被告
判事
検察
弁護
陪審員
「これより法廷を開廷します」
「検察側、準備完了しております」
「弁護側、準備完了しております」
「ビルケナウのガス室は本物なのですか?」
「本物だ。ナチスの保有するガス室でクレマIIほど人を殺した部屋はなかった。
まさに悪魔の部屋と呼ぶに相応しい」
「偽者だよ。
『ここはガス室でした』と言っているだけで、物的証拠は何もない。
にもかかわらず、ホロコースト物語で莫大な利益を上げている連中がいる。
ホロコースト産業と言ってもいいくらいだ。
こーいう悪質な商売を一般には詐欺と言うんじゃないか?」
「そんなことはない。
ちゃんと物的証拠はある。
たとえばこれだ。
1943年5月はじめに、親衛隊人事本部のアルフレート・フランケ=グリクシュ少佐はアウシュヴィッツを訪れ、その状況に関する報告を、上司のマクシミリアン・フォン・シェルフ大佐(人事本部長)およびヒムラーに提出している。
題して『ユダヤ人の再定住』。
つまり、ガス殺を実行したという親衛隊の報告書だ」
参考資料: 1943年5月 親衛隊人事本部のアルフレート・フランケ=グリクシュ少佐の報告書
Gerald Fleming, Hitler and the Final Solution, Univ. of California Press, Berkeley/Los Angeles, 1994, pp.142-3.より
(アドレス:ttp://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/SS_Report.html)
「アウシュヴィッツ収容所は、ユダヤ人問題の解決において、特別な役割を演じている。もっとも進んだ方法が、可能なかぎり短時間で、大きな注目をあびずに、総統命令の執行を可能にしている。いわゆる「再定住行動」は、以下のようなコースでなされる。ユダヤ人たちは夕方に特別列車(貨車)で到着し、この目的のために収容所で特別に設けられた地域に、特別な待避線で送り込まれる。そこにおいて、ユダヤ人は降ろされ、収容所長や数人の親衛隊将校の面前で、医師の一団によって労働に適しているかどうかを検査される。この段階で、労働計画に多少とも投入可能な人々は、特別な収容所に送られる。治療可能な病人は医療キャンプに直接に入れられ、特別な食事によって、健康を回復することになる。これらすべての背後にある基本原則は、労働のためにあらゆる労働力を確保すること、である。これまでのような「再定住行動」は、全面的に否定される。というのは、貴重な労働エネルギーを継続的に破壊するのは、あまりにも無駄だからである。
労働に適さない人々は、外部から入れる大きな建物のなかの部屋に入れられる。彼らは五、六歩下ってかなり長い、きちんと建設され、きちんと換気された部屋に入る部屋には左右に並んだベンチがある。部屋の照明は明るく、ベンチには番号がつけられている。囚人たちは、新しい仕事のために洗浄され消毒されるのだと言い聞かされる。それゆえに、彼らは水浴のため、完全に脱衣しなければならないといわれる。パニックを回避し、いかなる不都合をも防ぐために、彼らはおのおのの番号のもとに衣服をきちんと積んで、入浴のあとにふたたび自分の持ち物を見いだせるようにせよ、と告げられる。一切が完全に秩序だって進行する。ついで、彼らは小さい回廊を通り、シャワー室に似た広い部屋に入る。この部屋には、三つの大きな柱があり、そのなかに部屋のそとからある種の物質が投入されうる。300から400人の人々がこの部屋に入ると、ドアが閉じられ、物質を入れた容器が柱のなかに投げ込まれる。容器が柱の下部にぶつかると、特定の物質が発散され、人々は一分以内に眠り込む。数分後、エレベーターとつながった、別の側にあるドアが開かれる。死体の髪は切り取られ、専門家(ユダヤ人)の手で、歯(金歯)が抜き取られる。ユダヤ人たちが、歯のなかに宝石、金、プラチナ等を隠していたことが発見されている。そのあと、死体はエレベーターに積み込まれ、10の大型焼却炉が設置されている一階に上げられる(新しい死体は特別よく燃えるので、焼却全体にわたって、50ー100ボンドのコークスしか必要としない)。この仕事はユダヤ人囚人によってなされるが、彼らは二度とこの収容所のそとには出られない。
こうした「再定住行動」の成果は、これまででユダヤ人50万人にのぼる。目下の「再定住行動」焼却能力は、一日1万人である。」
「地下に番号つきのベンチのある縦長の脱衣室があり、そこからガス室までの通路があること、
柱状の装置を通じて毒ガスのもとであるチクロンBが投げ込まれること、
死体がエレベーターで一階に運ばれて焼却されることなどからして、
これはおそらくビルケナウ収容所焼却炉IIのクレマ2の記述だと思われる。
アウシュヴィッツ武装SS警察建設局が、焼却棟IIとIIIを完成させたのは、それぞれ1943年3月31日と6月25日。
1943年5月4日の時点では、焼却棟IIだけが稼動していたからだ。
さて、これは『クレマIIでガス殺があった』という動かぬ証拠だが、どう説明するのかな?」
「これが証拠? 話にならんな」
「弁護人、この文書に証拠能力がないという証拠はあるのですか?」
「はっ! そんなものあるわけが……」
「もちろんだ」
「ハッタリだな。どう言い分けしようと手遅れだ」
「手遅れかどうかは後で判断する。
隠密の本質は徹底的な現実主義――― まずはその時の一部始終を出来る限り詳しく話せ」
「どこかで聞いたことがある台詞ね」
「あれでしょ、ウリナラ起源」
「ヽ`∀´> ニダ」
「一部始終? 文書を見れば明らかだろう。見ての通りだ」
「なるほど。
この文書には、『ドアが閉じられ、物質を入れた容器が柱のなかに投げ込まれる』とある。
物質というのはおそらくチクロンBだろう。
ガス殺はチクロンBによって発生した青酸ガスで行われたそうだからな」
「そうだ。空洞の柱のなかにチクロンBの錠剤が投下され、それがガス室の床に撒かれた後に気化してガス殺が行われたんだ」
「それは嘘だ。
その犯行は物理的に不可能だからな」
「証拠は?」
「現存するクレマ2、クレマ3の柱が何よりの証拠だ。
あれはコンクリート製で中身は空洞ではない
クレマ2の7つの柱のうち最後の次の柱は、南から見ると、天井の断片を支えている。
クレマ3の柱は地上に出ているがやはりコンクリートの柱だ。
中身が空洞の柱はどこにあるんだ?」
「な、なにぃ!」
「というか、アウシュヴィッツ博物館の説明では、クレマ2,3のガス殺は天井の穴からチクロンBを落とし、すぐさまにシャッターを閉じてガスを充満させるというやり方だったはずだ。
つまり、お前が言っている説明は新説だということだよ。
お前の説明を肯定すると、自動的にアウシュヴィッツ博物館の説明が嘘ということになるが、いいのかそれで?」
「りょ、両方のやり方があったんだ!」
「両方ねぇ……それこそ新説じゃないのか?」
「ぐぬぬっ!」
「さあ答えてもらおう。
クレマ2,3のガス殺方法はどれだ?
天井の穴からチクロンBを入れるのか、空洞の柱の中にチクロンBを入れるのか、もしくは両方か?」
「……」
「答えられないの?」
「アウシュヴィッツ博物館は嘘をついていたんですか? どうなんです?」
「答えられないようだな」
「前回からインチキ多いね、アンタ。
いい加減、ニッコーとか対抗言論をソースにするのやめたらどうだ?」
「……」
ぷっつん……
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「あ、キレた」
「違う違う。ファビョったのよ」
「え? じゃあ謝罪と賠償を請求されちゃうの?」
「まあ、あれだけ集中砲火喰らえば叫びたくもなるわな」
「謝罪しるー!」
「とか言いますよ。きっと。ふふふ♪」
「敗北主義者に支援は必要ない。必要なのは鉛の弾丸だ」
「大尉殿。この糞ったれは手淫の習性が染み付いて腰一つまともに動かせませんぜ」
「……なんの会話をしてるの?」
「さあ?」
「クルツさん、酷いですよ」
「え? 何のことだ?」
「アルクさんのことです! 見てください。
クルツさんの一言でアイデンティティーが崩壊寸前ですよ」
「ぶつぶつぶつ……」
「別にいいじゃねぇか米帝の傀儡がどうなろうと」
「米帝って、をい……」
「鉄十字勲章ものだな戦友」
「そんなブリキ、エルハルトお前にくれてやるよ」
「エルハルトって誰?」
「誤魔化してもダメですよクルツさん。あなたが酷いことをした事実は消えません」
「……なんか悪いことしたっけ?」
「しましたよ!
