ソフィア先生の逆転裁判2

Subject24
ディーゼルエンジンを使った一酸化炭素ガス室


【BGM 消えない想い 〜Fate stay /night より〜】

 「いいですか。イリヤちゃん?

第二次世界大戦でドイツ人はとってもとっても悪いことをしたんですよ」

 「……でもあのときは戦争だったから……」

 「そんなことは思っちゃダメです。

ドイツは悪いことをしたんです。

それは他の国のやった「戦争」とは比べ物になりません」

 「……」

 「その通りだ。

ホロコーストはドイツ人が行った途方もない罪に他ならない。

それは「戦争」ということでお終いにしてしまうのはあまりに異質なものだ。

何百万人ものユダヤ人やそのほかの人々が人種に対する憎悪から意図的かつ組織的に殺害され、絶滅させられた。

ドイツの教科書に書かれていることはすべて事実だ」

 参考資料:ドイツの中等教育(中高校に相当)用の歴史教科書「歴史と出来事」より

(アドレス:ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130512osie_g_02.html

ホロコーストはドイツ人が行った途方もない罪である。何百万人ものユダヤ人やそのほかの人々が人種に対する憎悪から意図的かつ組織的に殺害され、絶滅させられた」

 参考資料:「時代と人々」より

(アドレス:ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130512osie_g_02.html

「ドイツ人の名声は世界中で傷つけられてしまった。この犯罪は、全体主義国家では命令ひとつで人間による『(民族)絶滅企業体』が稼働をはじめ、人種的優越感がいかにすばやく大量殺人に進展していくかを示している」

 参考資料:ドイツの歴史教科書会社が教師のために出している指導用参考書の一節

(アドレス:ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130512osie_g_02.html

「生徒たちはホロコースト(民族集団殺りく)という言葉は知らなくても、ユダヤ人が虐殺されたことは知っている。彼らは、メディアや年長者、友人から知識を得ているが、それは間違ったものであったり、大部分が事実と合わないものであったりする。ドイツの汚辱や恥辱、ドイツ人による計り知れないほど大きな犯罪行為を授業で目の当たりにしたさい、生徒側は事実を素直に受け入れるよりも反発することのほうが多い」

 参考資料:中等教育用の歴史教科書 ベスターマン社「過去への旅」より

(アドレス:ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130512osie_g_02.html

「第二次大戦下、ドイツ人の名のもとで最も驚愕(きょうがく)すべきことが起きた。(ユダヤ人強制収容所のあった)アウシュビッツやほかの場所で日々どのようなことが行われたかについて、その内容をはっきりと把握することは不可能である。冷酷かつ悪魔的な残酷さで人々は死に至らしめられた

 参考資料:中等教育用の歴史教科書 シェーニンク社「時代と人々」より

(アドレス:ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130512osie_g_02.html

「何百万というユダヤ人が最も過酷な強制労働に従事し、ポーランドやソ連の村や都市では武力制圧の直後、ナチ親衛隊や警察の特別部隊などによって最初の大量虐殺が行われた」

 参考資料:コーネルセン社「歴史教科書」より

(アドレス:ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130512osie_g_02.html

「基本的にナチ国家の人々や諸機関からは何の抵抗もなく、あるいは拒否の構えを見せるだけで、絶滅工場の歯車は回り続けた。企業は毒ガスを差し出し、親衛隊は殺害執行人を派遣した。ほとんどだれもさまざまな犯罪に対して全体としての責任は感じなかった」

 参考資料:クレット社「歴史と出来事」より

「今日でさえ(ドイツの終戦記念日である)五月八日は『敗戦の日』なのか『降伏の日』なのか、それとも『破局の日』なのか、あるいは『(ナチスからの)解放の日』なのか−については見解の相違がある」

