任な誇張である。
*ニツコーの回答
最初に指摘しておこう。この疑問に対する答えの中でIHRは、あることが起こ……らなかったことを証明する「広範囲にわたる証拠」を有していると主張している。一方、ホロコースト否定者たちは、しばしば、自分たちが何も証明する必要はないと主張している。彼らの言によれば「無かったことを証明するのは不可能だ」からだ。グレッグ・ラビンはこのことを少なくとも2度言っている。一度は暗黙のうちに、もう一度は明白に。
「もしもIHRがこのように答えたのが本当ならばニッコーの指摘は正しい。
で? ホロコーストの証拠はあるのか? 次に行くぞ次」
*IHRの主張(改訂版)
そうだ。この有名な「ナチ・ハンター」は1993年1月24日の「スターズ・アンド・ストライプス」でそう書いている。彼はユダヤ人の「ガス殺」はポーランドでのみ行なわれたとも主張している。
*ニツコーの回答
どちらの回答もそれ自体に間違いはない。
(略)ナチスがドイツ国外に絶滅収容所を建設した理由として、最低二つが挙げられるだろう。第一に、より容易にドイツの一般民衆から絶滅収容所の存在を隠すことができた。旧帝国領の周辺地域は戦時下の混乱の中にあったので、よりたやすく隠せたことだろう。
2番目に、殺されたユダヤ人のうちのかなり多くは、ナチが占領したドイツ東方や南方の地域の出身だった。彼らをわざわざドイツ本国に運びこむ余計な面倒をかける必要があったのだろうか?
「特に言うこともないな。戦後の調査でドイツ国内には絶滅収容所がないことが明らかになったというだけだ。
で? 次行くぞ次」
*IHRの主張
連合軍がダッハウ収容所を占領した後、何千人ものアメリカ兵が収容所の中に通され、ガス室であると強弁されている建物を見せられたからだ。また、マスメディアが、ダッハウは「ガス殺」収容所だという偽りの情報を大々的に流したからでもある。
*ニツコーの回答
数万人もの人々が餓死させられ、収容所内のそこかしこで殺されたという意味で、確かに、ダッハウは死の収容所だった。しかし「絶滅収容所(extermination camp)」という用語は、ダッハウには当てはめないほうがよいだろう。
(略)疑問とされていないのは、そこにガス室が存在したということである。
「ガス室は衣服についたシラミを殺虫するためのものだ。『シラミ用のガス室があるからダハウは絶滅収容所だ』と言い張ってるのはニッコーとそれをソースにするヤツだけだ。大量の死体を連合軍の法医学者(チャールズ・ラーソン)が司法解剖した結果、栄養失調と病気が死因の大半で、毒ガスが原因だった死体は一体も見つかってない。これも本編でやったな」
*IHRの主張
証拠はない。そのような証拠に対して5万ドルの懸賞金が提供されていて、賞金は銀行に信託預金されているが、信頼できる証拠を持ってきた人間は一人もいない。アウシュビッツはソ連に占領され、戦後大規模な修正をほどこされた。そして死体置場が大きな「ガス室」に見えるように改築されたのだ。それは現在、ポーランド共産主義政府のための、旅行者向けのビッグなアトラクション施設となっている。
*IHRの主張(改訂版)
証拠はない。アウシュビッツはソ連に占領され、戦後修正をほどこされた。そしてある部屋が大きな「ガス室」に見えるように改築されたのだ。ガス室の設計と建設に関するアメリカの指導的専門家フレッド・ロイヒターは、この部屋とアウシュビッツにおいてガス殺設備だと強弁されている他の設備を調査した。その結果、ロイヒターは、それらが処刑目的に使用された、あるいは使用可能だったという主張は「不合理」であると述べた。
*ニツコーの回答
5万ドルの懸賞金提供に関しては、それはアウシュビッツの生存者メル・マーメルシュタインに対して、最後の1セントまで完全に支払われた。(実際には9万ドル)
(略)IHRは、この事実を議論する機会を与えられなかったと不平を言っているが、アメリカの法廷機構は、常軌を逸した理論の証明を試みる場所として設けられたものではない。いかなる召喚も無かったから、いかなる「信じるに足る証拠」も出されなかったのだ。
「ホロコーストを否定したら社会的地位を失うような国でどうやって法廷で勝てというのだ?
それにニッコーの回答はアウシュヴィッツに殺人ガス室があったということを証明していない。
勝利宣言してるだけではなぁ……
次いくぞ次」
*IHRの主張
それは大規模な製造業の複合体だった。合成ゴム(ブーナ(Buna))がそこで生産された。収容者は労働力として使用された。ブーナの生産プロセスは第2次大戦中の合衆国でも用いられた。
*IHRの主張(改訂版)
それは拘留センターであり、大規模な製造業の複合体の一部だった。合成燃料がそこで生産された。収容者は労働力として使用された。
*ニツコーの回答
ある程度は真実。アウシュビッツは巨大な複合体だった。そこには通常の捕虜収容所もあった(イギリス空軍の兵士たちも収容されていた。彼らは絶滅収容所のすぐ近くで虐殺行為を目撃したと証言した)。アウシュビッツ2、別名ビルケナウは、一番大きな収容所で、ガス室もここにあった。アウシュビッツ3、別名モノヴィッツは、工業製造プラントだった。
実際に、アウシュビッツでは多くの囚人が強制労働につかされた。しかし「不適格者」――老人、子供、それに女性の大部分を意味する――は、ただちにガス室に送られた。
「不適格者はガス室送り説か……
ソ連軍がアウシュヴィッツに来たとき、オットー・フランク(アンネ・フランクの父親)は病気で入院していた。もしも働けなくなったらガス室送りなら、オットー・フランクはソ連が着たときには死んでいたはずだ。それが生きていたというのだからこの説は嘘だな。
他の例としては、アウシュヴィッツ博物館に保管されている記録は、1942年7月〜1944年6月のあいだに、15706名の囚人――大半がユダヤ人――がモノヴィツ(アウシュヴィッツのサブキャンプ)で治療を受けたことを明らかにしている。そのうち766名が死亡し、残りは退院している。
これだけの人数が治療を受けたのならばもはや不適格者ガス室送り伝説は崩壊したと言えるだろう。
これも本編で散々やったネタだ」
*IHRの主張
西欧世界において最初に強制収容所が使われたのは、明らかに独立戦争中のアメリカにおいてである。イギリス軍は何千人ものアメリカ人を拘禁し、その多くは病気と殴打によって死んだ。アンドリュー・ジャクソンとかれの兄弟――彼らは死んだ――の場合は両方だった。後にイギリス軍は、南アフリカに強制収容所を設立した。その目的は、イギリスが南アを征服する間(ボーア戦争)に、アフリカーナー(オランダ系移民)の女性と子供を捕らえておくためだった。これらの地獄穴で何万人もが死んだ。これは、第2次大戦中のいかなるドイツの強制収容所と比べても、ずっと悪い。
*ニツコーの回答
ホロコーストの問題とは無関係なもの。
「これはニッコーが全面的に正しい。
もしどうしても他の収容所と比べたいならば、故アラファト議長が紙面上で言っていたように、イスラエルのアラブ人収容所はナチのそれよりよっぽど酷いということを暴露すべきだった。次いくぞ次」
*IHRの主張(オリジナル版と改訂版)
名前が違う以外、唯一の重要な違いは、ドイツ人は、ドイツの戦争努力に対する現実の保安上の脅威もしくはその容疑を根拠に人々を拘禁したが、それに対して、アメリカ人は、人種それのみを根拠に人々を拘禁したということだ。
*ニツコーの回答
ホロコーストの問題とは無関係で、しかも真実ではない。「ドイツ人は、ドイツの戦争努力に対する現実の保安上の脅威もしくはその容疑を根拠に人々を拘禁した」というのは真実かもしれない――もし、すべてのユダヤ人が単にユダヤ人であるという美徳ゆえに、保安上の脅威の容疑者だったということを認めるのならば。
「ホロコーストとはあまり関係のない質問だな。
日系アメリカ人はアメリカに宣戦布告してないが、ユダヤ系ドイツ人はドイツに宣戦布告した。
経済制裁を戦争行為と考えるならば、ユダヤ人は収容所にぶちこまれる理由を持ってるといえる。
このとき、ユダヤ人の中でこの宣戦布告を非難する勢力がまったく存在しなかったことは致命的だ。
さて、次だ次」
*IHRの主張
ユダヤ人はドイツの国家主権と生存に対する直接の脅威である、とドイツ人は考えたからだ。そして、ユダヤ人は共産主義者の破壊的活動を圧倒的に代表していたからだ。とはいえ、保安上のリスクと疑われるものはすべて――ユダヤ人に限らず――拘禁される危険にさらされていた。
*サミスダット版の主張
ユダヤ人はドイツの国家主権と生存に対する直接の脅威である、とドイツ人は考えたからだ。ユダヤ人は共産主義者の破壊的活動を圧倒的に代表していた。人口の割りに、ユダヤ人は政府の要職、商業的地位、専門職を代表しすぎていた。とはいえ、保安上のリスクと疑われるものはすべて――ユダヤ人に限らず――拘禁される危険にさらされていた。