あっさりトドメをさしちゃったら面白くないじゃないですか! ぷんぷん!」
「……微妙に言っていることおかしいよ、君」
「結局、何もしないうちに自滅しちゃったわけね。全然ダメじゃん」
「さらに、この書類には『新しい死体は早く燃える』とある。
そんなことは有り得ない。
人体の7割は水分なのだから、古くなって乾燥した死体のほうが燃えやすいに決まっている。
こんな非科学的な文章を平気でソースと言い張る肯定派は間違いなく確信犯だな」
「けどよ、それじゃ天井の穴からチクロンBを落としたって説はどうするんだ?」
「現存のガス室に空いている穴は偽装されたものだよ。
連合軍の偵察写真がその証拠だ。
焼却棟の位置を見れば、1944年8月25日の連合軍の偵察写真は左が焼却棟II、右が焼却棟IIIを示していることがわかる」
↑ 1944年8月25日撮影 |
「黒い点があるわね。これは穴じゃないの?」
「問題はそれだ。
焼却棟IIの写真を拡大してみよう」
「さて、この黒い点は一見するとチクロンBを投入する穴のように見える。
証言によれば毒ガスのチクロンBは天井の投下穴から投げ落とされたそうだからな。
だが、その証言には大きな問題があるのだ。
今度は『John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photos』より引用したこっちの写真を見てもらいたい」
「写真に書かれた赤い点は、アウシュヴィッツ博物館に残っているクレマIIで空いている穴だ。
写真の4つの黒い円が何かはよくわからんが、少なくとも穴ではない。
そんなところに穴は空いていないからだ、」
「穴じゃないならこの黒い4つの点は何なの?」
「わからん。
おそらく写真の上に書かれたものではないかと思われる。
さらに、焼却棟IIの現存している穴がこの写真には写っていないということも問題だ。
現存する穴は、人がそこから降りていくこともできるくらいの大きさがある。
降りていくことができるというより、地上にあった正規の出入り口が崩壊してしまっているためここからでしか入れない。
『John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photos』より引用した、上の航空写真に書かれた右の赤い点の位置にある穴の写真がそれを示している」
「現存する穴の幅は約70cmで、見ての通り人間が一人入れるくらいの大きさだ。
もしこの穴が当時に実在していれば、確実に連合軍の航空写真にも写っていただろう。
だが、現存する穴の位置に穴らしいものは写っていない。
それにこの穴をよく見てみろ。
『John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photos』より引用した、上の航空写真に書かれた右の赤い点の位置にある穴だ」
「ハンマーでぶっ叩いて空けた穴みたいに見えるわね」
「おそらく当たりだろう。
鉄骨が下方向に向かって曲っているからな。
機密性が重要視されるガス室の穴開けにハンマーで穴を空けるわけがない。
また以上のことから、現存するクレマ2の穴は1944年8月25日以降に何者かによって開けられたものだと言うことができる」
「ひとつ気になったのですが、現存する穴がどうしてガスの投下口だと断言できるんですか?」
「どうしてって……目撃証言を裏付ける大きさの穴はそれしかないからだ。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の金属作業場で働いていた囚人ミチャル・クラはガス室の投入するための針金網柱を製造したと証言している。
これらの柱は、高さ3m、70cm×70cmだそうだ。
だから、この証言を裏付ける大きさの穴となると現存する穴はその2つしかない。
焼却棟IIに換気システムを設置したトップフ・ウント・ゼーネ社の技術者カール・シュルツェは25cm×25cmと証言しているが、それは現存する天井には見当たらない」
「わかりませんよ。もしかしたら関係ない穴かもしれないじゃないですか」
「? 何を言っているんだ。
現存する穴がガスの投下口でないとすれば、投下口の穴はどこにあるというのだ?」
「ガス室は爆破されてしまったのでしょう?
だったら検証は不可能です。現存する穴は爆破やその他の事情で空いた穴かもしれません」
「検証できんことはないぞ。
クレマ2は、屋根は被害が大きいがガス室の天井は比較的手付かずのまま残っているからだ」
「穴をふさいだとか考えられますね」
「それは考えられない。
1944年の写真に写っている黒い点の場所には、以前そこに穴があったことを示すセメントの斑点がない。
もしも穴があったなら4つの穴を埋めた痕跡が見られるはずなのだ。
まったく痕跡を残さずに、チクロンBの穴をコンクリートでふさぐという作業はとても難しい。
まず、型枠を組んでコンクリートを流し込み、乾燥したのちに型枠を取り除くとすると、穴とコンクリート・ブロックを固定させる必要がある。
そのままではブロックは外れてしまうからな。どのように、ブロックと穴を固着させたのだろうか。
もし何らかの技術を使って、穴にコンクリート・ブロックを固定させたとしても、穴の周辺のセメント資材とブロックのセメント資材がまったく同質でなければ、それがふさがれた跡であるとすぐにわかってしまう。
その痕跡がないということは最初から穴などなかったということだ。
そして現存する穴は爆破による亀裂が入ってない。
もしも戦前にチクロンBの投下穴があれば、ガス室を爆破したときに亀裂が入っているはずだ。
だからこれは爆破された後に穴が空けられた。戦後に空けられた穴なのだ」
↑ クレマIIの中から撮影した天井の写真(部屋の壁の煉瓦が崩れているが天井は無事である)
参考資料:航空写真と矛盾している12の「目撃証言」 著ジョン・ボール
(アドレス:http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/revisionism_site/air_photo_evidence/ball_02.htm)
換気穴のない死体安置室は1945年1月27日から2月18日のあいだにソ連軍が行なった爆破によって崩壊しているにもかかわらず、1943年当時のままのようである。1944年の写真に写っているしるしの場所には、以前そこに穴があったことを示すセメントの斑点がない。もしも、1943年のオリジナルの天井にそのようなものがあったとすれば、直線状に並んだ斑点が見えることであろう。1945年の爆破によって傾き、部分的に崩壊してしまったが、1944年の換気穴のない死体安置室もこのようなものであったろう。
参考資料:ルドルフ報告
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/05auschwitz.htm)
死体安置室の壁は、二重の煉瓦でできており、隙間にはタールの層が塗りこめられている。[183] 内壁は、硬いセメント豊かな材料で塗られており、天井とコンクリートの支柱は、木造の支えのしるしを示しており、漆喰で塗られてはいない。鉄筋コンクリート製の屋根は、タール層から分離している。タール層は、それを覆っているかなり薄いセメント層による環境的・機械的損傷から保護されている。屋根の上と二つの煉瓦の壁のあいだのタール層は、ビルケナウの湿地帯の高い地下水位の水を防ぐバリアーとして、不可欠であった。二つの死体安置室には、いくつかの排水溝があった。
参考資料:ルドルフ報告 著:ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/05auschwitz.htm)
焼却棟IIの死体安置室1の屋根はその多くが現存しているが、この種のものを何も発見することはできない。プレサックでさえも、今日見ることができるのはこれらの穴だけであることを認めている。[259] しかし、彼の著作には多くの写真が掲載されているのであるが、この二つの現存の穴を写したはっきりとした写真は掲載されていない。
今日、焼却棟IIとIIIの死体安置室1(「ガス室」)の屋根にはその他の小さな亀裂、傷、開口部がある。これらすべては、鉄筋のロッドが突き出しており、あとになってから、鉄筋コンクリートに生じた亀裂である。コンクリートがきれいに注がれた端、あるいは漆喰の残った粗雑にあけられた端はどこにもない。以前のコンクリートや煉瓦/モルタルの穴の痕跡もまったくない。死体安置室の床、天井、支柱には、たがをはめる鉄、止め釘、その他の固定器具の痕跡はまったくない。もしも、これらの穴のいずれかが、チクロンBの投下穴として使われたとすれば、屋根が完成したのちに、すなわち、いわゆる大量殺戮が始まる前に、付け加えられたはずである。[261] しかし、これらの穴には、粗雑な端を平らにする漆喰作業も施されていないので、毒ガスの流出や土や雨の流入を防ぐことはできなかったであろうし、そこに投下装置を設置することもできなかったであろう。このような粗雑な穴を使うことは、信じられないほどへまなやり方であったろう。