 「……」

 「まだ納得がいかないようだな。

ではこれを見たまえ。

ナチスが人間の生首をオブジェにした証拠だ」

 「心臓が弱い方はリンク先を開かないようにしてくださいね♪」

図1:いわゆる縮んだ首、

R. Neumann, Hitler - Aufstieg und Untergang des Dritten Reichs, Munich: Oldenbourg, 1961, p. 183.

 「よく見て考えるんだ。

本当にナチスのやった悪行が他の国の『戦争』と同じものとていいのかどうかを。

そしてこれを矮小化しようとする連中がどれほど邪悪なのかを」

 「……はい」

 「イリヤちゃん。

『ドイツ人であることに誇りを持つ』ということはネオナチと同根なのよ。

ドイツ人は清算すべき過去を持つドイツ人として『国家や国民としての誇り』ということばを軽々しく口にすべきではないわ。

ドイツ人は他の民族に遠慮しなくていけないの。

たとえ外国人が仕事を奪ったり治安を悪化させたりしても、ナチのやったことを思えば彼らを責めることはできないはずなの」

 「わかったかな? 君の先祖がどれほど酷いことをしていたかが…」

 「ぅぅ……ご、ごめんな……さい……」

 「うう……うああああんん!!!」

 「ふふ。良いことをした後は気分がいいものですね」

 「神よ感謝します。私は義務を果たしました」


 「てめぇら何をやってやがる!」

 「この大嘘の工作員どもめが! 知識のない子供を洗脳するのはやめろ!」

 「洗脳? これは教育というものだ」

 「それのどこが教育だ!

残酷な写真を見せて子供を泣かせて何が教育だ!

日教○みたいなことしやがって!」

 「子供の頃に受けたショックは大人になっても忘れない。

したがって子供の頃にこうしてドイツは悪いことをしたと身体で覚えさせれば、まともな大人が育つことになる。

それにこれはドイツでは教師が普通にやっていることだぞ?」

 「War(ウォー) Guilt(ギルト) Information(インフォメーション) Program(プログラム)のせいでドイツの自虐は日本よりも酷い!

お前のようなヤツがいるから今のドイツは……!」

 「自虐的になるのはナチスが悪魔だったから当然のことだ!

ナチスに比べればソ連・英国・支那など子悪党に過ぎん。

悪は滅びる!

ネオナチに救いの道などない!」

 (……さりげなく米国を抜いているところはやっぱりアメ公だな)

 (……最近のアルクは言動がだんだんおかしくなってるわね。目がイっちゃってるし)

 「やはりホロコーストは宗教だということか。

『信仰とは真実を知りたがらないことである』とはニーチェの言葉だが、実によく言ったものだ」

 「脳みそがキムチでできてるホロコースト真理教の狂信者の結論はいつもこれか。

まったく迷惑な話だぜ」

 「ソフィアさんもヴォルフさんも言いがかりはやめてください!

わたしたちが何をしたと言うのですか?」

 「……平気で嘘泣きができるってのは大した特技だな、いやマジで」

 「う、嘘泣きなんて酷いです!

わたしはただドイツの子供たちに正しい歴史を知って欲しいと思っただけなのに!」

 (こっちはこっちで……まあ、いつものことだけど)

 「何が正しい歴史だ!

それは連合国に都合の良い歴史だろうが!

しかもそれが事実ならともかく、まだ善悪の区別がつかないような子供に罪の意識を植え付けようとするなど……!」

 「むっ どこが嘘だというのですか?」

 「ドイツの教科書にもいろいろと突込みどころがあるが、最大の突込みどころはお前らが持ってきた生首の写真だな。

あれはたしかに本物の人間の首だが、ナチスが死体をオブジェにしたものではない。

あの生首のミイラは南米産で、人類学博物館の物品番号がついている

 参考資料:「写真はナチスのユダヤ人絶滅を証明しているか?」著ウド・ヴァレンディ

Udo Walendy, Do Photographs Prove the NS Extermination of the Jews?, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/walendy_01.htm


最初の写真は、アメリカ軍がブッヘンヴァルト収容所を解放した際に発見したとされている2つの縮んだ首である。これらの医学標本は囚人の死体の一部であるという。刺青の入った電灯の笠、本のバインダー、しおり、ならびに2つの縮んだ首はとくにセンセーションを呼び起こした。一般的なニュルンベルク裁判の起訴状とは別に、これらは、ブッヘンヴァルトの前収容所長の妻イルゼ・コッホの裁判で証拠として提出された。彼女は、刺青で囚人を選別し、殺害して、彼らの皮膚から様々な製品を作るように命令したという。

アメリカ軍のクレイ将軍の陳述によると、人間の皮膚から作られたとされる電灯の笠は、ヤギの皮から作られたものであった。(7)A.L.スミスは、この問題についての詳しい研究の中で、合衆国委員会が人間の皮膚から作られているとみなしていたものは、ニュルンベルク国際軍事法廷に送られたのちに、跡形もなく消え去ってしまったことを発見した。(8) のちに発見されたすべての物は、偽物の皮か動物の皮、繊維かボール紙であった。1973年、合衆国国立文書館は、人間の皮膚で綴じられている2つの本を発見した。1982年、このスェード皮を法医学的に分析した結果、大きな動物の皮膚であるという結論となった。(9)