*ニツコーの回答
ユダヤ人すべてが共産主義者、もしくは国家の安全に対するリスクだったのか? さらに、ポーランドのようなドイツ以外の国々のユダヤ人も? さらに同性愛者やジプシーも? これはナチスのプロパガンダの中でも最悪な類のよみがえりである。ユダヤ人が「共産主義者の破壊的活動」を「圧倒的に代表」し、間違った「専門職」についているという論述は、反セム主義のナチス・プロパガンダそのものである。
「危険なユダヤ人とそうでないユダヤ人の判別は事実上不可能だ。
ユダヤの中からドイツと平和的にやっていこうという声がなかった以上、すべて同じと見るしかない。
同性愛者やジプシーに関しては、ホロコーストとまったく関係がない。
当時、同性愛者が逮捕されるのは当時の先進国ならどこでもそうだし、ジプシーが逮捕されるのは彼らが身分証を持ってないからだろう。戦時中に自国民でもないのにパスポートも持っていないのでは逮捕されても仕方あるまい。
ジプシーの文化は、日本を含む先進国からすれば『移動生活』であり、一般人がこのような生活をしてれば犯罪者と思われる。
定住してなければ定職にはつけないし、定職につけなければ収入がないから乞食・売春・泥棒という行為にはしる可能性も高くなる。大道芸で食べていけるのは極一部なのだから当たり前の話だ。
ジプシーの大半は学校に行かないから字も読めない。
それでもジプシーの文化を認めろというなら、どこかの国がまとめて引き取れ。ただし自分の国に来るのは勘弁な。
と、そういう結論になるわけだな」
*IHRの主張
ドイツ製品の国際的ボイコットである。
*サミスダット版の主張
1933年3月24日、国際ユダヤはドイツに対して宣戦を布告し、ドイツ製品に対する世界規模のボイコットを指令した。ドイツ政府がユダヤ人を影響力のある地位から去らしめ、権力をドイツの人々の手に取り戻したという、それだけの理由でだ。このボイコット指令とユダヤ人による対ドイツ「戦争」は、世界的なメディアで報道され、ありとあらゆるところに放送された。ドイツの「死の収容所」についてのインチキな作り話は第2次大戦以前に流布された。その結果として、ドイツは、ユダヤ人を戦争捕虜として扱うあらゆる権利を得たのだ。1933年から45年の間、いつどこにおいても。
*ニツコーの回答
このボイコットは、次の疑問11番で言及されていることとまったく同じものでしかないようだ。違うのは、疑問11番では「ドイツへの宣戦布告」として言及されているということだけだ。なぜIHRは、この一つの出来事を二度にわたり違う言い方で表現したのだろうか? 何かうさん臭いことがなされているようだ。ドイツ製品のボイコットは、ナチスのさまざまな非道への反応として行われた。その非道には、ナチによるユダヤ製品とサービスのボイコット計画も含まれる。だがIHRは、まさに都合よく、このことについて言及するのを「忘れた」のだ。サミスダット版(エルンスト・ツンデル)における騒々しい反セム主義をチェックしておいてほしい。ガス室もユダヤ人絶滅の努力も、全然気にかけていないし、600万人もの死についても全然気にかけていない。あなた自身に単刀直入に訊ねてほしい。ユダヤ人の幼児をわずかな食べ物しかなく衛生設備もない、チフスが猛威をふるっている収容所に送りこんで蝿のように死なせる「あらゆる権利」を、ナチスが持っていたかどうか、と。これらのユダヤ人の赤ん坊も「戦争捕虜」だったのか? 「リビジョニスト」でさえ、このような虐殺が発生したことを認めざるをえない。ホロコースト否定者デビット・アービングは1944年のヒムラーの演説を以下のように描写している。(スケプティックマガジン 第2巻第4号p.50)
「もし人々が私に訊ねるならば」とヒムラーは言った。「なぜ子供たちまで殺す必要があったのか?と。そこで私が言い得ることはひとつ、私はそのような疑問を抱くような臆病者ではないからこそ、自分の子供に対して私自身が為し得る何かを残せるのだ、ということだ」…私はヒムラーがそう言ったと認める。ヒムラーは実際に言った。「我々はユダヤ人を一掃してる。我々は彼らを殺害している。我々は彼らを抹殺している」……ヒムラーはユダヤ人問題の解決について語っている。女性も子供も殺しつくさねばならないということについて。1933年の新聞記事が、ナチスにこのようなことを行う「あらゆる権利」を与えたと言うのだろうか?
「ニッコーは何が言いたいのだろう? 何度読んでもまったく意味がわからん。
ドイツ製品の国際的ボイコットがあったのが事実か否か。それが問題だ。実際あったのだからこれは特に言うこともない。
本編でやったネタだしな」
*IHRの主張(オリジナル版)
そうだ。世界的報道機関が「ユダヤがドイツに宣戦布告」という大見出しで報じた。
*IHRの主張(改訂版)
そうだ。世界中の新聞がこのことを報道した。一例として、ロンドン・デイリー・エクスプレス(1933年3月24日)の第一面の大見出しは「ユダヤがドイツに宣戦布告」と報じている。
*ニツコーの回答
「世界的報道機関」? 「世界中の新聞」? 経済的ボイコット計画について報じるイギリスの新聞が一つ引用されているだけである。この記事の転載は入手可能である。大見出しに続く段落を以下引用しよう。ドイツのユダヤ人いじめ物語の、奇妙で不幸な続編が明らかにされた。世界中のイスラエル全体は、ドイツに対し経済的財政的宣戦布告をなすべく、連合している。今まで上げられてきた叫びは「ドイツはユダヤ人を迫害する」というものだった。もしこの計画が実行されたら、ヒトラー主義者の叫びは「ユダヤ人はドイツを迫害している」になるのだろう。
「一例で不服ならもっと提示してみようか。
1933年3月27日、アメリカのマジソン・スクエア・ガーデンにてユダヤ人による反ドイツ集会(ニューヨーク・デイリーニュースより)
シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ボルティモア、クリーヴランドなど70の他の場所で、マジソン・スクエア・ガーデンと同様の抗議集会。
国境を越えたユダヤ人による国際ボイコットはドイツに深刻な経済制裁を加える結果になった。
1933年のドイツの輸出総額は10%低下し、利益は前年の半分に落ちた。
もしもアメリカやイギリスが同じ事をされて同じ率の損失を与えられたら間違いなく戦争に突入するだろう。
当時のユダヤ人がドイツにやったのはそういうことなのだ。
これも本編でやったネタだな」
*IHRの主張
ほぼ6年も前である。ユダヤは1933年にドイツに宣戦布告した。
*ニツコーの回答
疑問11番への答えでチェックしたように経済的「戦争」だった。ここにも内的矛盾がある。疑問10番への答えの中で、サミスダット版は「ドイツの死の収容所についてのインチキな作り話」は1933年に「流布された」と主張している。もう一つ内的矛盾がある。疑問54番への答えの中でIHRは「ドイツはシオニスト指導部と誠心誠意の関係を維持していた」と述べている。戦争は、誠心誠意の関係などではない。1939年に戦争が勃発した、その何年も前にナチ指導者がなした声明と行動がいくつかある。
1932年夏:プロイセン議会(ワイマール議会)でナチ党は、ドイツ人の血をひかない俳優と芸術家の解雇、ユダヤ教の儀式に従った食用動物の屠殺の禁止、ドイツに居住する東欧ユダヤ人の資産の没収を要求した。
1932年7月31日:ゲッペルスはアングリフ紙に、ユダヤ人に対するポグロムを要求する記事を執筆した。
1933年1月30日:アドルフ・ヒトラーは、ドイツ首相に任命された。
1933年3月:ナチへの反対者たちが逮捕され、最初の強制収容所に投獄された。
1933年3月13日:ヒトラーはゲッペルスを大臣として情報宣伝省を設立した。
1933年3月23日:ヒトラーは「国民と帝国から苦難を除去するための法律」に署名した。これにより、ヒトラーにドイツ国内の地方議会すべてを廃止する権限が与えられた。
1933年3月24日ユダヤがドイツに宣戦布告(※作者注)
1933年3月31日:プロイセン州の司法長官ハンス・ケールとババリア州の司法長官ハンス・フランクは、すべてのユダヤ人判事と検事はすみやかに職を解かれ、ユダヤ人法律家と公証人は今後営業を許可されないと告知した。(彼らの州において。同じ言明がその後すぐに他の州にも広がった)
「ニッコーは質問に答えろ。前だったのか? 後だったのか? どっちだ?
答える気がないなら最初からこんなQ&Aなど作るな。
あとユダヤ人に共産主義者が多かったことや、宣戦布告については本編参照のこと」
*IHRの主張
イギリス――1940年5月11日。
*ニツコーの回答
スペイン内戦中の1937年、スペインのゲルニカの町が、ドイツ空軍により爆撃された。だが、このこととホロコーストとどんな関係があるのだろうか?