しかし、さらに問題点がある。図46にある開口部では、鉄筋はすぐに切断され、その後に曲げられている。今日でも、かなりの長さである。元に戻して、 写真の左側に移っている(雪に覆われている)左の突き出た切れ端につなげることができそうである。[262] 穴のまわりに花輪状に走っている鉄筋のロッドの痕跡はまったくない。それゆえ、この穴が投下穴として使われたはずはない。完成していないのである。もっと悪いことに、この穴は、現存している屋根のすべての穴と亀裂のなかで、「最上」のものである。その他の穴や亀裂は、もっと不規則な形をしており、鉄筋のロッドで一杯である。当時の技術では、鉄筋のロッドが取り除かれてもいない、粗雑にあけられ、漆喰も塗られていない穴に、何らかの装置を付け加えることはできないであろう。それゆえ、ガス投下装置を頑丈に設置することはできなかったし、ましてや、外部からシールすることもできなかったであろう。このことは、ガスが開口部から漏れ出してしまうので、毒ガスを所持したいわゆる犯罪者も含んで、周囲全体が危険にさらされてしまうことを意味する。さらに、これらの穴を閉じることはできなかったので、犠牲者この穴から逃亡したり、チクロンBの投下を阻止したりすることを防ぐには、力を使わなくてはならなかったであろう。
建設後に死体安置室1(「ガス室」)の一つの屋根に開口部が開けられたとすると、すなわち、コンクリートと鉄筋の建物に損傷を与えたとすると、その後の建物の爆破から生じる天井の亀裂と裂け目は、かならず、まずこれらの穴を通ることであろう。
なぜならば、爆破は想像を絶するような力を生じ、物質的な緊張は、建築後に付け加えられた開口部の隅で非常に高いレベルに達し(裂け目効果、図48参照)、これらの亀裂はまず弱い個所を通過するからである。それゆえ、のちに付け加えられたために、周辺のコンクリート構造にすでに損傷を与えているこのような開口部は、亀裂や裂け目が走りやすいというだけではなく、かならず走ることになる個所となる。図49−53がこのことを示している。地上の炉室での爆破圧力が全方向に逃げることができ、上の階につながる天井が完全に手のつけられないまま残っていたとしても、炉室の5つの換気口のうちの3つは完全に破壊されている。明瞭にみることのできる亀裂は、プレサックが掲載している写真に写っている2つのその他の穴の隅に作られている。[255]
焼却棟IIと焼却棟IIIの死体安置室では、爆破による圧力は上方に逃げることができただけであった。だから、その天井の方が、炉室の天井よりもはるかに壊れているのである。しかしながら、焼却棟IIの死体安置室1(「ガス室」)の屋根のいわゆるチクロンBの投下穴は、比較的損傷を受けていない。図46に写っている穴の場合には、なんと天井すべての亀裂や裂け目が穴のまわりを通っているのである。現場検証すると、死体安置室の天井がまったく損傷をこうむっていない場所に開口部が勝手に配置されているのである。このことが建築学的に証明しているのは、この穴が屋根の破壊後に開けられたということだけである
「それではこんなのはどうですか? こんなのがありますけど」
↑ 焼却棟II(1943年2月撮影)
「地上に隆起したガス室の屋根に突起物が見えるわね」
「これがチクロンBの投下穴だとすれば、翌年に撮影されたさっきの航空写真に同じものが写っていてもおかしくないのではないでしょうか」
「いや、それを航空写真の黒い点とするには大きすぎるし、現在の穴が空いている場所とも位置が異なっている」
↑ 1943年2月撮影のクレマ2のサイズ
ルドルフ報告 著ゲルマール・ルドルフより
(http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/00index.htm)
Fig. 38:焼却棟IIの死体安置室1の横断面。物体の遠近法消尽線、すなわち、交差線上にある物体の推定位置。[245] 3つの物体は明らかに、屋根の上で均等には配置されていない。灰色の四角形は、今日現存している二つの穴の場所。
ルドルフ報告 著ゲルマール・ルドルフより
(http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/00index.htm)
「目撃証言によるとクレマIIのチクロンBの投下穴は70センチ四方の大きさだったそうだし、現存する穴の大きさもそれくらいだ。
だからこれが航空写真に写っているとすれば影の大きさは2〜3m2くらいになるはずだ。
だが、航空写真の黒い点はそれよりはるかに大きい。
また焼却棟IIとIIIの煙突は同じサイズだが影の長さが5倍ほど違う。太陽との角度が2つの煙突で違うから影の長さが違うのだ。
しかし、航空写真の黒い点はクレマII・IIIとも同じくらいに見える。
こんなことは有り得ないだろう。クレマIIとIIIの投下口はまったく大きさが違うということになってしまう」
「実際違ったのでしょう。爆破してしまったために現在は検証ができませんが、この写真からはサイズが違うことがわかるのです」
「そして影の角度が違うことも見逃せない。
煙突の影の角度は焼却棟II・IIIとも焼却棟に対して約45度の方向になっている。
だが黒い点の影は角度が焼却棟に対して約90度になっている。
この黒い点が本物ならば影の角度も建物に対して約45度になってなければおかしい」
↑ルドルフ報告より写真の解析(http://vho.org/GB/Books/trr/5.html#5.4.1.)
死体安置室1の上の点が投入口ではありえないことを簡単に見て取ることができる。
大きすぎるし、不規則すぎるし、影の方向が間違っている。
「それにこの突起物は写真によっては写ってないのだ」
↑ 焼却棟II 1943年1月撮影
「ありゃ? 一ヶ月前の写真には突起物がないわね」
「想像力を働かせましょう。
一ヶ月間の間に外枠が新たに追加されたのです。そう考えれば何の矛盾もありません」
「で、工事のためにハンマーでぶっ叩いて穴を空けたのか。現在ある穴は鉄骨が折れ曲がってるぞ」
「いえ、だから現存する穴はチクロンBの穴ではないのですよ」
「1944年8月25日撮影の黒い点の箇所には穴を埋めた形跡はない。現存した穴が投下穴ではないなら穴など最初からなかったということになる」
「では、あくまであの突起物が投下穴の延長ではないとするのであれば、あの突起物はなんなのでしょうか?」
「それだな。
あの突起物はチクロンBの投下口ではないことは現在の穴の位置と天井に穴を埋めた痕がないことから説明できる。
ではあの突起物はなんなのか別の説明を求めなくてはならない。
たとえば、おそらく建物の建設中に屋根の上におかれた何かの物体であったかもしれないが、断言はできない。
なんのかわからんが、穴でないことは説明できる。穴がなければチクロンBは落とせないからガス殺もなかったということだ」
参考資料:ルドルフ報告 著ゲルマール・ルドルフより
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/05auschwitz.htm)
図37は、地下室の外枠を示しており、その幅と3つの物体の幅をおおよそ明らかにしている。写真の解像度は普通であるにもかかわらず、これらの物体の幅は同一ではなく、屋根の上に均等にも配置されておらず、逆に、互いに立っている位置が接近しすぎていると結論できる。また、左から一番目の物体の影が、ほかの二つの物体の影と比べると、きわめて明るい色であるのも特異である。図38は、これらの物体の位置を上から眺めた図である。[245] 上記のaからeまでの条件を満足させるものは一つもないので、これらの物体がチクロンB投下穴の屋根に突き出た部分であるという説は、放棄されねばならない。
さらに、死体安置室を写したほかの写真には、これらの物体は写っていないことも指摘しておかなくてはならない。1943年1月20日に撮影された写真(図39)[246]、および、1943年夏に撮影され、プレサックの掲載しているもう一つの写真である。[247] それゆえ、1943年2月に撮影された写真に写っている物体については、別の説明を求めなくてはならない。たとえば、おそらく建物の建設中に屋根の上におかれた何かの物体であったかもしれない。あるいは、あまりありそうもないことであるが、身の毛もよだつことに、あとで、写真に手が加えられたのかもしれないということである。