のちにイルゼ・コッホはドイツの法廷でも告発されたが、その告発は、ダッハウ裁判の職業的証人の価値のない証言だけにもとづいていた。これについてはマンフレッド・ケーラーがすでに本書で議論している。この当時広まっていたヒステリー、「宣伝と大衆的連想」(10)の雰囲気の中でイルゼ・コッホ――アメリカのダッハウ裁判では終身刑を宣告されたが、その後恩赦されていた――はドイツの法廷でふたたび終身刑となり、のちに自殺した。証拠として提出された2つの縮んだ首は南アメリカ起源のものであることがわかり、ドイツの人類学博物館の物品番号をつけていた。(11)これらも跡形なく消え去っている。

スミスの指摘するところでは、ブッヘンヴァルト収容所にはイェーナ大学からの医学生がおり、彼は刺青と犯罪との関係についての学位論文を書いていた。彼は、この関連で、すでに死亡した囚人からとられたものであったかもしれないが、刺青の入った皮膚を利用したのかもしれないという。(12)病人から器官や身体組織をとることは、病人やその親戚の同意があれば、医学的・教育的目的とすると、異常なことでも非難すべきことでもなかった。だから、どのような意味で皮膚が採取されたのかが問題となる。いずれにしても、ブッヘンヴァルトその他で発見されたものには、誤ったキャプションが付けられており、虚偽の話となっている。

(11)おそらく、ブッヘンヴァルト近くのヴァイマール自然博物館――今日では存在しない――のものであろう。その展示物の一部は、ゴータの自然博物館に所属している。Peter Langeとの個人的会話。 Helmut Rehmは、当時のメディア報道から、これらの首にはベルリンのダーレムの人類学博物館の物品番号がついていたと記憶している。個人的会話。コッホ関係の書類を調査して、この首がどこから来たのか、現在どこにあるのかを調べる価値がある。

 「え? 人類学博物館?」

 「『人類学』は人間がどのような進化の道筋をたどってきたかを解明する学問だ。

だから、その時代のミイラは研究の好サンプルとなる。

実際に日本の京都大学では縄文時代の人間の頭蓋骨がサンプルとして保存されているが、それを「死体のオブジェ」と批難するものはいない。

死体を切り取って保存することは一般人の感覚からすれば異常なことと思えるが、医学をはじめとした学問の分野ではタブーでもなんでもない。

ましてや博物館の物品番号がついているとなれば、それは学問の研究に使われたことの重大な証拠となる」

えっち 「じゃあこの人たちは、博物館の標本を見せて『ウェー、ハッハッハ! ドイツ人は謝罪汁! 賠償汁! 反省汁!』とか言ってたわけ?」

 「おい、そんなことは言ってなかったぞ」

 「っていうか、『ウェー、ハッハッハ』ってなに?」

 「2003年1月5日、平壌放送が行った放送で使われた伝説の嘲笑ですよ。

『過去の問題は棚に上げ、拉致問題の解決だけをわめいている日本の振る舞いは、泥棒が泥棒だと叫ぶ破廉恥なものにほかならない。あまりわめいていると、喉頭癌にかかるかもしれない。ウェー、ハッハッハ。』

ってね」

 「……あたしも原作で北朝鮮に拉致されたけど、そこまでアホな人はいなかったわね……」

 「フルメタの北朝鮮はただの貧乏なテロ国家だからな。

斜め上を行く現実の北朝鮮とは別物だぜ。

なんで賀東先生(フルメタの原作者)は将軍様を出さないんだ?

あれだけ強烈なキャラクターなら立派にボスキャラで通用するだろ。

拉致、核ミサイル、特殊工作員、強制収容所、麻薬栽培、殺人用ガス室まであると来てる。

ネタにしてくれと言わんばかりの勢いだぜ」

 参考資料:朝鮮日報 2004/03/04 18:43

(アドレス:ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/04/20040304000059.html