「ニッコーの言うとおり、ホロコーストにはまったく関係ない。第三者が両爆撃の命令を下した指揮官を法廷で裁けばいいだけの話だ。戦勝国と敗戦国を同じように裁く法廷が実在すればの話のだが。次行くぞ次」
*IHRの主張
一つもなかった。
*ニツコーの回答
例の通り間違っている。例の通り証拠がない。アウシュビッツには5つの「クレマ(Krema)」があり、それぞれが、他のあれこれとともに一個のユダヤ人絶滅用ガス室と、犠牲者を火葬するための焼却炉を備えていた。最初の1つは本来の使用目的から改装されたものだった。残りの4つは最初からガス室として設計されていた。
(完全を期するために:プルサックという、有能で高く評価されているアマチュア研究者は、最も大きな二つのクレマは、もともと死体置場として設計されたのだが、建設のごく初期にガス室へと設計変更されたと考えている。この見解においては、彼は研究者の中では少数派である)
他に二つの絶滅用設備があった。「ブンカー1」もしくは「赤い小屋」と呼ばれたものと、「ブンカー2」もしくは「白い小屋」と呼ばれた設備である。
再び完全を期するために:最初のガス殺は第11ブロックの地下室で行なわれた。また、6番目のクレマも存在したのだが、きわめて初期の計画段階でしかなかった。
「ようやくまともそうな話題になったな。
アウシュヴィッツのガス室に関しては本編参照のこと。
結論から言うと、5つのガス室の壁からはガス殺を立証できるほどのシアン化合物が検出されていない。
ガス室ではない壁と同等程度のシアン化合物しか検出されてないのだから、この部屋で毒ガスは充満したことはないのだ。
なお、普通の壁からもシアン化合物が検出されるのは、毒ガスとされるチクロンBが殺虫剤で、建物全体を消毒したからだ。
ブンカー1、2に関してはナチの資料に載っておらず、どこにあるのかわからない。UFOと同じだ。
地下室や6番目のクレマについても同じで、どこにあったのかすらわからない。以上だ」
*IHRの主張(オリジナル版)
400万人以下である。
*IHRの主張(改訂版)
600万人以下である。
*ニツコーの回答
IHRは疑問1番で「信じるに足る人口統計も存在しない」と言ったばかりではなかったのか? ポーランドに約300万人、ハンガリーに100万人、ロシアのナチに占領された地域に100万人以上、そしてヨーロッパ全体ではもっともっと多く。ヴァンゼー会議に出されたナチ自身の数字によっても、占領されたヨーロッパには1100万人のユダヤ人がいた。疑問1番への答えを見よ。
「半分はニッコーが正しい。ユダヤ人の正確な人口はわからんのだから言うべきではない。
それとは別にニッコーの1100万という数字のソースのヴァンゼー会議が会議の内容はおろか、会議そのものが存在しなかったことは本編参照。
ヴァンゼー会議の存在はイスラエルの国立ホロコースト博物館も否定しているのだが、ドイツのヴァンゼー博物館は何のために存在してるのだろうか……天下りか? どこも同じだな」
*IHRの主張
戦後、ヨーロッパのユダヤ人は相変わらずヨーロッパにいた。それ以外、おそらく30万人が戦争中にさまざまな理由で死に、イスラエル、合衆国、アルゼンチン、カナダ、その他に移民したものもいた。ヨーロッパを離れたユダヤ人は、戦争中ではなく、戦後になったからそうしたのだ。彼らのことはすべてキチンと説明できる。
*ニツコーの回答
これは馬鹿げている。約500万人もの消えたユダヤ人が第2次大戦後、これらの国々に移民したとほのめかしているのだろう。これには現実的な根拠が無いし、長期的視野で見るとおかしい。これらの国々のユダヤ人のほとんどは、第2次大戦前に移民していたのだ。たとえば、パレスチナでは、戦前の1936年には37万人のユダヤ人がいたが、戦後の1947年には59万人だった。アメリカでは1939年には554万人のユダヤ人がいたが、現在は約600万人だ。実際には、約600万人の消えたユダヤ人がいるのだ。それはキチンと説明されはしない。――ドイツの収容所を別として。 興味深いことに、著名な「リビジョニスト」デビッド・アーヴィングは最近、ラジオのインタビューの中で驚くべき告白をなした。まったくだしぬけに、彼は、戦争中に強制収容所で400万人のユダヤ人が死んだと今は信じている、と述べたのだ。
「死んでないならどこかで生きてるのだろう。ただそれだけの話だ。戦時中の人口変動の詳細は誰にもわからない。
日本のように戸籍があるわけではないのだからな。
戸籍がきっちりしていない国や地域の人口統計、それも戦時中の混乱の中ではまったくと言っていいほど意味がない。
次だ次」
*IHRの主張
200万人以上である。ドイツ軍はこのユダヤ人住民に接触することはなかった。
*ニツコーの回答
残ったユダヤ人数はどのくらいだと勘定できる? 疑問18番を見よ。
「正確な戸籍がないから正確な数はわからん。以上」
*IHRの主張
100万人以上である。(ソ連に吸収された分は含まない)
*ニツコーの回答
そうだ。それでも600万人以上が残った。ヴァンゼー会議に出されたナチ自身の見積もりによれば、1937年には約1100万人のユダヤ人がヨーロッパにいたのだ。
「正確な戸籍がないから正確な数はわからん……!」
*IHRの主張(オリジナル版)
彼はイギリス軍の制服を着たユダヤ人の尋問者たちにより拷問されたのだ。尋問者の一人は後にそのことを認めている。
*IHRの主張(改訂版)
彼はイギリス軍の憲兵により拷問されたのだ。彼の尋問者の一人が、後に認めている。
*サミスダット版の主張
彼を逮捕した者たちが、聞きたいと望むことを語るように、昔ながらの方法が使われたのだ。
*ニツコーの回答
ちょっと待ってほしい! 訂正版それぞれで、お話がどんどんあいまいになっている。
この拷問者は、正確には何を認めたのだ? IHRの最初の主張では、尋問者たちはユダヤ人のスパイで、イギリス軍の(偽の)制服を着ていたということだった。もしこれら尋問者の一人がこのことを認めたと仮定するならば、なぜIHRは周辺のあれこれを変更し、身分を偽ったユダヤ人スパイを、本物のイギリス憲兵に変えたのだろうか。
「ちょっと待ってほしい! ニッコーの答えは何の答えにもなってない。拷問されて無理やり自白させられたのか否か。それくらいは答えるべきだ。そして実際にヘスを拷問したバーナード・クラーク本人(イギリス国籍のユダヤ人)がそれを自慢している。本編でやったなこれも」
*IHRの主張
ある。この不名誉なニュルンベルク裁判や他の戦後「戦争犯罪」裁判のための、不正な「証拠」をでっちあげるために、拷問が広範囲にわたって行なわれた。
*ニツコーの回答
間違った扱いが何件かあったことに疑いはない。連合軍兵士の一部は、収容所で目撃したことに非常にショックを受け、それに対する反応が暴力行為となった。しかし、このことは総体的情況においては、重大な要素ではない。自白を引き出すための拷問「政策」とは、はるかに隔たったものだ。
「バーナード・クラークの自慢話が証拠。そして拷問で言わされたヘスの証言が矛盾だらけなのも証拠。
拷問による偽の自白を自慢してるヤツを逮捕しないこと自体、それが政策だったことを意味している。
ニュルンベルグ裁判は戦勝国のデモンストレーションに過ぎない魔女狩りだったのだ」
*IHRの主張
それによって、ユダヤ人全体に対するいかなる批判も不可能になっている。それによって、ユダヤ人のリーダーは、ユダヤ人たちをコントロールできる「共同のきずな」を得ている。それは、募金キャンペーンの手段となり、イスラエルに対する総計で一年あたり約100億ドルもの援助を正当化している。
*サミスダット版はさらに付け加える
この「大いなるHの物語」は、非ユダヤ人を恥じさせるように仕組まれている。「かわいそうなユダヤ人! なんてひどい目にあったのだろう」と。
*ニツコーの回答
この論は狂気すれすれだ。合衆国はホロコーストを世に知らしめようとする指導的勢力の一つだ。合衆国がホロコーストを捏造し、ゆえに後にイスラエルに資金を与えることができたというのか?