図40は、1944年8月25日に撮影されたビルケナウ収容所の連合国の航空写真の拡大である。[248] 黒い部分が(矢印)を焼却棟IIの死体安置室1(「ガス室」)屋根、横翼の上に見ることができる。この航空写真を立体的に観察すると、図40の黒い部分には高さがないことがわかる。[249]
もしも、チクロンBの投下穴が目撃証言の述べているように各側面70cm(21/3ft)のサイズをもっていたとすれば、航空写真の点は2〜3m2(20〜23ft2)であるので、その点ではありえない。囚人バラックの煙突、大きな焼却棟の煙突はコントラストもはっきりしており、対称的であり、垂直であることに注意すべきである。これとは逆に、二つの焼却棟の死体安置室1の点は、焼却棟IIの主要翼室に対して、ほぼ75〜80度(焼却棟III)、80〜90度(焼却棟II)である(図41を参照)。これらの点が何らかの物体であったならば、焼却棟IIの煙突の影、囚人バラックの煙突の影、その他この写真にあるものの影と同じ配置となるであろう。実際の影は、点とは異なり、焼却棟IIとIIIに対して45度の角度である(図41)。
焼却棟IIの煙突の高さは15mであった。[180] 写真に写っている煙突の影は、焼却棟IIIの死体安置室1(「ガス室」)の影よりも5倍ほど長い(煙突の影の長さ:20m、太陽の角度は37度ほど。焼却棟IIIの死体安置室1(「ガス室」)の上の点の長さは4mほど)。したがって、この長さの影を作り出すには、チクロンB投下穴は焼却棟IIIの死体安置室1(「ガス室」)の上に3m突き出していたことになる。こんなことはありえないであろう。
空間的な高さの欠如、不規則なサイズ(長さと幅)、不規則で、間違った点の方向。こうしたことは、これらの点が何らかの物体の影ではなく、まして、伝説のチクロンBの投下穴ではありえないことを、はっきりと明らかにしている。これらの点は不規則であいまいであり、それらは少なくとも一つの航空写真には存在していないことを考えると[251]、これらの点は、あとで、写真に手を加えた結果生じた偽造であると結論せざるをえない。カナダ在住の航空写真分析専門家John Clive Ballが1992年後半に発表した専門的研究は、この航空写真がCIAのもとに保管されていたときに偽造されたことを立証している。なんと驚くべきことであろうか。[252]
「わかりませんよ。ひょっとしたらアウシュヴィッツIのガス室みたいに、現在のクレマIIの天井そのものがレプリカなのかもしれません。
だから穴の位置がおかしい。これなら矛盾がありません。
可能性は無限大です。簡単に結論を出すのはいかがなものかと」
「無限大って……」
「アホか。
だいたい貴様はなんなんだ。毎回毎回邪魔ばかりしおって。人の足を引っ張るのがそんなに楽しいのか」
「ひどい! わたしがそんな心の貧しい人間に見えますか!」
「見える」
「うう……人を信じられなくなったら人間おしまいですよ」
「君が言うかその台詞を」
「ではクレマ3の方はどうなのですか?」
「クレマ3の方はダメだ。屋根も天井も爆破の被害で壊れてしまっている。現場検証は無理だ」
「ハッハッハっ!
つまり、1944年8月25日のクレマ3の写真に写っている穴が偽者とは証明できないということだな!」
「だから影の方向が間違っていると言ったろうが」
「検察側は影の方向が間違っている件について異論はないのですか?」
「……そのうちネットで弁護側の妄言を論破する資料が出てくると思う」
「今すぐには反論できないということですか?」
「……今しばらく時間と予算をいただければ……」
「弁解は罪悪と知りたまえ」
「だ、誰だ! お前は…!」
「ふむ。
現時点では影の方向がおかしい点について捏造以外の解釈はないようですが、時間が経てば反論が出てくるでしょう。
航空写真についてはここまでとします」
「ところで偽造したとされてる航空写真の出所はどこなんですか?」
「CIAだよ。
上の写真は米軍が偵察した航空写真で、1979年にCIAがそれらの写真を公開した。
だから黒い点を擬装したのはおそらくCIAだと思われる」
「だから偽造写真ではないと……」
「じゃあ黒い点の正体はなんなんだよ。偽造じゃないというならあれがなんなのか説明すべきだ」
「あなただって突起物がなんなのか説明できなかったじゃないですか」
「穴でないことが証明できればそれでいいだろう」
「影の方向は説明できませんが、あれがチクロンBの証拠だということはニッコーが認めています」
クレマIIIについてニッコーの説明
(http://www.nizkor.org/ftp.cgi/camps/auschwitz/images/Krema3.jpg)
「……影の方向が説明できなきゃ意味ないじゃねぇか」
「上の写真以外にも、米軍が撮影したアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)の航空写真は、百枚を越えているそうだ。
だが、それらの写真には煙が写っていないんだ」
「煙?」
「ガス殺死体を焼却したときに写ってるはずの煙よ。
毎日何千人、何万人も殺して焼却炉がフル活動していたのなら、その煙が写っているはずなのよね」
「そうだ。
CIAが公開した写真には、ブルジオーニと言う航空写真の専門家が写真にコメントをつけた。
彼はキューバ危機の時に、U2機が撮影した航空写真を解読したエキスパートだ。
そして、ブルジオー二は戦争中アメリカ軍機が撮影した航空写真についてコメントした中で、しばしば語られて来た「煙」が写っていない事を認めている」
「黙って聞いていれば煙が写っていないなどとデタラメばかりをつきおって……!」
「なら見せろよ、煙の写ってる写真をな」
「ふっふっふ…… よかろう。
これが証拠だ!」
「あれ? これって煙、よねぇ……?」
「その通り。
煙が写ってないだと?
この写真にはしっかり煙が写っているじゃないか」
「っていうことは、航空写真に写らなかったのは偶然っていうこと?」
「そういうことだな。
この写真は1944年の春にビルケナウで撮影されたものだ。
この写真こそ絶滅計画を立証する動かぬ証拠だと言える」
「うーん、煙が写っているというのは否定派にとっては都合が悪いですね」
「というわけだ。ホロコーストは実在したんだよ」
「やっぱりそうなのかなぁ……」
「ヤツラ、もう戦争に勝った気でいやがる……」
「よろしい、では教育してやるか」
「その写真に証拠能力はない!」
「どういうことかな? この写真のどこに証拠能力がないんだ?」
「その質問に答える前に、まずその写真をどこで入手したか聞かせていただきたい」
「これはアメリカのユダヤ人権擁護団体のサイモン・ウィゼンタール・センターが1999年に自分のサイトでアップしたものだ。
ホロコーストの証拠としてな」
「証拠?
こんな偽造されたものが証拠なわけがなかろう」
「つまり、弁護人は、この写真はサイモン・ウィゼンタール・センターによって偽造されたものだと言うのですか?」
「その通り。これはインチキ写真だ」
「証拠はあるのですか? この写真が擬装されたものであるという証拠は?」
「当然。でなければ異議は唱えない」
1944年春に撮影されたオリジナルの写真
「写真はナチスのユダヤ人絶滅を証明しているか? 著ウド・ヴァレンディ」Udo Walendy, Do Photographs Prove the NS Extermination of the Jews?, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000より
「!」
「これは…… 同じ写真?」
「そう。
こっちがオリジナルの写真で、上はパソコンの画像データをいじって煙を追加した偽の写真だ。
デジタル技術の脅威という奴だな。
素人でもパソコンで簡単に合成写真が作れるのだから技術の進歩というものは素晴らしい。
サイモン・ウィゼンタール・センターもパソコンで煙を合成したのだろう。
ともあれこの通り、オリジナルの写真には煙が写っていない」
「ふっ 何を言うかと思えば……
こんな偽写真を持ってきても意味はないぞ」
「なんだと?」
「判事、弁護人は卑劣にも、煙をパソコンの画像処理で消去しました。
先ほどの航空写真も似たような手口で穴を消したのでしょう。
まったく何という汚いヤツラだ。
判事、このネオナチに法廷侮辱罪を適用してください」
「それはちょっと話が飛びすぎですね。
しかし、パソコンで誰でも合成写真を作れるとなると、この写真の真偽は誰にもわからないことになってしまいます」
「待っていただきたい。
弁護側は、サイモン・ウィゼンタール・センターが偽造したという証拠を持っている」
「はっ そんな証拠があるわけ――――」
「検察に質問する。
検察が提出した写真の後ろ側にある左から2〜4本目の棒状の物体は何だ?
煙を出している棒だ」
「煙突だろう?
煙も上がってるし」
「これが煙突?