韓国亡命した北の化学者が人体実験を証言

2年前韓国に亡命した北朝鮮の某高位化学者が、自分が直接参観した化学物質による北朝鮮の人体実験について証言し、北朝鮮が1990年代半ばまでこのような人体実験を続けていたことを主張したと、米国のロサンゼルス・タイムズ紙が3日報じた。タイムズ紙は「北朝鮮の化学的拷問主張」という見出しの記事で、今回の主張は北朝鮮の高位科学者としては初めて人体実験の事実を明らかにしたもので、この50代の男性科学者の身元は韓国統一部でも確認済みと報じた。同化学者は、米バージニア州に本部を置く人権団体「イージス(Aegis)」財団の仲介でタイムズ紙と3時間に上るインタビューを行った。その中で同化学者は、自分が博士課程の学生だった1979年、平壌(ピョンヤン)から24キロメートル離れた平城(ピョンソン)近くの政治犯収容所として知られる軍の刑務所で人体実験を参観したと話した。参観理由は、彼の論文がその人体実験に使われた化学物質である青酸カリやオルト・ニトロクロロベンゼンをテーマとしていたためだった。彼はそこで、ヒゲをはやして衰弱し、“到底人間とは思えない”2人の政治犯が、一方の壁面が大型のガラスで作られた部屋に車イスで1人ずつ移されるのを目撃した。その部屋は明るい電燈と化学物質を噴射するノズル、政治犯の悲鳴を聞き取るためのスピーカーシステムが装着されていた。同化学者はタイムズ紙に「一人の男性は必死に首と胸をかきむしっては着用していた灰色の囚人服を引きちぎり、全身が血まみれになった。私は目を反らそうと必死だった」とし、「彼らの悲鳴と絶叫はこの世のものとは思えず、死の直前に超人的な力を発揮しているかのように思えた」と話した。同化学者は時にはためらい、時には激情に駆られるこのインタビューで、「人体実験を目のあたりにしながら、絶えず人を殺すというのがそんなに簡単ではないということを悟った」とした。これらの政治犯が死ぬまで3時間程かかり、彼らが死ぬと防毒マスクと防護装備を着用した刑務官が調査のため、死体を別のきれいな空間に移動させたとした。同紙は「同化学者は博士号を取得した後、主に民間研究所で勤務したが、ある同僚を通じ、北朝鮮の化学兵器による人体実験が、少なくとも飢饉が北朝鮮を襲う1994年まで行われていたことを知ったと話した」と報じた。北朝鮮は先月も政治犯にガス実験を行ったという主張を否定している。しかし同紙は、同科学者については韓国政府も咸興(ハムフン)の某研究所で勤務していた高位科学者だと確認し、韓国と米国の人権関係者も「彼が目撃したのはかなり昔のことだが、彼は極めて誠実かつ信頼のおける科学者で、証言にも一貫性がある」と話していると報じた。

 参考資料:Guardian Unlimited Special reports Revealed the gas chamber horror of North Korea's gulag 2004年1月24日

(アドレス:ttp://www.guardian.co.uk/korea/article/0,2763,1136483,00.html

Revealed: the gas chamber horror of North Korea's gulag

A series of shocking personal testimonies is now shedding light on Camp 22 - one of the country's most horrific secrets

Antony Barnett

Sunday February 1, 2004

The Observer

In the remote north-eastern corner of North Korea, close to the border of Russia and China, is Haengyong. Hidden away in the mountains, this remote town is home to Camp 22 - North Korea's largest concentration camp, where thousands of men, women and children accused of political crimes are held.

Now, it is claimed, it is also where thousands die each year and where prison guards stamp on the necks of babies born to prisoners to kill them.

 参考資料:朝鮮日報 2003.10.31(金)14:13

(アドレス:)

「北の政治犯収容所に15〜20万人収容」

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の秘密政治犯収容所には計15〜20万人が収容されていると推定されると、米国内の非営利人権運動団体「北朝鮮人権委員会(HRNK)」の報告書を引用、CNNインターネット版が31日報じた。CNNによれば、米上院外交委員会東アジア小委員会委員長のブラウンバック上院議員は「国民が飢えたり凍死するなど、鳥肌が立つほど恐ろしいところで、旧ソ連のスターリン当時のグーラク(GULAG/強制集中収容所)を思い出させる」と述べた。北朝鮮当局は日本のテレビなどが提供した中国との国境近くの収容所の映像など、各種の証拠にも関わらず、このような主張と政治犯収容所の存在を、持続的に否定してきた。

 参考資料:朝鮮日報 2002年12月6日

(アドレス:ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/12/06/20021206000017.html