旧ソ連についてはどうだ? ホロコースト否定者は、ホロコーストに関するでっちあげ証拠の大部分は旧ソ連ででっちあげられた、と主張している。否定者の本の中で比較的よく知られているのがポーターの「ロシア製ホロコースト」だ。ソ連は伝統的にイスラエルの敵だったにもかかわらず、イスラエルを援助し、武器を与えているというのか。
「国際法では賠償金は政府間でのみ支払われる。よってユダヤ団体に支払う義務などない。
しかし、ドイツは総額8000億ドル支払うことになった。
年間100億ドルのソースはこの8000億ドルを50年で割った数字だと思われる。
イスラエルが国家としてスタートした最初の十年間,ドイツからの賠償金がなければ、現在のインフラの半分も整備されていなかっただろう。イスラエルの全ての鉄道・船・電力設備・産業基盤はドイツ製だ。
その上,生存者に支払われる個人賠償があった。イスラエルは現在、ドイツから毎年何億ドルの賠償金をドイツ通貨で受け取っている。
もう数年経てば、イスラエルがドイツから受け取った賠償金の総額は、宝石売却による資金の2倍,もしくは3倍になるだろう.この賠償に現在、不服を言う者は誰もいない。
ホロコーストで利益を得てないというのならば、今まで支払う義務もなく払っていた分を返済すべきだ。
どーせ返済する気はゼロだろうが。
このへんは本編でやったな。
旧ソ連に関してはプロパガンダのナチそのものの残虐行為をしていた。
それをカモフラージュするのにホロコーストほど都合のよいものはない」
*IHRの主張
それは、イスラエル国家が「賠償」として西ドイツから何10億ドルをも受け取ったことを正当化している(東ドイツは支払いを拒否している)。それは、シオニスト/イスラエルロビーによって、アメリカのイスラエルに対する外交政策をコントロールし、アメリカの納税者にイスラエルが欲しがるだけの金をすべて提供するよう強いるために使われている。そしてその金額は年々増加している。
*サミスダット版の主張
それは、イスラエル国家が「賠償」として西ドイツから650億ドル以上を受け取ったことを正当化している。それは、シオニスト/イスラエルロビーによって、アメリカのイスラエルに対する外交政策をコントロールし、アメリカの納税者にイスラエルが欲しがるだけの金をすべて提供するよう強いるために使われている。そしてその金額は年々増加している。
*ニツコーの回答
ナチスによって殺された人々に対しては、一文の賠償金も支払われていない。賠償金は、生存者に対して、彼らが失った財産と受けた苦しみの補償として支払われているのだ。もしも賠償金要求が第一の動機だったなら、死者数を極大化するのではなく極小化するのが生存者のためであっただろうことは、明白である。
「死者数は多ければ多いほどいい。そうすれば自称遺族や、自称ユダヤ人権団体が代わりにもらうだけだ。それを非難するユダヤ人もいるが、不法に弾圧されて自浄作用が働かない。さすがキリストを磔にした民族。ユダヤ人はまさに金の亡者だ」
*IHRの主張
それは、ユダヤ人を迫害された「選民」であるとみなす旧約聖書の思想と互いに関係がある。それは、イスラエルが支配する「聖地」というものを、牧師に受け入れやすくしている。
*ニツコーの回答
たぶん、この主張について論評できる牧師がいるだろう。
「ホロコーストがあったかどうかという点に関してはまったく関係がない」
*IHRの主張
それは、戦時中と戦後において、共産主義者自身による戦争商売と残虐行為とが広く行なわれたことを隠蔽している。
*ニツコーの回答
歴史学者と、それに事実上一般大衆も、共産主義者の残虐行為については十分承知している。共産主義が酷いのと同様に酷いこれらの残虐行為は、ホロコーストの事実とは無関係である。
「ナチが悪玉になればなるほど、それを倒したソ連は善玉というプロパガンダが広めやすくなる。
シンドラーのリストに出てくるソ連軍がまさにそれだ。共産主義者がホロコーストがあったと言い張る理由はそこにある」
*IHRの主張
ソ連に利益を与えているのと同じように。
*ニツコーの回答
無関係な倫理相対主義。
「ニッコーは答える気がないようだ。なんのためのQ&Aかさっぱりわからん。
ホロコーストがあろうがなかろうが、利益を与えていることは事実だろうに」
*IHRの主張
ない。
*ニツコーの回答
もちろんある。ヒムラー、アイヒマン、ヘスその他は、ジェノサイド命令が直接ヒトラーから下されたと言っている。
(略)
●さらにその上、ヒトラー自身の公的な演説も含めて、疑問1番への回答に引用されている。ヒトラーは、ユダヤ人を絶滅させるという自分の意思を、少なくとも3回以上、公の場で述べている。
「……言っている、で、その命令書はどこに?
命令書の内容が実行されたことを裏付ける証拠もないというのに……
あと演説をソースにしたら(ry
次だ次」
*IHRの主張
チクロンBというシアン化水素のガス(hydrocyanic gas)だ。
*ニツコーの回答
驚くことに、この短い答えの中に二つも誤りがある。
最初に、チクロンBはガスの担体であり、ガスそれ自体ではない。チクロンBは登録商標名であり、通常は、液体のシアン化水素と刺激物とで飽和させられた、材木チップもしくは珪草土である。
2番目に、この疑問におけるガスは水素シアン化物(hydrogen cyanide)だ(時には青酸(prussic acid)と呼ばれる)。「シアン化水素のガス」という言い方は無意味である。なぜなら、シアン化水素のガスは一種類しか存在しないからで、それは水素シアン化物ガス(hydrogen cyanide gas)である。
「すごいぞ。ニッコーがまともなことを言っている。
『名前が違う!』という完璧な突込みだ。……さて次行くか」
*IHRの主張
発疹チフスを媒介する寄生虫を絶滅させるためである。衣服や区画を燻蒸するために使用された。現在でもたやすく使用可能である。
*ニツコーの回答
正しい。だが、このガスは、人間を大規模に虐殺するためにも使用された。SSはHCN(青酸。チクロンBから遊離するガス)のとても便利な「副作用」を発見した。それは人間をきわめて簡単に殺すのだ。
事実、同じ濃度ではシラミや虫よりも、人間や他の哺乳動物をずっと早く殺すことができる。害虫駆除のための濃度である1立方メートルあたり8グラムから10グラムでは、人間を非常にすみやかに殺すことができる。その濃度で虫や衣服のシラミを駆除するには、32時間もかかるというのに。より低い濃度で使われたとしても、死は迅速に訪れる。
事実、今日でも合衆国では、HCNは人間をガス室で殺すために使われている。
「チクロンBは殺虫剤であり、無論人体にも有害だ。
だからなんだ? 人体に無害な殺虫剤などあるわけないだろ。ニッコーは何が言いたいのだ?
『殺虫剤は人体に有害だから殺人ガスに使われた』という読者のミスリードを狙っているのか?」
*IHRの主張
もしもナチスが人々を絶滅するためにガスを使おうと意図していたならば、ずっと有効なガスが入手可能だった。チクロンBは、燻蒸用として使用する場合以外はまったく有効ではない。
*ニツコーの回答
嘘だ。チクロンBの使用は部分的だったが、その理由はそれが人間を殺すのにあまりに有効だったからだ。真実、比較的より有効な他のガスがないわけではない。だがチクロンBは、以下の2つの有利な点によってきわだっていた。
「チクロンBは毒ガス発生に時間がかかるから、作業者が安全なところまで非難する時間が稼げて安全に使用できる殺虫剤だから使っていたのだ。
ただそれだけの話だ」
*IHRの主張
通常は約20時間である。全体の手続きは、きわめて複雑で技術的なものである。ガスマスクの着用が必要で、熟練技術者のみが作業に従事させられた。
*ニツコーの回答
違う。「20時間」という数字は、さまざまな理由で不適切である。最初に、この数字は、換気装置無しの普通の事務所もしくは一般家屋における使用を意図したものである。強制換気がほとんどなされなかったから、この時間中は建物に入ることができなかったのだ。その上、じゅうたん、カーテン、家具など通常の備品があったから、新鮮な空気を入れ替えるにはいっそう時間がかかった。他方、ナチスのガス室は、空っぽのコンクリート製の部屋であり、強制換気装置がついていたから、空気を入れ替えるには5分もあれば十分だった強制換気システムが取り付けられていないガス室もあった。そこでは、死体を運び出す人間はガスマスクを装着した。
「絶滅収容所の殺人ガス室と呼ばれる部屋で換気装置がついていたと立証できる部屋をひとつでいいからあげてもらいたい。
換気装置については本編でやったな」
*IHRの主張
説明不可能だ。なぜなら、そのようなことをしたならば、すでにガス室に入れられていたユダヤ人たちと同様の運命に見舞われただろうからだ。
*ニツコーの回答
非常にたやすく説明可能だし、すでに何度も繰り返し説明されてきた。その学問的業績については、ちゃんとした図書館ならばどこででも閲覧可能だ。そうしなくとも、ほんのちょっとばかり考えれば、解答が何なのか誰でも分かることだろう。解答は、ナチスは最大のガス室において換気システムを組み込んでいて、5分間以内に完全に空気を入れ替えることが可能だった、ということだ(グットマンの「アウシュビッツ 死の収容所の解剖学」1994年 p.232を見よ)。チクロンBをガス室から取り出すための金属製のザルのような装置もあり、換気プロセスの効果を高めていた。 他のガス室には換気システムは備え付けられていなかったので、最初にガス室に入る人々は、ガスが拡散し無害になるまで、ガスマスクを着用した。
ガス室をすみやかに換気し、死体取り出しと焼却にとりかかることが重要だった。――この作業にこそ多大な時間がかかったからだ。ガス殺それ自体には、ほんの数分しかかからなかった。
「アウシュヴィッツのガス室に換気システムなどない。なぜならあれは死体安置室だからだ。アウシュヴィッツに関しては本編」
*IHRの主張
大いにその通りだ。ヘスの告白は、明らかに偽証である。
*ニツコーの回答
さて、これこそまったくのナンセンスだ。爆発を引き起こす最低濃度は56,000ppmだ。それに対して、人間を数分で殺す濃度は300ppmだ。参考文献として「メルク・インデックス(The Merck Index)」「CRC化学物理便覧(CRC Handbook of Chemistry and Physics)」がある。あるいは、化学物質の毒性と可燃性に関するどのマニュアルを調べても分かるだろう。仮に処刑が行なわれている最中のガス室の中で焚火が燃やされていたとしても、爆発の危険性などまったくなかったことだろう。
「ニッコーは何を言っているのだ? 可燃物の近くでタバコを吸うのは危険に決まってるだろう。
それを仮定の数字を並べてぐちゃぐちゃと。事故の可能性となるものはすべて潰す。それが当たり前だ。
ニッコーのような馬鹿は絶対に工場で危険物を扱わせてはならない。それこそ事故の元だ」
*IHRの主張
物語は、人間で一杯の部屋に天井の穴からガス缶を落とすところから始まって、シャワーヘッドを通じての配管、「蒸気室」、「電気死刑機械」に及んでいる。「何百万」ものユダヤ人がこのような方法で殺されたと強弁されている。
*ニツコーの回答
正確な方法については収容所によってさまざまだった。異なった殺害方法が――時にはほんの少し違うだけだが――それぞれ別の収容所で使われたし、同じ収容所の別の場所でも同様だった。
「正確な手順などない。証言によってばらばらだからだ。
チクロンBを使ってるのに天井からガスが出てきたとか……
唯一共通しているのは、それらのガス殺証言を裏付ける物的証拠がまったく存在しないということだ」
*IHRの主張(オリジナル版)
秘密を保つのは不可能だった。そのような大量ガス殺など、どこにも存在しなかったというのが事実だ。絶滅の噂は、まさしくユダヤ人による情報源からもたらされたのだ。
*IHRの主張(改訂版)
秘密を保つのは不可能だった。そのような大量ガス殺など、どこにも存在しなかったというのが事実だ。絶滅の物語は、敵による残虐行為を言い立てる戦争中のプロパガンダに由来する。
*ニツコーの回答
絶滅プロセスを秘密にしようと、ナチスはとてつもない努力をついやした。にもかかわらず、結局は洩れ出してしまったのだが。一例として、ハンス・メンチ医師の証言を見てみよう。彼は、ガス殺と絶滅プロセスの暴露について語っている。
「……ヒトラーは自分から公の場で3回も絶滅計画を公言してたんじゃなかったのか?