とうとうボロを出したな。
これは煙突ではない。
これはフェンス・ポストだよ」
「! そ、そんなバカな!」
「サイモン・ウィゼンタール・センターがマヌケで助かる。
わざわざ自分からガス殺否定の根拠を提供してくれるとはな……
よく見れば煙の出所も変だし、煙そのものがCG加工されたようにも見える。
人間や建物に比べてあまりに煙が不自然に写っているしな。
どちらにしろフェンス・ポストから煙が上がるわけがないのだから、この写真の現象は有り得ない。
さて、判事。
検察は卑劣にも、フェンス・ポストから煙が上がっているというインチキ写真を証拠として提出しました。
弁護側としては、検察に対して法廷侮辱罪を適用すべきだと主張します」
「ぐぬぬぬっ……!」
「むぅ……
まあ、法廷侮辱罪を適用してしまうと、コンテンツが終了してしまうのでできないのですが――――」
(よしっ!)
「こうなると先ほどの航空写真もソースにならなくなってしまいますね」
「なぜですか?」
「しかし、黒い点が書かれていたではないですか」
「たしかに……だが、それこそが穴の空いていない証拠と見るべきでは?
ホントに穴が空いていれば黒い点を書く必要はない」
「ですがそれは状況証拠に過ぎません。
写真に証拠能力がないことは貴方が証明してしまったわけですし…
この時点で結論を出すのは早すぎると思います」
「そ、その通りだ! よく言ってくれた判事!」
「む? 立ち直ったか?」
「いや、かなり効いてるぜ。見ろよ、冷や汗でびっしょりじゃねぇか。
ゴングに救われたってヤツだな」
「外野うるさいぞッ! このネオナチどもめ!」
「千鳥、フェンス・ポストから煙が上がっている写真が怪しいと思ったらネオナチ認定されてしまったようだぞ。
どうすればいい?」
「うーん……フェンス・ポストからは煙なんて出ないでしょうねぇ……」
「想像力を働かせるのです。誰かがいたずらに作った合成写真をSWCが何かの間違いでうpしてしまっただけであると。
すぐ消したのだからケンチャナヨです」
「どんな矛盾も間違いで済ます気かよ……」
「検察側のソースが信用できないのは認めよう。
だが、それは弁護側のソースも同じだ!
写真に証拠能力はない!」
「どうやら仕切りなおしになったようですね」
「まだまだいくよぉ〜〜〜♪」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……そのなんだ、すまん。
ちょっと言ってみたかったんだ……」
「まったく…… もうすぐ三十路になるくせにガキなんだから……」
「何か言ったか小僧……?」
「大尉殿は美人で頭が良くて兵達の憧れの的であります」
「うむ、よろしい」
(……んなわけねぇだろが……)
「年増女の虚しい強がりはどうでもいいのですが」
「誰が年増だってぇ……!」
「それより『まだまだいくよぉ〜』とはどのような意味でしょうか?
クレマII、クレマIIIのガス室立証ができてないという証拠があるというですか?」
「ある。
1989年、ガス室肯定派のフランス人薬剤師ジャン・クロード・プレサックがある本を出版した。
『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』(Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989, pp. 553)だ。
この本は、それまで非公開だったアウシュヴィッツのガス室の設計図を引用した画期的な本だった。
プレサックの研究結果によって、ガス室は完全に立証されるはずだった」
「だった?」
「結局、この本はガス室否定には役に立ったが、ガス室肯定には何の役にも立たなかったんだよ」
「なんでそんな本が出版できたの?」
「内容が支離滅裂だからだ。
よくわからん説明で読者を誤魔化そうと必死で、チェックする連中もプレサックが何を言っているのかよくわからなかったのだろう。
それで製本されたわけだが、時すでに遅し。
プレサックの考察や解説、結論に惑わされず、彼が調べた資料から判明した事実のみを並べれば、この本は非常に役に立つ」
「出版内容をチェックする人って、案外マヌケなんだな」
「仕方あるまい。一つの本ばかりにこだわるわけにはいかんのだからな。
それはともかく、このプレサックによってガス室肯定論は論破された。
それを今から説明する。
さて、まずクレマIIについてだが、その部屋の設計図を見れば、死体安置室として作られていることは明らかだ」
焼却棟IIの平面図とクレマIIの立面図
「著ゲルマール・ルドルフ ルドルフ報告 アウシュヴィッツの「ガス室」の化学的・技術的側面についての専門家報告」 Germar Rudolf, The Rudolf Report. Expert Report on Chemical and Technical Aspects of the "gas Chambers" of Auschwit, Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2003より
『平面図』
- 死体安置室I(「ガス室」)30×7×2.41m
- 死体安置室II(「脱衣室」)49.5×7.9×2.3m
- 死体安置室III(のちに分割された)
- 死体を地上の炉室に運ぶエレベーター
- 換気口
- コンクリートの支柱
- コンクリートの梁
- のちに付け加えられた地下室への入り口
1〜3:ルドルフ報告のためにサンプル1〜3が採取された場所
『立面図』
- 排気口
- 吸気口
- 地面
「航空写真と比べればわかるように、『a』の部屋がガス室と呼ばれている地下室Iで、
『b』の部屋が囚人が服を脱いだという地下室IIだ。
連合軍の航空写真にあるような穴はこの設計図には存在していない。
なお、クレマIIIの設計図はこのクレマIIの設計図と対照になっている。
図面の@〜Bを見ればわかるように、この地下室は大部分が地下に埋まっている。
地下の方が低温だから、死体を安置するのには適しているからだ。
つまり、図面を見れば、クレマIIが死体安置室の性能を持っていることは明らかだということだな」
「ふはははは! 低温だから死体安置室だと?
その説には矛盾がある。
なぜならこの部屋には暖房装置が設置される予定だった!」
「暖房装置?」
「その通り。
プレサックによれば、クレマIIは元々は死体安置室として作られていたが、その後になってガス室に改造されたのだ。
そしてチクロンBを温めてガス化するために、暖房装置が必要になったというわけだ」
「死体安置室に暖房装置があっても全然問題ないぞ。
死体が凍結するのを防ぐには暖房装置が必要だからな」
「凍結? 死体が凍っちゃうの?」
「たしかに……
ポーランドは緯度的には北方領土の樺太(からふと)とほぼ同じ所に位置している。
暖流と大陸性気候の影響で過ごしやすいとはいえ、冬の地下室の温度はマイナス以下になるだろう。
暖房装置は夏は必要がないが、冬には必要があるかもしれん」
参考資料:ポーランドの年間平均気温
(アドレス:http://www.arukikata.co.jp/country/poland.html)
大陸性の気候で、はっきりとした四季がある。夏は気温が30℃近くまで上がることもあるが、湿度が低いので快適だ。冬はかなり冷えこむが、バルト海のおかげで緯度の割には厳しくない。ワルシャワでも10月には雪が降る。旅行のベストシーズンは初夏だが、9月頃の“ポーランドの黄金の秋”も美しい。冬のザコパネではウインタースポーツが楽しめる。
※ワルシャワの月別平均気温図を見ると12月〜2月までは平均気温が0度以下になっている。
「死体安置室は防空シェルターとしての性能も求められていたから、暖房装置が必要だったのかもしれない。
また空気を殺菌するのに暖房装置は使われる。
そんなわけで暖房装置そのものは死体安置室にあってもおかしくないシロモノだ。
ところでプレサックは自著の中で暖房装置について触れているが、結局、暖房装置は設置されなかったことは書いていない」
「そうなの?」
「そうだ。
隣の部屋は焼却炉だから莫大な熱が出る。
その熱を強制送風装置を使えば暖房装置の出来上がりだ。
だが暖房装置案は考慮はされたが却下された。理由は調べたがわからんかった。
電力不足という説があったがよく読んだら根拠が不十分だったので却下しておく。
コストダウンというのがありそうな理由だがそれを裏付ける資料がなかった。
ともあれ、理由はよくわからんが暖房装置案は計画されたが設置されなかった。
そして暖房装置のない地下室に水道管を通せば中の水が凍結し、破裂してしまうから役に立たない。
それどころか、水道管が破裂したら死体安置室が水浸しになってしまう。
それを防ぐために水道管の撤去がされた。
だから水道管のないシャワーが残っていた。
天井にシャワーヘッドだけが残された理由はおそらくコスト削減のためだろう。水道管さえ取り除けばシャワーヘッドはあって邪魔になるものではないからな。
水道管を作った時点では暖房装置が設置される予定だったのだ。
プレサックは『シャワーヘッドがついているが水道管がない』ことを『ガス室に改造された証拠』としているがそれは根拠に欠ける」
「では、換気装置はどう説明するのか?