元警備兵が語る「第22号政治犯収容所」

咸鏡(ハムギョン)北道・会寧(フェリョン)にある第22号政治犯収容所は、内部的には「朝鮮人民警備隊 第2209軍部隊」、または「国家安全保衛部・ペクサンク保衛部」と呼ばれる朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)最大の政治犯収容所だ。ここで7年間勤務したため、会寧収容所のことなら何でもよく知っている。会寧収容所は1度収監されれば、死んだ後も出ることのできない「完全統制区域」で、北朝鮮の中でも最も悪名高き政治犯収容所として挙げられる。ここには、約5万人の政治犯とその家族が収容されており、彼らのほとんどは、北朝鮮当局によって徹底的に社会と隔離され、人間以下の生活を送っている。会寧収容所は92年以降、解体された12、13号収容所の受刑者の一部を収容したことから、当初3万人から5万人に増えた。収容所の外郭には、高さ2.2メートルの電気鉄条網が張られ、脱出に利用されそうな通路には、深い落とし穴を掘り、竹槍まで設置している。警備隊員たちは、有事に備え、常に戦闘態勢で勤務しており、AK小銃に弾倉を装填、手榴弾まで所持した状態で、軍犬をつれて警備に当たっている。軍犬は政治犯を見つけると噛み付くように訓練されているため、軍犬に噛まれて死ぬ政治犯も多い。北朝鮮当局は1950年代末、この収容所を設置し、運営を始めた。収容者の中には、20年以上も生き延びている人もいる。収容者のほとんどは地主や資本家、宗教人、韓国戦争当時に治安隊に加担した人、60〜70年代の権力闘争で敗れた、いわゆる「反党宗派分子」たちと、反体制活ョのヨ連者及びその家族たちだ。収容所では、政治犯の中から監督と班長を選出し、自律的に統制をしている。午前5時から冬季は午後7時、夏季は午後8時まで強制労働に動員される。作業後は金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)の学習と生活総和、その他の指示事項を伝達する会議を行う。夜10時からは一切の通行が禁止される。政治犯の家には金日成・金正日父子の肖像画も掲げることができない。収容所のほとんどは農地であり、収容者たちの村や学校、病院などがある。保衛部の警備隊本部と歩哨所が至るところに配置されている。政治犯には1日300グラムのトウモロコシだけが供給されるため、栄養失調が蔓延しており、拷問や殴打、公開処刑が日常のように繰り返されている。脱走した人は無条件で公開処刑される。22号収容所の主な生産物は石炭と農・畜産物で、会寧の特産物である白杏など果物畑も運営している。特に、チュンボン地区の炭鉱は「金策製鉄連合企業所」と「ソンジン製鋼連合企業所」に供給する石炭を専門に生産している。2万人あまりが結集しているため、栄養失調と過重な労働で、人的被害が頻発している。

収容所で生産される家畜は平壌(ピョンヤン)に供給され、農産物は国家安全保衛部と咸鏡北道に供給されている。ここの警備隊員たちが初めて収容所に配置され、教育される内容は、「政治犯はわれわれの敵であり、3代を滅ぼさなければならない反逆児たち」ということだ。しかし、収容者たちが受ける過酷な人権蹂躙と悲惨な生活を直接目撃し、「私たち(保衛部と警備隊)がひど過ぎたのではないか」と考えることもある。ここを脱出してもはや8年という歳月が流れたが、未だ収容所が存在するということを確認すると、胸が張り裂けるように痛む。


整理=姜哲煥(カン・チョルファン)記者

▲アン・ミョンチョル氏は(33)氏は咸鏡南道・洪原(ホンウォン)の出身で、1987年8月、高等中学校を卒業後、国家安全保衛部傘下の人民警備隊に選抜され、第22号会寧収容所で7年間、警備隊員として勤務した。両親が濡れ衣を着せられ、刑務所に収監されたことから、本人も身の危険を感じ、完全武装した状態で収容所を脱出、94年9月、北朝鮮を脱出した。中国で北朝鮮要員の執拗な追跡を振り切り、韓国入りした。アン氏は第22号会寧収容所の実状を暴露した手記『彼らが泣いている』(1955)を出版している。

 「ガス室はウリナラ起源ニダ!

 「……ジョークになってないわよ。それ」

 「地上の楽園は天国に一番近い場所。

仮にガス室や収容所が実在したとしても、それは革命のための尊い生贄なのですよ。

諸外国が北朝鮮の方針に口をはさむのは内政干渉というものです」

 「……」

 「現実がこれじゃ作家はネタを搾り出すのに一苦労だぜ。

いくら面白い話を考えても、ジョークは現実を超えられないんじゃな」

 「賀東先生の中の人も大変なのだな」

 「中に人なんていないわよ!」

 「うぐぅ、とどのつまりわたしは騙されたのね。

この共産主義者たちに」

 「ちょっと待て。いつからわたしが共産主義者になったんだ…?」

 「どうしていつもナチとアカのレッテルの貼り合いになるのかしら…」

 「ナザレのイエスは世界の敵ユダヤ人との戦いにおける最も偉大な初期の闘士だった。

イエスは平和の使徒ではなかった。

父なる神殿で両替商を営むユダヤ人を許せなかったイエスの生涯の目的と教えは、道徳無き資本主義の力に対する戦いであり、そのために彼は最大の敵であるユダヤ人によって十字架にかけられた。