たしかニッコーはそんなことを言っていたはずだが……」
*IHRの主張
ユダヤ人たちが戦いも抗議もしなかった理由は、単純に、自分たちを殺そうとする意図など存在しないことを知っていたからだ。ユダヤ人は、単に収容され、労働を強いられただけだ。
*ニツコーの回答
多くは知らなかった。しかし、少数は知り、そして反抗した。もっとも大規模な反抗はワルシャワ・ゲットーにおいて発生し、ドイツ軍は反乱を鎮圧するために多大な戦闘を強いられた。ユダヤ人パルチザンを追い出すために、ゲットー全体を破壊せねばならなかった。アウシュビッツ・ビルケナウでもトレブリンカでもゾビボールでも反乱が起きた(ゾビボールの反乱は映画にもなった)。だが、辛いことだがトレブリンカ以外では成功しなかった。トレブリンカでは、この反乱のせいもあって収容所が廃止された。
「アウシュヴィッツの各エリアをさえぎっているのは鉄条網で高い壁じゃない。
ガス殺が行われていたならば数百メートルからでもわかるし、情報が外に漏れないはずがない。
あとトレブリンカとかゾビボールはどこにあったかもわからない収容所だ。
実在したというのならばその場所を教えて欲しいものだ」
*IHRの主張(オリジナル版)
約30万人。
*IHRの主張(改訂版)
適切とされる見積もりは、約30万人から50万人である。
*ニツコーの回答
繰り返すが――もしも本物の歴史学者がホロコーストの犠牲者数に関する数字をこのように変えたとしたら、「リビジョニスト」は何と言うのだろうか? 見積もりを66%も上昇させたなら? にもかかわらず、「リビジョニスト」自身がそういうことをやるのはまったくOKなのだ。
現実には、300万人以上が収容所で死んだ(残りは東部戦線後方とゲットーで死んだ)。収容所のワースト2は、アウシュビッツ収容所(犠牲者は約130万人。うち110万人がユダヤ人)とトレブリンカ収容所(犠牲者は約80万人。ほとんど全員がユダヤ人だが約3000人はジブシーだった)
「収容所の人数に関しては連合国、特にソ連がすべての資料を公開してないので正確な数字はわからない。
ニッコーの数字はユダヤ人犠牲者数600万の数字を激変させる危険な数字だ。
全体で600万というのはアウシュヴィッツの犠牲者が400万のときの数字なのだからな。
イスラエル様に許可を取ったんですか? 取ってないでしょ? いかんなぁ、勝手に数字を変えてしまうのは」
*IHRの主張
主として、この期間、戦争で引き裂かれたヨーロッパで猛威を振るった流行性の発疹チフスが何度も流行したことによる。戦争の終わりが近づく頃には、事実上、道路のすべてと鉄道輸送が連合軍の爆撃により破壊されたことによる、飢餓と医学的手当の欠乏も原因だ。
*ニツコーの回答
発疹チフスで死んだ人間もいたが、人数について言うのならば、ガスで殺されたユダヤ人が一番多く、次に多いのが射殺だった。
「旧帝国領(Altreich)」(疑問1番を見よ)内の収容所においては、死の主な原因は飢餓と病気だった。収容者が不十分な食物しか与えられず、重労働を強いられている場合、飢餓と病気の間に、実際的な違いはほとんどない。絶滅収容所であると同時に強制労働収容所だったアウシュビッツでは、囚人はしょっちゅう「選別」され、衰弱者はガス殺された。このようなやり方で、消耗により死ぬ機会を与えられる者はほとんどいず、その替わり彼らはガス室の中で最期を遂げたのだ。
「収容所で囚人が大量死したのは戦争末期の頃だ。
連合軍の無差別爆撃で輸送インフラが破壊されたドイツでは収容所に物資が届かず、大勢が飢えと病で死んだ。
赤十字はこれを非難したが無視した。
連合軍はドイツの収容所の内情をスパイの情報で知っていたが、無視して爆撃を続けた。
大戦末期のユダヤ人の大量死は連合軍の仕業だ。これは本編でやったな」
*IHRの主張
多数の人々が長期間すし詰めにされ、入浴しない場合に常に発生する病気である。
毛髪と衣服にたかるシラミにより媒介される。陸海軍が伝統的に兵士に短髪を要求する理由は、発疹チフスの危険である。皮肉なことに、もしもドイツ人がより多くのチクロンBを使用したなら、より多くのユダヤ人が強制収容所で生き延びることができたことだろう。
*ニツコーの回答
「リビジョニストのユーモア」の典型だ。
「ニッコーは発疹チフスとは何かという問いに答えてないな。
IHRが正しいから何も言えないようだ。発疹チフスの大流行という事実はホロコースト問題の根底にかかわる問題だからな。答えたくないのは無理もない。というわけでホロコーストの問題を扱うときはどんどんこの話題で攻めるべきだ」
*IHRの主張(オリジナル版)
5,700,000人も違う。ちなみに――「ホロコースト」プロパガンダに反して――誰かを絶滅させようという故意の試みなど存在しなかった。
*ニツコーの回答
前に言及したように、約600万人が死んだのだ。言を弄して否定しても彼らは生き返りはしない。
IHRはここで「誰かを絶滅させようという故意の試みなど存在しなかった」とハッキリ述べている。ナチスのガス室はヨーロッパ・ユダヤ人絶滅計画の手段であったにもかかわらず、IHRは明らかに、ガス室に関する疑問と絶滅計画に関する疑問とを別々にしてきた。
「570万違うというのは正しいだろう。600万−30万=570万なのだから。ニッコーは日記や証言といった偽造が簡単にできるいい加減なものではなく、凶器・死体という殺人事件の立証に絶対必要なまともな証拠を出せ。脳内ソースなど意味がない。次だ次」
*IHRの主張
ドイツ人が入手したよりも、ずっと大量のガソリン。当時は、大変な燃料不足だった。
*ニツコーの回答
「入手」? アウシュビッツ第3収容所、すなわちモノヴィッツ収容所は、工業生産収容所で、燃料が生産されていたのだ! このことはIHRも改訂版の疑問6番への回答で認めている。それ以上の「入手」など有りえただろうか?
「ニッコーの言ってることがさっぱり理解できん……
ドイツに石油がないからアウシュヴィッツ3では石油を生産していたのだ。
それなのに、せっかく作った石油を戦車やトラックの燃料にまわせず死体を焼くのに使ったのか?
実際は無傷の戦車を燃料不足で放棄していたというのに。
ニッコーはドイツ戦車を扱った本を一冊でいいから読むべきだ。そうれば大戦末期のドイツ軍の燃料不足がわかる」
*IHRの主張(オリジナル版)
できない。この方法で人間の死体を炎で完全に焼きつくすことは不可能だ。戸外の穴では十分な熱を起こし得ないからだ。
*IHRの主張(改訂版)
できない。この方法で人間の死体を炎で完全に焼きつくすことは不可能だ。酸素が不足するからだ。
*ニツコーの回答
熱か酸素か、どちらなのだ?