図面の『e』は換気装置だ。
死体安置室に換気装置があるのはおかしいではないか」
「死体安置室に換気装置があるのは全然問題ない。
何十体、何百体の死体を置いておけば伝染病が蔓延する原因になるから、汚染された空気を換気するのは当然だ。
現在の日本の死体安置室でも換気装置が義務付けられている。
疫病対策に換気装置は必要だということだな。
同じ理由で密閉性のドアや、死体を洗うためのシャワーも説明できる。
両方とも現在の日本でも義務付けられているものだ。
死体安置室が密閉性を持っているのは当たり前の話なんだよ」
参考資料: 「アウシュヴィッツの「ガス室」の化学的・技術的側面についての専門家報告」著ゲルマール・ルドルフGermar Rudolf, The Rudolf Report. Expert Report on Chemical and Technical Aspects of the "gas Chambers" of Auschwit, Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2003 歴史的修正主義研究会試訳
5.4.1.2.5.前もって暖房された死体安置室
事実:焼却棟IIとIIIの死体安置室は、一時的に暖房システムが考慮されたことがあるけれども、暖房されなかった。死体安置室1の水道管は除去された。[225]
間違った結論:通常の稼動では、死体安置室には暖房は必要ない。焼却棟IIとIIIは殺人「ガス室」に改造され、「ガスが速やかに作動するように」暖房システムを備えた(そのように計画された)。パニックにおちいった囚人が水道管を破壊しないように、死体安置室の配管システムを取り除く必要があった。[226]
正しい結論:専門文献によると、死体安置室にも何らかの暖房装置が必要である。死体を冬季の凍結気温から保護しなくてはならないからである。[227] したがって、通常の稼動においては、死体安置室は暖房装置を必要としていたかもしれないが、アウシュヴィッツの死体安置室に暖房装置を備える当初の計画は破棄されたので[228]、上記の結論は不適切である。水道管の除去については、次のような「非犯罪的」説明の方が論理的であろう。すなわち、これらの死体安置室には、暖房システムが設置されなかったので、水道管は凍結によって破裂する危険性があった。水道管が破裂して、死体安置室が水浸しになることを防ぐために水道管が除去されねばならなかった。
[225]前もっての暖房:J.-C. Pressac, op. cit. (note 67), pp. 221, 223. 水道管の除去:ibid., p. 286;この論争は、プレサックの夢想する「犯罪の痕跡」にもとづいているので、まったく無益であはあるが、詳細については、H. Verbeke, op. cit. (note 43)も参照。
[226]とくに、水道管に関する、プレサックについての上記の注も参照。ペルトも同意見である。Pelt Report, op. cit. (note 66), p. 296。アーヴィング・リップシュタット裁判での判事グレイも同意見である。op. cit. (note 66), §7.68.
[227]E. Neufert, op. cit. (note 176).
[228]J.-C. Pressac, op. cit. (note 67), p. 230. 強制排気送風機の余熱は利用されるはずであったが、これらが負担過多となり取り除かれたので、死体安置室1を前もって暖房する計画は破棄された。
「むぅ……」
「プレサックによれば、クレマII、IIIの換気システムは、もともと、新鮮な空気が天井から入り、冷たい汚れた空気が床の近くから排出されるという、死体安置室用に設計されたものだったそうだ」
参考資料: 『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』もしくはプレサック(1989)によるとアウシュヴィッツ・ビルケナウの間に合わせのガス室とでたらめのガス処刑 著ロベール・フォーリソン Robert Faurisson, Auschwitz: Technique & Operation of the Gas Chambers Or, Improvised Gas Chambers & Casual Gassings at Auschwitz & Birkenau, According to J.-C. Pressac (1989)歴史的修正主義研究会試訳より
「死体安置室1[殺人ガス室]の換気システムは、もともと、新鮮な空気が天井から入り、冷たい汚れた空気が床の近くから排出されるという、死体安置室用に設計されたものであった。これをガス室として使うには、新鮮な空気が床の近くから入り、青酸に汚染された暖かい空気が天井近くから排出されるという逆の構造が必要であった。しかし、SSと[プリュファー技師]は、それでも十分に役立つであろうと期待して、もともとの死体安置室の換気システムのままにしておいた」と、プレサックは、224頁で書いている。さらに、489頁では、「吸気(上部)、排気穴(下部)という設定は、システムが、ガス室ではなく、地下死体安置室用に設計されていたことを証明している。ガス室の場合には、暖かい汚染された空気の排出は上部になくてはならないからである」と書いている)。
「プレサックは、『SSがこの換気システムのままガス室に改造した』と言っているが、それは明らかにおかしい。
青酸ガスは空気よりも軽いから、青酸ガスを排気するなら台所の換気扇のように、天井近くになければならない。
しかし、死体安置室の換気システムは、空気が上から下に流れている
これでは空気よりも軽い青酸ガスはいつまで経っても排気できない」
「今の『青酸ガスは空気より軽いから排気できない』というのは論理的におかしい。
例えば空気中は酸素と窒素が1:4の割合で存在しているが酸素の分子量32、窒素は28。
では大気中の下20%の部分に酸素が集中しているかというとそんなことは無い。
何故かというと酸素と窒素の分子量(重さ)の差(この場合は4)は無視できるほど小さいからだ。
この場合問題となる青酸ガス(HCN)は27。28の窒素とほぼ同じ。
空気中に均等に拡散されているとしてまったく問題ないだろう。ゆえに空気より軽くてもそのまま足元から排気できるのだ」
「じゃあ排気能力は十分なわけね?」
「当然だ」
「ホントに十分と言えるのか?
1943年5月末、すなわち、大量殺戮が始まったとされている2ヵ月後の時点で、『ガス室』の換気能力は、脱衣室、ひいては、解剖室、配置室、洗浄室より低かったのだ」
参考資料:ルドルフ報告 著:ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/05auschwitz.htm)
5.4.1.2.4. 換気装置
事実:焼却棟IIとIIIのすべての部屋は、効率的な換気装置をそなえていた。[216]
間違った結論:焼却棟IIとIIIの死体安置室1は毒ガスを排出するための装置をそなえた殺人「ガス室」に改造された。[217]
正しい結論:
疫病による大量の犠牲者で満杯で、窓もなく、一つのドアだけをもった大きな死体安置室が、換気装置をそなえていないとは考えられない。しかし、換気能力から考えると、これらの装置は典型的な死体安置室用のものであった。[218] 送風機の能力は、システムの設置後にトップフ社が中央建設局に送った発送状から見ることができる。[219] その発送状によると、二つの死体安置室#1、すなわち、いわゆる「ガス室」(発送状では"B-room")はそれぞれ、4800 m3/h の吸・排気送風機を備えており[220]、一方、“L-room”(いわゆる「脱衣室」)には、10000m3/hの能力の排気送風機だけが設置されていた。[221]
二つの死体安置室(死体安置室1÷504 m3、死体安置室2÷900m3)の容積を考えると、いわゆる「ガス室」では 1時間あたり(4,800/504=)約9.5回、脱衣室では1時間あたり(10,000/900=)約11回空気を入れ換えることができた。1943年5月末、すなわち、大量殺戮が始まったとされている2ヵ月後の時点で、「ガス室」の換気能力は、脱衣室、ひいては、解剖室、配置室、洗浄室――その換気能力はもっと大きく、1時間あたり約131/3回であった――より低かったのである。このようなことが考えられるであろうか。
焼却棟の建設に関するWilhem Heepkeの古典的な研究は、死体安置室には、最小限で1時間に5回の空気交換が、フル稼働のときには、10回の空気交換が必要であると述べている。[222]
したがって、焼却棟IIとIIIの死体安置室に設置された換気装置は、その大きさから考えると、フル稼働状態の死体安置室もしくは疫病の犠牲者の死体で満杯の死体安置室を想定して、設計されたことは明らかである。比較してみると、空気循環システムを持つチクロンB殺菌駆除室には、1時間で72回空気交換する装置が設置されていた。[223]
さらに、プレサックでさえも、SSは犯罪的意図をもっていなかったと認めている1941年の時点で、中央収容所の新しい焼却棟のオリジナル計画では、解剖室(!)と死体安置室に1時間17回(!)の装置が予定されていた。[224]
