#1285/1770 研究室「パンドラの箱」
★タイトル (QYA33902) 96/12/ 2 22:44 ( 62)
ニツコー>66Q%amp;A51番 三鷹板吉
★内容
1944年9月の国際赤十字派遣団によるアウシュヴィッツ訪問の報告は、収容者たちは差し入れ小包を受け取ることを許され、ガス室の噂は確証することができない、と指摘するものだった。
ガス室の噂は確証することができなかった。なぜなら派遣団は、ガス室と火葬施設が存在したアウシュヴィッツのクレマを訪問することを厳重に禁じられていたからだ。派遣団は、アウシュヴィッツ収容所という巨大な複合施設の中の、絶滅対象とされていない囚人が収容されている箇所にのみ連れていかれた。連合軍の戦時捕虜がアウシュヴィッツに収容されていた。彼らは適切な待遇を受けていた。しかし、彼らはガス殺について知っていて、国際赤十字の派遣団にそのことを示唆した。
一例として、前記のSS少尉ハンス・メンチ医師は、ニュルンベルク国際裁判での証言の中で、このことを確証している(「主要戦争犯罪人の裁判」 1948年 第8巻 p.313-321)。メンチは以下のように言っている。
私は民間人や赤十字委員会などによる収容所内のガイドつきツアーを何度となく目撃した。私は、これらのガイドつきツアーが、いかなる非人間的待遇をも見ることがないように案内されるというような方法で、見事なまでに仕切られるよう、収容所指導者が取り計らっていたことを確証できる。第1収容所のみが見せられた。第1収容所の中でもいわゆる「展示ブロック」である第13ブロックのみが見せられた。そこはこのようなガイドつきツアー向けに特別に準備されていて、ベッドとシーツを備えた通常の兵舎のようにしつらえられていた。キチンと機能する洗面所まで備えられていたのだ。
(三鷹注:主要なクレマトリウムはこの第1収容所=狭義のアウシュヴィッツではなく、数キロ離れた第2収容所=ビルケナウに建設されていました)
皮肉なことに、絶滅に関係する施設を見せないというポリシーは、明記こそされていないが、IHR自身によっても確証されている。「ロイヒター報告」において、専門家とされているウォルター・ロイヒターは、強制収容所所長らに宛てられたメモに言及している。ロイヒターによれば、以下のような内容だ。
売春宿とクレマトリウムは、収容所訪問を通じて見せてはいけない。これらの施設については、収容所訪問者によって言及されることのないように……
ロイヒターは以下のコメントを加えている。
つまり明らかに、その他のすべては見せてもかまわず、訪問者に言及されてもかまわなかった。つまり論理的に、ガス室がもし存在したとしたら、見せられ言及されたということになる。でなければ禁止対象に含まれていただろうから。
専門家とされているロイヒターは「クレマトリウム」という用語が、複合火葬施設を指しており、それには焼却炉のみならずガス室も備え付けられていたということに気がついていない。
そうハッキリ書いてはいないが、ロイヒターは自説に反する証拠を提示しているのだ――複合火葬施設で何か国際赤十字に見られたくないことが起きていないなら、なぜそれを隠す必要があったのか?
「ロイヒター報告」は、ニツコーで、テキストファイルの形でオンラインで入手可能だ。あるいはIHRのグレッグ・ラビンのウェブサイトのウェブページとして。「赤十字」というテキストを検索せよ。