ゆえにキリスト教の歴史は闘争の歴史であり、西欧キリスト教文明を東欧のヴォリシェビキ思想「赤い嵐」から守ることは宿命だった。

独ソ戦こそ、神と巨人の最終戦争『神々の黄昏(ラグナロク)』の再来だった。

それはまさに古代ユダヤ教の邪竜『リヴァイアサン』と、ゲルマン神話の英雄竜殺し(ドラゴン・ターミネーター)『ジークフリート』の戦いだったのだ」

 「だからどうしてそっち(オカルト)の方向にはしるのよ。アンタは」

 「妄想が暴走するようではもはや一般人ではないな」

 「最近どんどん毒電波の濃度が高くなってるわね、このコンテンツ」

 「半島に比べればまだまだグリーンゾーンだけどな」

 「……あれと比べるのはどうかと思うけどね」

 「結論から言えば、『ナチスの死体オブジェ』話を立証する証拠など存在しない。

それをやっていたのは米軍で、自分たちがやっていたからドイツもやっていたと思い込んでいただけだ。

そして当時の連合国でさえも、証拠としては使い物にならんということで却下したのが上の生首の写真だ。

このようなものはたくさんあるが、それを人体実験の証拠として紹介する本は無数にある。

しかもそれを教育現場に持ち込んで子供に見せる日教組のような教師は少なくない。

そして『それはおかしい』と指摘することが犯罪とされてしまっている。

ドイツ憲法では言論の自由を認めているはずなのに、実際のドイツは中国に勝るとも劣らない検閲が日常茶飯事に行われている。

信じられないが本当だ

 ドイツ「犯罪対策法」

公然と又は集会において、公共の平穏を害するのに適した方法により、ナチスの支配下に行われた刑法二二〇条a(民族謀殺)一項において規定する態様の行為を、是認し、事実でないと否定し、矮小化した者は、五年以下の自由刑又は罰金刑に処す。

 オーストリア「ナチス禁止法」

印刷物、放送若しくはその他のメディアにおいて、又はその他公然と多くの人々に見聞に供する方法によって、ナチスの民族謀殺又はその他のナチスの人道に対する罪を事実でないと否定し、著しく矮小化し、是認し又は正当化しようとした者も第3条gによって処罰される。ただし、「第3条g」の量刑は「五年以上一〇年以下の自由刑」から「一年以上一〇年以下の自由刑」に変更。

 フランス「ゲーソ=ファビウス法」

ニュルンベルグで「決定された人道に対する犯罪」を「否定した者」を「一か月から一か年の禁固、および二千から三十万フランの罰金、またはこの二つの刑の内の一つのみ」によって処罰。

参考資料:「フォーリソン、大いに語る」著フィル・サンチェス

Phil Sanches, The Interview with Robert Faurisson

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/sanches_01.htm

Q:ここで、フランスでの法律の作成方法についておうかがいします。間違っているかもしれませんが、とくにあなたを対象とした数多くの反修正主義者法が存在するのですね。

A:いいえ、実際には、一つの特別法があるだけです。

Q:何という名の法律ですか。

A:ゲイソ法と呼んでいます。それは共産主義者の名前です。また、ファビウス・ゲイソ法と呼ぶこともあります。ファビウスは、金持ちのユダヤ人です。社会主義者ですが、大金持ちです。だから、1990年の反修正主義者法は、ユダヤ的・社会主義的・共産主義的法律なのです。パリの裁判所の関係者のあいだでは、「フォーリソン法」を意味する、ラテン語のLex Faurissoniaと呼ぶ人々もいます。1990年7月13日の法律です。興味深いことに、この法律は、1990年7月14日に、Journal Officiel de la Republique Francaiseで公表されました。それは、バスチーユ監獄解放の日です。この日は自由の日とみなされています。

私は、この法律以外の法律によって起訴されてきました。何回も起訴されたので、数を覚えていません。この特別法が発布される1990年以前にも起訴されています。例えば、人種差別を禁止する法律によってです。ユダヤ人の虐殺といわゆるナチスのガス室の実在を否定することで、人種差別という犯罪を犯しているというのです。否定するというのは、告発者側の用語です。実際には、私は何も否定していません。研究を重ねたうえで、この種の犯罪にはまったく証拠がないということを肯定しているのです。また、私はユダヤ人を中傷しているとも告発されました。

 「……どういうこと? あなたたちが見せたらアレは博物館の標本じゃないの」

 「ふふふ、たまにはこういうこともあるんですよ♪

でも些細な間違いだからあんまり気にしちゃだめ。

ケンチャナヨ

 「……あなたたち、知っていてわざと――――」

 「ごほん。

何のことかな?