この交換比率は、いわゆる「ガス室」を含む焼却棟IIとIIIの部屋すべての入れ換え能力よりもかなり高い。したがって、通常の健全な計画から(悪意のあるとされている)建設計画に移っていく途中で、空気交換比率は劇的に下がっていったことになる(おそらくコスト削減のために)。SSは、死体安置室を健全な利用から殺人「ガス室」に改造するにあたって、換気能力を上げるのではなく、下げたことになる。このようなことを信じることができるであろうか。かくして、これらの焼却棟に換気装置が設置されたことがその犯罪性を立証しているという説は決定的に論駁されているのである。
参考資料:アウシュヴィッツとビルケナウの「ガス室」に関する技術的・化学的考察 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/revisionist/rudolf_01.pdf)
以下の記述は、いささか複雑な数学的概念を説明する助けとなるであろう。100個の青いボールの入ったバケツがあるとしよう。誰かが、バケツのところにやってくるごとに、一個の赤いボールを入れ、中身をかき回して、なかを見ずに、勝手に選んだボールを取り出すとしよう。50個の青いボールがバケツに残り、その他はすべて赤いボールとなるまでに、何回これを行なわなくてはならないだろうか。ヒント:すでに青いボールの半分を赤いボールで取り替えていたとすれば、盲目的に取り出すにあたって、青いボールの代わりに赤いボールを取り出してしまう、すなわち、青いボールと赤いボールを取り替えるという目的にそぐわないことをしてしまうことがある。これは、汚れた空気と新鮮な空気が混合している換気室で発生する問題である。部屋を換気することは考えられている以上に長い時間がかかるものである。先のケースでは、半分の青いボールが赤いボールと取り替えられるには平均70回の交換が必要である。計算してみると、焼却棟IIとIIIのいわゆる「ガス室」のなかの換気設備は、通常の死体安置室用の設備であり、1時間でせいぜい6〜8回の空気交換をすることができただけであろう。(排気口の真上に吸気口があるという)劣悪なシステムと死体が充満していたとされる部屋の状態を考えると、たとえ数時間ガスを放出するチクロンBがまったくなかったとしても、30分という時間は、ガス処刑が行われたのちに、青酸を無害なレベルにするには不十分であろう。したがって、焼却棟IIとIIIの死体安置室1で20〜30分ので十分であったと述べている目撃証言は、信用できない。このことは、一つか二つのドアから排気するしかなかった焼却棟IVとVおよび農家(ブンカー)にはもっとあてはまる。死体が充満し、チクロンBが散逸していたとすれば、換気には、通常の害虫駆除室と同様に、少なくとも1日が必要であろう常の部屋はチクロンBを除去するスペースがあり、を容易にする窓があり、死体で充満しているわけではない。だから、これらのガス室でガス処刑の直後にガスマスクをつけずに、作業したという目撃証言は、まったく信用することができない。また、たとえガスマスクをつけていたとしても、死体の運搬は、重労働であり(発汗を伴う、3-1を参照)青酸の充満した部屋での作業は、皮膚から毒を吸収する危険があるために、非常に危険であったにちがいない。
「『完全に空気を入れ替える』という作業は、たとえば、毎分10立方メートルの空気を排出する能力を持つ排気装置を使えば、100立方メートルの部屋ならば、100÷10=10分で『完全に空気を入れ替える』ことができるという単純な計算ですむものではない。
それはたとえば風船のガスを一方的に一定の量で出す場合には成り立つが、換気という面ではもっと複雑な計算が必要となる。
大きな部屋の空気を『完全に入れ替える』には、1時間に70回ほどの空気を入れ替える能力を持つ排気装置が必要となるのだ。
事実、やはりチクロンBを使用した害虫駆除室には、1時間に72回の空気交換能力を持つ排気装置が計画されている。
この場合、害虫駆除室は1時間換気すれば中に人が入れるようになる。もちろん、それは計算上の話なので実際には機械で測定してからだ。
当時の規定によるとHCN残余物検知装置を使った検知作業は、シアン化水素を使った殺菌駆除作業が行なわれるときには、燻蒸された部屋の換気がうまくいき、ガスマスクをつけずに入室できるかどうか調べるために義務づけられていた。
しかし問題の死体安置室は安全に必要な72回どころか当初は17回で計画され、さらにその半分の9.5回まで減らされた。
証言によれば20〜30分で換気はできたとされているが、この換気能力ではとても無理だ」
「数字などは単なる目安に過ぎん。
実際にできたのだからそれは可能だったのだ」
「ガス室とされてる部屋の換気能力が具体的な数字で公表される前はその理屈でも通ってしまったが、図面などの技術的な資料が公開されてしまってはそうもいかんだろ」
「プレサックが肯定派にも否定派にもアホ呼ばわりされている理由はそこにあるんだよな。
図面を公開して結果的に死体安置室の立証をしてしまったから、プレサックは肯定派からは批難されちまっている。
俺にはプレサックが何をしたかったのかさっぱりわからん」
「せっかく残された資料を使って解析しようとしたのに散々ね」
「だからガス室肯定派の新作なのに、マスコミは騒がなかったんだよ」
「なるほどねー。騒げば嘘がばれちゃうからそりゃ騒がないわ」
「そもそも、可燃性の青酸ガスを充満させた部屋の隣りに焼却炉があるという話自体が信じられん。
何かの拍子で引火したらどうする気だ。『ガス殺に使う濃度なら引火しない』とかいう屁理屈は実際の工場では通用しないぞ。
引火する可能性が少しでもあればそれを潰すのが当たり前だ。
『引火性のガスの近くでは火を使わない』
これは当たり前のはずだ。それをよりによってガス室の隣が焼却炉だと? こんな危険な設計をする馬鹿はいない」
「ふっ、それは貴様の思い込みだ。
SSは『濃度が低いから問題ない』と考えたのだ。それが事実だ。『実際にはやらないだろう』ではない。それは『やったから事実』なのだ。
では別の証拠を出すとしよう。
ドアがガス室の証拠だ。
焼却棟IIの死体安置室1はのぞき穴を持つガス気密ドアを備えていた。
死体安置室1のドアは、もともと内開きの二重ドアとして設計されていたが、外開きの二重ドアに取り替えられた。
この2つの事実を元にすれば、結論は一つ。
焼却棟IIの死体安置室1は、ガス気密ドアを持つ殺人ガス室に改造されたのだ」
「死体安置室はシェルターとしての性能が求められていたからガス気密ドアを持つのは不思議ではない。
のぞき穴に関しては消毒用のガス室にもあるし、シェルターのドアには必ず覗き穴がついている。
というか、のぞき穴は、『部屋の中をドアを開けなくても見ることができる』というだけの話だから殺人用ガス室の証拠とはならない。
外開きに変更されたのは簡単に説明ができる
死体安置室内部外気圧が低いために外開きドアなら自動的にドアが閉まる。そうすれば死体安置室の臭いや病原菌が外に出なくて済む。
それよりプレサックの最大の自爆点はアウシュヴィッツのガス室のドアは木製のドアと書いてしまった点だ。
消毒用ガス室のドアは木の板でシール素材はフェルト片だった。
これは鉄は戦時中は配給となり、できるかぎりその他の資材で代替されたからだろう。
プレサックは殺人用の『気密ドア』はそれと似たものだと考えているが、そんなものを本当にガス室のドアに使ったら内部の囚人が暴れて壊れるだろう。
例えばサッカーのスタジアムの入り口のドアは熱狂した観衆に押されてぶっ壊れることがある。
だから殺人用ガス室のドアであるなら、内部の囚人の体当たりにもびくともしない頑丈さと、錠や蝶番などの装置が必要になる。
木製のドアでは証言どおりのガス殺は行えない」
研究ノート:ホロコーストの「映像資料」
――オレールの画集『目撃者、アウシュヴィッツのイメージ』より――著:加藤一郎
(アドレス:http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/eupora/olere_1.doc)
(c)オレールのスケッチは、外開きのドアを描いている。ホロコースト派のペルトは、当初、内開きに設計されていた焼却棟II、IIIの死体安置室1のドアが、のちには、外開きに変更された事実を、この部屋が「殺人ガス室」として使われた証拠とみなしている。内開きのままでは、入り口のドアに殺到した犠牲者の死体の山のために、ドアを開くことができないというのである。これに対して、ホロコースト修正派のルドルフは、「死体安置室1のドアが内開きから外開きに変更されたことついては、簡明に説明することができる。焼却棟は、収容量が限られていたので、通常、疫病で死亡した死体を保管する死体安置室を備えていた。発疹チフスなどの疫病はビルケナウ収容所で多くの生命を奪い、死体安置室1は吸気・排気設備を備えた唯一の死体安置室であったので、疫病の犠牲者は一時的にここに保管されたのであろう。保管死体から発する悪臭のガスが建物のほかの部屋に入ることを防ぐために、機能的な換気設備は、このような死体安置室の内部気圧をわずかに低くする。このような環境のもとでは、どのような二重ドアも、しっかり閉まるために、外開きでなくてはならないであろう」と、外開きに変更された技術的理由を明らかにしている。また、弱い木製のドアでは、「ガス室」に入って事態を察知し、入り口に殺到する「数百のパニックに陥った人々」を阻止することはできないとも批判している.