「両方だ。よく読め。それからしっかり質問に答えろ。穴の中で死体が灰になるまで完全に焼却できるのか否か? どうなんだ?」
*IHRの主張(オリジナル版)
約2時間である。
*IHRの主張(改訂版)
約1時間半である。だが、大きな骨はその後さらに処理しなければならない。
*ニツコーの回答
さて、1.5時間か2時間か、どちらなのだ? より最近、ホロコースト否定者たちはアイヴァン・ラゲイス(Ivan Lagace)の証言に依拠し始めている。ツンデル裁判においてラゲイスは明らかに死体1体につき6時間から8時間かかると言い、それは後に印刷物にもなっている。
「石炭やガソリンの熱で人間の死体を10分以内に火葬できるわけないだろう。
日本人なら火葬で何時間も待つのは当たり前だが……そうか欧米人は土葬だったな。
ま、火葬が普通の文化圏の人間には一発でわかる嘘だったという話だ」
*IHRの主張
流行性の発疹チフスによる死体を能率的かつ衛生的に処理するため。
*ニツコーの回答
……そして、大量ガス殺計画のため。疑問45番への答えを見よ。
「あくまで証拠隠滅が目的だと言い張る気か……」
*IHRの主張
約430,600体。
*ニツコーの回答
この誤った数字は、いくつかの間違いを重ねた結果である。死体一体あたりの焼却時間とメインテナンスの必要についての間違いは、疑問42番への回答中で示されている。焼却室一個あたりの死体数についての間違いは、疑問45番への回答中で示されている。
理論上の焼却数を検討することは、参考になり得る。もしも、理論的な処理能力が多くの理由で達成できなかったことを思い出すならば。だがもしも、100%の稼働を仮定し、メンテナンスのための休止時間が無かったとして、理論上の焼却数がどれほどたり得たか考察したいのならば、その数字は茫然とするほどのものだ。
「ドイツ支配地域すべての収容所の火葬施設か……これはわからんな。資料が足りない。
が、意味あるのか、これ?
ホロコースト物語はガス殺の後、同じ建物の焼却棟で遺体を焼却した。焼却棟の中に入っていってものは二度と外へ出てこない。
という話だったはずだ。だから600万人を絶滅収容所で殺してドイツ各地の焼却炉で燃やしたという想定は意味がない」
*IHRの主張
可能ではない。50%が通常の見積もりだ(一日12時間)。火葬炉を酷使する際には、定期的にすみからすみまで清掃しなければならない。
*ニツコーの回答
この回答は包括的なもので、Q&A42番、43番、44番をカバーしている。
「可能じゃないな。100%は無理だ。どんな機械もメンテナンスしなければいつかは故障する。当たり前だ」
*IHRの主張
骨を粉にした後には、靴箱一杯ほどだ。
*ニツコーの回答
これは正しい。靴箱一杯ほどである。
「だそうだ」
*IHRの主張
この問題は「説明」されるべきものとして残されている。600万もの死体ともなれば文字通り何トンもの灰を生じる。なのに、そのような灰が大量に残っていたという証拠は存在しない。
*ニツコーの回答
やや不誠実である。600万もの死体が焼却されたと主張している人間はいない。東部戦線後方では、人々は単に射殺されて大量埋葬壕に埋められた。
ともあれ、何百万もの死体が焼却された(一度大量埋葬壕に埋められ、後に掘り出されたものも含む)。灰を始末するのはきわめて簡単だった。灰は野原や川に投げ捨てられた。灰に毒性はない。どこにでも投げ捨てられるのだ。事実、灰はよい肥料となる。アウシュビッツの周囲の農民が人間の灰を畑に撒いたということが、詳しく記録されている。
「灰はどうでもいい。毒ガスで死亡した遺体の司法解剖結果はどうなんだと小一時間……」
*IHRの主張
いない。事実、これらの写真には、収容所を常に覆っていただろう莫大な量の煙の痕跡さえ写し出されていない。また、死体が焼却されたと強弁されているところの、戸外の穴があった証拠もない。
*ニツコーの回答
最初に、アウシュビッツ上空の偵察飛行はごくわずか、きわめてまれにしか行なわれなかったということを理解してほしい。1943年末から1944年のはじめにかけて、連合軍は油脂生産施設への爆撃を開始した。それにはアウシュビッツ3の中小規模の石油化学プラントも含まれる。アウシュビッツ3すなわちモノヴィッツは、アウシュビッツ2すなわちビルケナウにあったガス室から、4キロメートルほど離れた衛星収容所だった。
「これについては2004年になってイギリスがアウシュヴィッツから煙が上がっている写真を公開した。
ただし、ただ煙が上がっているだけで、何が燃えているのかまではさっぱりわからん。
たまたま取った写真に煙が写ってたというだけの話だ。詳しくは本編参照。
なお、CIAが公開した偵察写真は明らかな偽造が施されている。つまり、他の偵察写真も偽造されている可能性があるため、写真はそれ単独では何の証拠にならん。写真の偽造に関しては本編参照」
*IHRの主張
ゲルマン人とユダヤ人の通婚と性的関係を禁じたもので、同様の法律が現在のイスラエルに存在する。
*ニツコーの回答
より反セム主義的な嘘と倫理相対主義だ。イスラエルにそのような法律は存在しない(にもかかわらず、ユダヤ人とそれ以外の通婚例はきわめて少ないのだが)。ニュルンベルク法はゲルマン人とユダヤ人の性的関係を禁じたのみならず、それを死刑により罰した。――そして数多くのユダヤ人がゲルマン人と性的関係をもったことにより、実際に処刑された。「ペッティング」でさえ死刑を宣告するのに十分な理由だった。
「これはIHRの説明が不十分すぎる。
半世紀前のニュルンベルグ法がそのままイスラエルと同一視はできない。
現在のイスラエルでは、『アラブ系イスラエル人と結婚したパレスチナ人には市民権を与えない』、という法律がある。
ようするに民族浄化政策のひとつなのだが、ニュルンベルグ法とは違うな。
イスラエルが人種差別反対を訴えながら、実際は最悪の差別国家のひとつであることは事実だが、たしかにニュルンベルグ法とは違う。
むしろニュルンベルグ法に近いのは、同時代のアメリカの白人と黒人の結婚を認めない法律のほうだ。
そしてニュルンベルグ法で市民権を剥奪されたユダヤ人だが、ドイツ国防軍には15万人のユダヤ系ドイツ人がいて、彼らは将軍や大佐など軍でもトップクラスの高い地位にいるものもいた。
同時代のアメリカ軍で黒人がコックにしかなれなかったのとは大違いだ。
このあたりは本編でやったのでそっちを参照のこと」
*IHRの主張
ナチスのずっと以前に、合衆国の多くの州では、異人種間の通婚と性的関係を妨げる法律を制定していた。
*ニツコーの回答
これは推測にすぎないが、この法律を破った場合の罰は、アメリカとナチスドイツとでは同じではなかったように見える。ナチスドイツでは死刑だった。なんにせよ、より無関係な倫理相対主義である。
「アメリカの異人種間の結婚を禁止する法律の成立はまだカリブの海賊がいた時代まで遡る。
1691年のヴァージニア植民地を皮切りに、全米各地で異人種間結婚を禁止する法律が制定された。
これが撤廃されたのは第二次大戦後のこと。
ニッコーは、異人種間の結婚禁止の法律など当時では大して珍しくもないという事実を隠したくて仕方ないのだ」
*IHRの主張
1944年9月の国際赤十字派遣団によるアウシュビッツ訪問の報告は、収容者たちは差し入れ小包を受け取ることを許され、ガス室の噂は確証することができない、と指摘するものだった。
*ニツコーの回答
ガス室の噂は確証することができなかった。なぜなら派遣団は、ガス室と火葬施設が存在したアウシュビッツのクレマを訪問することを厳重に禁じられていたからだ。派遣団は、アウシュビッツ収容所という巨大な複合施設の中の、絶滅対象とされていない囚人が収容されている箇所にのみ連れていかれた。連合軍の戦時捕虜がアウシュビッツに収容されていた。彼らは適切な待遇を受けていた。しかし、彼らはガス殺について知っていて、国際赤十字の派遣団にそのことを示唆した。