我々は全知全能の神ではない。

間違いを犯すこともある。

揚げ足ばかり取ってはロクな大人にならないぞ」

 「まったくだ。

妄想と現実が一致しないと大爆発を起こすような脳みそがキムチでできてる大人にだけはなっちゃいけない」

 「それは誰のことを言っているのかな?」

 「さて誰のことかね?」

 「前々から思っていたが、貴様とは一度決着をつけねばならぬようだ。ルクスの件も含めて」

 「ルクスなんぞどうでもいいが、売られた喧嘩は買うまでだ。

とりあえず表に出ろ」

 「随分と生意気な口をきいてくれるではないか!

口を慎みたまえ! 君は米帝国王と会話しているのだぞ!」

 「自分から米帝を名乗るとはな……こうやって開き直った奴が一番厄介だぜ」

 「そもそも建国以来、アメリカには国王などいない。こいつは何を言っているのだ?」

 「見せてあげようアメリカの力を!

あはははは、見ろ! フセイン一味がゴミのようだ!!」

 「なぜムスカ?」

 「ついに狂ったか」

 「っていうかフセインは関係ないんじゃ……」

 「まぁまぁアルク。あんまり脱線すると話が進まないから……」

 「って、なんであたしがこんなことをしなきゃならんのよ?」

 「ごほん。

失敬、あやうくネオナチの挑発に乗るところだった。

さて、ウォーミングアップはここまでだ。

そろそろ本題に入ろう」

 「……」

 (……自称「平和主義者」の胡散臭さにだいぶ戸惑っているようだな。

しかし植え付けられた自虐史観はそう簡単に消えない。

だが、若いうちならば自虐史観から立ち直れる可能性は高い。

もう少しと言ったところか……)

 「さて、では始めるとしましょう」


被告 

判事 

検察  

弁護  

陪審員      

傍聴人 

証人 


 「これより法廷を開廷します♪」

 「2ダ!」

 「ちょっと、あなたこのスレ立てた人?勝手な事しないでよ」

 「むっ!どうしてですか。ウリ的には問題ないと思いますが」

 「あ、そうか。>>3は同人板から来たんだ。

あそこは、スレッドのパート2を作れるのは1000を踏んだヤツだけ、という血のオキテがあるらしいわ。

以前同人板を覗いたら、オキテを知らないヤツがボコボコに叩かれていたし」

 「……何をやっとんだ君たちは」

 「なにって、地鎮祭(じちんさい)よ」

 「じ、地鎮祭(じちんさい)?」

 「地鎮祭(じちんさい)も知らないの?

地鎮祭は、文字通り土地神を鎮めるための神道の儀式のことよ。

この新スレコンテンツが順調にいくように祈願してたの。

お約束でしょう?」

 「お約束以前に、わたしはアメリカ人だ。日本の神道など知らん」

 「え? マジで知らないの」

 「かのアドルフ・ヒトラーでさえ賞賛した神道を知らんとはな。

西洋文明だけが文明じゃない。

もっと世界に目を向けないと視野が狭くなるだけだぜ」

 参考資料:「第三帝国の神殿にて(上)ナチス軍需相の証言」アルベルト・シュペーア著 中央公論新社より

P.177

たとえば1937年に、教会が頑固にヒトラーの意図に反抗したので、党と親衛隊の扇動で多数のヒトラー崇拝者が教会を離れたと聞くと、ヒトラーは日和見的な態度から、彼の重要な同志、特にゲーリングとゲッベルスに、自分は教会とは精神的つながりはなにもないが、カトリック教会の一員であり続けるから、おまえたちもひき続き教会にとどまるようにと命じた。こうして彼は自殺するまでカトリック教徒だった。

ヒトラーがどういう国教を考えていたかは、彼がたびたび繰り返したアラビア人使節団の話から読み取ることができる。その使節団が語ったところでは、八世紀に回教徒はフランスを経て中央ヨーロッパに侵入しようとして、ポアティエの戦闘で敗退した。もしこのときアラブ側が勝っていたら、世界中が今日では回教徒になっていただろう。なぜならアラブ人はゲルマン人に一つの宗教を強制しただろうし、その宗教は、剣をもって信仰を広め、全民族をこの信仰に服せしめるという教義を通じて、ゲルマン人の骨肉に刻みつけられたはずだからである。しかし征服者のアラブ人は、その種族的劣等性のために、荒い自然の中で育ったたくましい現住ゲルマン人をいつまでも押さえきれないから、結局このイスラム世界帝国のトップに立つのは、アラブ人ではなく、ゲルマン人であったろう、というのである。