「結局、クレマII、IIIにある設備は、死体安置室兼防空シェルターだとすれば全て説明がつく。
ついでに、この設備を作った技術者は生前のインタビューで作ったのは死体安置室であると答えている。
このインタビューは本人の死後に公開することを条件に行われたものだ」
参考資料:「私たちが建てたのはガス室ではなく死体安置室でした」――
焼却棟建築技師の死の床からの証言―― 著:W.ラデマッヒャー
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rademacher_01.htm)
ヴァルター・シュライバーは、1908年生まれで、1999年に91歳でウィーンで他界した。彼は、ウィーンの工科大学で建築工学を学び、1931年には、「グロースグロックナー・ホッホアルペンシュトラーセ(アルプス高高度道路)」の建設に、建設監督官助手として勤務した。長い失業期間ののち、1932年に、ソ連に移住し、1935年まで、ブリャンスク、スパッスク、ペトロフスクで、冷凍庫、アルコール飲料工場の建設に従事した。1936年、ドイツに帰国し、最初はテシュ社に、ついで、1937年から1945年8月31日まで、フタ社に勤務した。シュライバーは、1943年1月11日から、1945年に上部シレジエンから疎開するまで、カトヴィツェの支社に主任技師として勤務した。
(中略)
L:どの分野で活動されていたのですか。
S(シュライバー):主任技師として、フタ社の建設計画を監督し、SS中央建設局と交渉していました。また、会社の発送状も検査しました。
L:収容所に入ったことがありますか。どのような様子でしたか。
S:はい。誰もが妨げられることなく、どこにでも歩き回ることができました。ただ、出入り口のところでだけ、看守に呼び止められました。
L:囚人の殺害や虐待について何かを見たり、聞いたりしましたか。
S:いいえ。しかし、収容所の通りでは、囚人たちの隊列が比較的劣悪な状態であったのを見ることができました。
L:フタ社は何を建てていたのですか。
S:いろいろありますが、とくに、大きな死体安置室を持った焼却棟IIとIIIです。
L:この大きな死体安置室についてですが、それは大量殺戮のためのガス室であったというのが定説(自明の理?)となっていますが。
L:そのような類のことは、われわれの手元にある図面からは推測することはできません。私たちが作成した詳細な図面と発注書は、この部屋のことを地下室として言及しているだけです。
L:コンクリートで強化された天井にあったとされる投入穴について何かご存知ですか。
S:知りません、私の記憶にはありません。しかし、この部屋は副次的目的として防空シェルターとしても使われることを意図されていたので、投入穴[換気口]が副産物として想定されることもあったのかもしれません。もし、そうなった場合には、私は強く反対したでしょうが。
L:ビルケナウの地下水位は非常に高いのに、そのように大きな地下室が建てられたのはなぜですか。
S:わかりません。しかし、もともとは、地上の死体安置室が建てられるはずでした。地下室の建設は、防水と水漏れ防止の面で大きな問題を引き起こしました。
L:あなたはだまされており、SSは、あなたが知らないところで、あなたの会社にガス室を作らせたということは考えられませんか。
S:建築現場を知っている人物であれば、それが不可能であることを知っています。
L:ガス室について知っていましたか。
S:もちろんです。東部地区にいたものであれば、誰もが害虫駆除室のことを知っているはずです。私たちもこのような施設を建てましたが、その外観はまったく異なっていました。私たちはこのような施設を建て、建設後にも、その外観を知っていました。建設会社として、設置される装置にあわせて、しばしば変更を行なわなくてはなりませんでした。
L:あなたの会社は工業的な大量殺戮のためのガス室を建設していたという話をいつ耳にしましたか。
S:戦争が終わってからです。
L:そのことで驚きましたか。
S:はい。戦後に、ドイツにいた私の上司に連絡を取って、この件について尋ねました。
L:何がわかりましたか。
S:この人物も戦後にこの件をはじめて知ったとの話でしたが、フタ社は絶対に問題の部屋をガス室として建設してはいないと私に確証してくれました。
L:フタ社がアウシュヴィッツを離れたのちに、改築が行なわれたとは考えられませんか。
S:考えられるかもしれませんが、時間的な問題を考えると、その可能性はないと思います。改築にはやはり、建設会社が必要ですし、SSにはたとえ囚人の手を借りたとしても、自分たちの手だけでは改築できないからです。ガス室の稼動の詳細についてはのちに知ったのですが、それに必要な技術的要求から判断すると、私たちの建てた建物は、必要な装置と実際的作動の面から考えて、ガス処刑という目的にはまったく不適当であったに違いありません。
L:なぜ、そのことを公表しなかったのですか。
S:戦争が終わった直後には、別も問題を抱えていました。そして、現在は、そのようなことは許されていません。
L:この件で、証人として尋問されたことはありますか。
S:連合国側も、ドイツ側も、オーストリア側も、焼却棟IIとIIIの建設についての私の知識、および総督府での私のその他の活動について、まったく関心を示しませんでした。私がカトヴィツェのフタ社に勤務していたことは知られており、私もこの件について履歴書に記していたにもかかわらず、尋問されたことはまったくありませんでした。しかし、この事実を知っていることは危険でしたので、それについて、決して公にしようとは思いませんでした。だが、今日、嘘がますますまかり通るようになり、私のようなこの時代の証人たちが、ゆっくりとではありますが、確実に姿を消しつつありますので、この件について私の話を聞きにきて、その話を文字通りに書き留めていただけることに感謝しております。心臓病を患っており、いつ死んでもおかしくないので、今しか時間がないのです。
「逆にガス室だったら説明がつかないものが少なくない。
さっきの換気装置や木製ドアもそうだし、投下穴の問題もある。
とりわけわからないのは、アウシュヴィッツ博物館にあるこのジオラマだ。
これは焼却棟II、IIIの地下室2、すなわち脱衣所を再現したジオラマだそうだ。
(参考サイト:ttp://www1.linkclub.or.jp/~ttakeshi/porhtml/pora23.html)
しかし、ゲルケナウの焼却棟II、IIIの場所は周りには遮蔽物がない。
「John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photos」より引用した1997年に焼却棟IIIから撮影した写真がそれをしめしている。
見ての通り、あるのは有刺鉄線だけだ。
第一のフェンスの向こう側は運動場で、降車場は右側にある。
つまり降車場、運動場、バラックにいた人々は、焼却棟の広場で起っていることすべてを見聞きすることができた。
つまり、ガス殺は他の囚人に公開されていたということになってしまう」
「それはおかしい。
何千人という人間が並び、地下室に入っていって悲鳴が聞こえるなどということが毎日繰り返されていたのならば、絶滅計画を極秘に進めることは不可能だ」
「それにガス室の噂が知れ渡ってたんなら、外で待ってる連中は暴動を起こしたはずだろ。
このジオラマの連中はなんで大人しく並んでいるんだ?」
「現実には考えにくい光景よね、このジオラマは」
「そう、このジオラマは『絶滅計画は極秘で行われていた』という連合国の主張と《ムジュン》している!」
「だから何でカタカナなのよ……」
「弁護側は以上の考察から、クレマII、IIIはガス室ではないという結論を出した。
……判事はどう考えか?」
「……ふむ。
なんと言いましょうか、ここで結論を出してはせっかく集めた資料が無駄になってしまうので、とりあえず次へ進みたいな、と」
「また身もフタもない理由ね、別にいいけど」
「というわけで次にいきましょうか」