「赤十字は収容者の食事をモニターしていた。ナチ収容所のメニューから計算したカロリーと、モニターの数字が一致したことが証拠だ。アウシュヴィッツ博物館の見せる劣悪な食事はただの妄想。このことは本編で詳しくやっている」
*IHRの主張
もしも絶滅計画が存在したなら、バチカンがそれを知る立場にあったのはほとんど確実である。だが存在しなかったから、バチカンがそれに反対する声を挙げる理由は無かった。
*ニツコーの回答
嘘だ。ナチスはカソリック教会を敵視し、ポーランドや他の地域で多数の聖職者を処刑した。教会は無力であり、ナチスに影響力をおよぼすことは無かった。帝国宣伝相ヨゼフ・ゲッペルスは、1942年3月26日付けの日記に以下のように記述している(ロシュナーの「ゲッペルス日記」 1948年p.146を見よ)。カソリック教会が、可能なあらゆる方法で破壊的活動を続け、空襲の恐れがある地域から疎開させられたプロテスタントの子供たちにプロパガンダを広めさえしているのは、下劣なことだ。ユダヤ人に次いで、これら政治的聖職者どもこそが、我々がいまだ帝国内にかくまっている最悪のクズといったところだ。戦争が終われば、この問題をすべて一気に解決する時が来るだろう。
「またソースはゲッペルス日記か。ゲッベルスだと言っているのに(ry
そんなインチキ日記は当てにならん。次だ次」
*IHRの主張
存在しない。
*ニツコーの回答
疑問26番を見よ。
IHRの主張
戦前、ドイツはシオニストとの間で、ユダヤ人がパレスチナに大量の資本投下をすることを認める協約を結んでいた。戦争中もドイツ人はシオニスト指導部と誠心誠意の関係を維持していた。
*ニツコーの回答
「誠心誠意の関係」? 本当だろうか。ユダヤ人は絶滅すべき害虫であると繰り返し公に宣言していた指導者との? 疑問1番に引用されたヒトラーの演説を見よ。
このQ&Aはもう一つの内的矛盾でもあるようだ。疑問11番12番への答えでIHRは「ユダヤ」や「ユダヤ人」が第2次大戦が始まる6年も前にドイツに宣戦布告したと言っている。ドイツ人は憎むべきユダヤ人に中傷されたのか、それとも、憎むべきユダヤ人でさえ「誠心誠意の関係」を維持できるほどドイツ人は善良な人々なのか、IHRはハッキリさせるべきだ。両立させるのは不可能なのだ。
「敵の敵は味方だ。シオニストにとって最大の敵は同化政策を支持するユダヤ人だ。
イスラエルを建国したいシオニストと、イスラエルに欧州のユダヤ人を追い出したいナチスでは利害が完全に一致している。
ユダヤは国際的ボイコットでドイツに深刻な経済制裁をしたが、これを解いたのはシオニストの勢力が経済制裁から外れたからだ。
ソースは木村愛二のWebサイト」
*IHRの主張(オリジナル版)
発疹チフスである。
*IHRの主張(改訂版)
アウシュビッツでの収容生活を生き延びた後、彼女はベルゲン・ベルゼン収容所で発疹チフスにより倒れた。終戦のほんの数週間前だった。彼女はガス殺されたのではない。
*ニツコーの回答
アンネは、2年と30日間隠れ住んでいた8人のオランダ系ユダヤ人の一人に過ぎない。彼らは発見されナチスに逮捕されてアムステルダムからポーランドの死の収容所に移送された。
アンネの父の仕事仲間だったヘルマン・ヴァン・ペルスは、1944年9月6日にアウシュビッツ・ビルケナウに到着した集団ごとガス殺された(オランダ赤十字調書103586号)。彼の妻は「1945年4月9日から5月8日の間にドイツかチェコスロバキアで」死んだ(オランダ赤十字調書103586号)。彼らの息子ペーターは、アウシュビッツからの強制行軍の後、1945年5月5日にオーストリアのマウトハウゼン強制収容所で死んだ(オランダ赤十字調書135177号)。
アンネ一家の友人だったフリードリッヒ・プフェフェル博士は、1944年12月20日にノイエンガンメ強制収容所で死んだ(オランダ赤十字調書7500号)。
アンネの母は1945年1月6日にアウシュビッツ・ビルケナウで死んだ(オランダ赤十字調書117265号)。アンネと姉のマーゴットは1945年3月頃、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスで死んだ(オランダ赤十字調書117266号、117267号)。8人のうちただ一人、アンネの父オットー・フランクのみが生き残った。
オットー・フランクの仕事仲間だった二人の非ユダヤ人、ヨハネス・クレイマンとビクトル・グスタフ・クグレルも同様に、フランク一家を助けた件で逮捕された。二人ともドイツでのArbeitseinsatz(労働奉仕)を宣告され、大戦を生き延びた。
オランダ赤十字に関するリファレンスはすべて、アンネ・フランクの「アンネ・フランクの日記:校訂版」 1989年 pp.49-58に引用されている(引用全文が入手可能)。
「アンネ・フランクは病気で死んだ。
その関係者も死因はそれぞれだが、誰一人として毒ガスで死んだりしていない。
ニッコーは嘘をついている。
この嘘を暴いた経緯は本編参照」
*IHRの主張(オリジナル版)
本物ではない。スウェーデンのディトライブ・フェルデラー(Ditlieb Felderer) とフランスのロベール・フォーリソン(Robert Faurisson)によってまとめられた証拠は、この有名な日記が捏造文書であることを最終的に確定した。
*IHRの主張(改訂版)
本物ではない。フランスのロベール・フォーリソンによってまとめられた証拠は、この有名な日記が捏造文書であることを確定した。
*ニツコーの回答
ディトライブ・フェルデラーは悪名高いネオナチで、人種間憎悪を煽り立てるプロパガンダを流布した罪で、スウェーデンの刑務所に入っていた人物だ。彼がやったことで一番有名なのは、ヨーロッパのユダヤ人に髪の毛の切れ端を郵送して、それがガス殺されたユダヤ人から刈り取った髪の毛だと証明できるかと皮肉たっぷりに質問したことだ。彼は、また、セックスとナチスによる殺人を扱った、吐き気をもよおすようなパンフレットを多数執筆している。中でもここに転載するには非道すぎる代物は、シアン化ガスが女性器にどのような影響を与えるか(皮肉たっぷりに)描写するものだ。
本編参照のこと。
日記の真偽などはっきりいってどうでもいいことなのだ。
なぜならアンネの日記にはホロコーストを証明する描写がまったくない。
収容所に行く前に日記が終わってしまっているからだ。したがって本物だろうと偽者だろうとまったく意味がない」
*IHRの主張
その通り、写真は偽造可能だ。だが、単に写真やフィルムの断片に、実際に写っているものとは異なるキャプションやコメントを加える方が、はるかにたやすい。痩せ細った死体の山は、これらの人々が「ガス殺」された、もしくは計画的に餓死させられたということを意味するのだろうか? あるいは、これらの人々は猛威を振るった流行性発疹チフスの犠牲者であるか、戦争末期の収容所の食料不足のせいで飢えていたということを意味しえなかったか? 連合軍の爆撃で殺されたドイツの女性やこどもたちの死体の山を写した写真が、ユダヤ人の死体だと偽られていた。
*ニツコーの回答
死体の山はナチスがジェノサイドを行なった証拠ではない、とIHRが述べるのは、おかしな話だ。疑問1番のオリジナル版の答えの中でIHRは「服の山」に言及し、もしもそのようなものが存在したなら、それは事実、証拠となっただろうとほのめかしている。服の山は証拠だが、死体の山は証拠ではないのか?
連合軍兵士がやってきてドイツ人の死体を集め、それらを収容所に運んだ上で写真に撮った、という暗黙の主張をもIHRの回答に見て取ることができる。この不合理を補強する証拠が何かあれば良いのだろうが、もちろんそんな証拠は存在しない。
数多くの飢えた人々は、ナチスがきわめて高い優先事項として、囚人に食べものを与えなかったことの証拠である。ベルゼン収容所の近くでは、何百トンもの食料がしまいこまれていたのが発見された。そこからわずか数マイル離れた収容所では、何万人もが餓死したというのに。この話題についてもう少し詳しく知りたければ、疑問37番を見よ。
殺人ガス室については、それが存在し使用されたことをハッキリと指し示す証拠が他にもいくつも存在する。初心者向けには、疑問1番を見よ。
「あー、長くて読みにくい。
死体の山はそれだけでは大量殺人の証拠にならんことがなぜわからんのだ。
いや、わかっててわざと言ってるのだな。死体の山が伝染病で死んだとなれば殺人事件がただの事故になってしまうからな。
とりあえずニッコーの言う『餓死命令』は実行犯の最高責任者とされるマンシュタイン将軍が裁判で否認している。
収容所の死体を司法解剖した連合国のイギリス人法医学者チャールズ・ラーソンは収容所を現場検証した結果、ナチスは故意に餓死させたのではないという結論を出して1985年のツンデル裁判で証言している。
餓死命令があったというのなら命令書を持って来い。ついでに連合国の現場検証の結果もだ。
命令書もなく、調査官が現場検証してもまったく証拠が出てこないなら、それは事実なかったのだ。
マンシュタインの証言は本編参照、ラーソンの証言も本編参照のこと」
*IHRの主張
ポーランド系ユダヤ人のラファエル・レムキン(Raphael Lemkin)が、1944年に発表した著書で。
*ニツコーの回答
この答えは明白な論点を巧妙に回避している。なぜレムキンはこの用語を発明したのか? という論点を。
「genocideはギリシャ語のgenos(種族・国家・民族)とラテン語の接尾辞-cide(殺害)の合成語。
なぜ発明したのか? プロパガンダ目的に決まっているだろう。
問題なのはそのプロパガンダの内容が事実か否かだ。そして答えは否だ」
*IHRの主張
違う。これらの映画は、それが歴史だとは主張されておらず、むしろ歴史を「ベースにした」架空のドラマだとされている。不幸なことに、これらの映画を、実際に起こった通りの歴史の正確な再現だとみなす人々が多すぎる。
*ニツコーの回答
収容所を撮影した信頼できる映画が多数存在する――連合軍やソ連軍により撮影されたものだ。むしろぞっとするようなものだが、全体として歴史の正確な再現である映画のいくつかは、フランシス・スミスの「ホロコースト映画展示会」で観ることができる。
「信頼できる映画など存在しない。あるなら言ってみろ。そのすべてを否定してやる」
*IHRの主張(オリジナル版)
少なくとも60冊。さらに多くが製作途中である。
*IHRの主張(改訂版)
何ダースも。さらに多くが製作中である。
*ニツコーの回答
現在は、おそらくこの冊数はさらに多くなっているだろう。だが、哀れむべき嘘をいくら繰り返しても、真実にはならない。
「お前ら日本語版も作れーーー! ついでに文字ばっかで読みにくいんじゃーーー!!」
*IHRの主張
賞金に値する主張だと認められた証拠は一つも無かった。だが、この研究所は、賞金の申し出によって眠れなくなり仕事に損害を生じたと主張する「ホロコースト」の生存者によって、1700万ドルの損害賠償訴訟を起こされ、「確定した事実への中傷的否定」と申し立てられた。
*ニツコーの回答
その「歴史研究所」というのはIHRそれ自体のことだった。疑問5番への答えを見よ。
「こんな言いがかりで1700万ドルの損害賠償の裁判に勝てるのか……
こーいう前例を作られるから、働いたら負けかなと思ってるユダヤ人が次から次に出てくる。
ホロコースト産業は不況知らずだな」
*IHRの主張
これは、事実と誠実な議論から、注意をそらそうとするための中傷である。「ホロコースト」があったという主張に反駁する研究者たちの政治信条は多種多様だ――民主党支持者、共和党支持者、自由主義者、社会主義者、クリスチャン、ユダヤ人、などなど。「ホロコースト」への反駁と、反セム主義もしくはネオナチズムとの間に相関関係は無い。事実、ユダヤ人研究者の間でも、「ホロコースト」があったとする証拠は非常に不足している、とおおっぴらに認める人間が増えつつある。
*ニツコーの回答
ホロコースト否定と反セム主義/ナチズムとの間には、きわめて強い相関関係が存在する。このことを否認するのは、ホロコースト否定の出所がどこか分からないようにするための、巨大な嘘である。
「目的のためなら手段を選ぶな。君主論(マキャベリ)の初歩だそうだが、そんなことは知らないね。
いいかな、ホロコースト肯定派諸君。議論(ディベート)を行うものならば知っておくべきだ。
世の中には手段のためなら目的を選ばないという様な、どうしようもない連中も確実に存在するのだ。
仕事もせずにタカリとユスリで贅沢三昧してるユダヤ人を見てると、チョンやチャンコロみたいで、なんかすっっっっっっっっっ〜〜ごくムカついて、嫌がらせ目的でホロコースト否定論を広めまくってるという…………とどのつまりは、2ちゃんねらーのような。
いかれている? 何を今さら!! ネットが普及して何年経つと思ってる!
よろしい!! 結構だ!! ならば私を止めてみろ、自称健常者諸君!!
君らが言う『決定的な証拠』とやらを突きつけてくれればそれでいいのだ!
それができればの話だがね!
♪ Welcome to this crazy time このふざけた時代へようこそ♪
そうだとも、これはただの趣味だ。だが趣味でやってるが故にユダヤ様お得意の広告を使った廃刊作戦もできん。
くだらんプロパガンダなど何度でも論破してやるさ。さあ来い。
HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA―――――!!!!!
……なお、著名なホロコースト肯定派の多くはユダヤ人であり、第三帝国に対して敵意がむき出しである。
イスラエルとユダヤ人の利益のために嘘をついているという動機がある連中なのだ。
修正主義者は政治的にホロコースト否定という嘘をついていると言いながら、実は自分たちこそが政治的にホロコースト肯定という嘘をついている連中なのだ」
参考資料:ホロコースト講義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/180.htm)
R:政治的スペクトルの双方に、政治的過激派が存在していることを証明しておきたいのです。ですから、一方だけに目を向けるべきではないのです。また、修正主義者の民族構成についても考えておかなくてはなりません。ドイツ人が多いと推測する人がいますが、まったく間違っています。数からいえば、フランス人が多いのです。私はドイツ人ですから、例外です。これとは逆に、完全なものではありませんが、著名なホロコースト正史派の研究者・促進者のリストをご覧ください。イツァク・アラド、ハナ・アレント、イェフダ・バウアー、リチャード・ブライトマン、ルーシー・ダヴィドヴィチ、アレクサンダー・ドナト、ジェラルド・フレミング、ダニエル・ゴールドハーゲン、アレックス・グロブマン、イスラエル・ガットマン、ラウル・ヒルバーグ、セルジュ・クラルスフェルト、シュムエル・クラコフスキ、クロード・ランズマン、デボラ・リップシュタット、アルノ・メイヤー、ロバート・ヴァン・ペルト、レオン・ポリャーコフ、ジェラルド・ライトリンガー、ピエール・ヴィダル-ナケ、ジョルジュ・ヴェレール、サイモン・ヴィーゼンタール、エフライム・ツロフ。全員がユダヤ人です。言うまでもないことですが、彼は第三帝国に大きな敵意を抱いており、同胞のユダヤ人の苦難を強調することに利害をもっています。したがって、ホロコーストについての彼らの著述は、明らかな目標にもとづいているのです。このことは、彼らの著作が最初から虚偽であることを意味しているのでしょうか?
L:もちろん、そうではありません。
*IHRの主張
彼らは中傷キャンペーンの対象となった。アカデミズムにおける地位喪失、研究助成金の停止、財産の破壊と物理的暴力。
*ニツコーの回答
暴力は、言論に対する悲しむべき反応である。もちろん、暴力は非難されねばならない。 だがそれにしても「歴史学者たち」というのは何のことだ? リビジョニストの寄合いの中には、歴史学博士は一人もいない。フォーリソンは文学教授だ。ツンデルは写真を修正して商売している。バッツは電気工学教授、シュテーリヒは判事だ。オキーフはハーバード中退で、コールは高校中退だ。ラビンはスタンド売りまんが誌と自動車雑誌のライターをやっていた。 アーヴィングはジャーナリストで歴史作家だ。それにウェーバーは歴史学の修士学位を持っている。他の「リビジョニスト」の歴史学者との距離も、彼らと同様だ。皮肉なことに、アカデミズムの歴史学の学位を保有するごく少数の「リビジョニスト」の一人は、ロイヒターなのだ。そのロイヒターは熟練技術者とされている!(ロイヒターの学位は学士号である)
「うむ。ニッコーも言論弾圧の事実は認めているようだな。ホロコースト否定論がネットでしか語れない理由がここにある。現実世界で言ったら逮捕されるうえに不法な暴力の制裁を受けるからだ」
*IHRの主張
IHRは3回爆破され、1984年6月4日には犯罪的な放火攻撃によって完全に破壊された。殺すぞ、と電話で脅されるのは、事実上、日常茶飯事である。新聞報道はすべてIHRに対する敵意を持ったものだ。もし、なんらかの形で報道されるとしたらだが。
*ニツコーの回答
物理的な暴力は強く非難されるべきである。「敵意を持った報道」については、ナチのシンパが何を期待しているのか? エルンスト・ツンデルが、この66Q&Aを再掲示して、言論の自由を求める叫びを繰り返すに至っては、本当に虚しく響く。ツンデルが出版を助けたパンフレットは、読者を「『シンドラーのリスト』を上映禁止にするための、世界的キャンペーンに参加せよ」と勧誘しているのに。
言論の自由、その通り、ただしツンデルが同意する言論に限る。もしも、IHRが自称しているような言論の自由の誠実な擁護者だとするならば、エルンスト・ツンデルに対して当然なすべき非難はいったいどこでやっているのだろうか?
「言・論・弾・圧!言・論・弾・圧!
自宅爆破に放火に脅迫電話。お次は何だ?」
*IHRの主張
政治的な理由で、体制側は「ユダヤのホロコースト」神話を巡る事実に関する綿密な討論が行なわれることを望んでいないからだ。
*ニツコーの回答
違う。ホロコースト否定は不合理だからだ。「地球平面協会」も同様にあまり報道されていない。その上、疑問62番への答えを見よ。
「ホロコースト否定論を言っても逮捕されないようにしろ。話はそれからだ」
IHRの主張
The Institute for Historical Review(三鷹注:IHR=歴史見直し研究所)P.O.BOX 2739,Newport Beach,CA 92659は、重大な歴史的問題に関する、多種多様な本、カセットテープ、ビデオを提供している。(1995年1月更新)
*ニツコーの回答
もしあなたがこの問題について「二つの側」が存在すると考えるなら、その両方が検討されていることが分かるウェブ・サイトが一つだけある。ニツコーだ。
「両方にお願い。日本語版作って……」
「ようやく終わった〜〜
さすがに66個もQ&Aがあると量が多い。
しかし、改めて読むと、ニッコーのネタは逆転ニュルンベルグ裁判でほとんどが採用されている。
まあ、復習にはなったかな。
ではまたネタがたまったら更新する。それまでさらばだ」