ヒトラーはこの話の最後を告ぎのような考察で締めくくるのが口癖だった。

まちがった宗教をもってしまったのが、そもそも我々の不幸なのだ。なぜ我々は日本人のように、祖国に殉ずることを最高の使命とする宗教をもたなかったのか? まだしも回教のほうが、こともあろうにだらしなく我慢するだけのキリスト教より、よほど我々に向いているだろうに」。

彼が開戦前からときおり次のような言葉を付け加えたことは注目に価する。「今日シベリア人や白ロシア人や草原地帯の人間は非常に健康だ。だから彼らは伸びる力があり、今後も生物的にはドイツ人より優るだろう」。この言葉は、戦争の最後の数ヶ月になると、ますます露骨に繰り返されることになった。

ローゼンベルクは七百ページにもおよぶ『二十世紀の神話』を数十万部売った。この本は、世間では党イデオロギーの教科書と思われたが、ヒトラーは例のティーパーティでこれを、「ものをおそろしく複雑に考える額の狭いバルト人が書いた、だれにもわからないしろもの」と一口で片付けた。そんな本がどうして売れたのかとあきれて、こういった。「中世的観念への逆戻りだ!」。この個人的評価がローゼンベルクの耳に伝わったかどうかはわからない。

P.223

政治はヒトラーにとって目的のための手段であった。彼の告白の書『わが闘争』ですら、彼は例外としなかった。あれはもう大部分古くさくなっている。自分はあんなに早くから先の先までものごとをきめてしまっていはいけなかったのだと。これは、この本を読む機会を私(=アルベルト・シュペーア)から掴みとってしまった言葉である。

 「地鎮祭も知らないなんでまったく田舎者ねー。

ロゼット 、ちゃんと教育してるの?」

 「ごめんねー アズマリア、まったくクロノ ったら何も知らないんだから」

 「わかましたか? クロノ さん」

 「誰がクロノだ。誰が」

 「たしかに、女に振り回されて玩具(おもちゃ)にされるところはそっくりだな」

 「あんたも人言えないけどね」

 「さて、無事に地鎮祭(じちんさい)も終了したことですし本題に移りましょうか」

 「検察側、準備完了しています」

 「弁護側、準備完了しています」

 「今回はかの有名なディーゼルエンジンを使ったガス室です。

ではアルク検事、冒頭弁論をお願いします」

 「了解した。

まず予備知識としてディーゼルエンジンとはなんぞや?ということを簡単に説明しよう。

ディ―ゼルエンジンの名前は19世紀末にディーゼルエンジンを開発したドイツ人技術者ルドルフ・ディーゼルに由来する。

ディーゼルエンジンの基本原理は次のとおりだ」

1892年のディーゼルエンジンの基本原理

(アドレス:ttp://www.isuzu.co.jp/semi/diesel_1/history/02.html

  1. 空気だけをまず燃焼室に入れ、燃料は空気が圧縮された後に噴射する。
  2. 空気の圧縮率を高め、燃料の発火点をはるかに超えるほどの熱を発生させて、着火する。

 「現在の日本でもディーゼル車はトラックなどに利用されている。

ディーゼルエンジンはガソリンエンジンよりも燃費が良い。

それは、ガソリンエンジンよりポンピング・ロスが少ないこと。

そして拡散燃焼(自己着火をもとにした爆発でピストンを押し出す)を行うことが理由として挙げられる」

 参考資料:ポンピングロスを徹底攻略!

(アドレス:ttp://www.nenpikoujyou.com/nenpi/pumping.htm

 「ポンピング・ロスとは、一言で言うと『エンジンが空気を吸込む時の抵抗』のことだ。

これは、エンジン内部抵抗の約30%にもなっていて、燃費を悪化させる大きな原因になっている。

ストローでジュースを吸うとき、ストローがあまりに細いと吸うのが大変になるだろう。

ポンピング・ロスとはそーいうことだ。

ところがディーゼルエンジンは燃料と空気を混ぜる必要が無い。

したがって吸い込む空気の量を調節する必要が無いため、そもそもスロットルバルブが存在しない。

ゆえにディーゼルエンジンではポンピング・ロス自体が存在しない。

これはガソリンエンジンに比べて大きな利点だ。

しかし、ディーゼルエンジンは悪臭と騒音が酷い。

従って快適なドライブが求められる乗用車にはガソリンエンジン、荷物を運ぶトラック・バスにはディーゼルエンジンが使われることが多い。

ディーゼル車の燃料は軽油で、ソ連軍は大戦前はガソリンエンジンが主流だったが、戦中にはディーゼルエンジンが主流になった。

その証拠に、ソ連の主力戦車であるT-34は550馬力12気筒V型ディーゼル・エンジンだ。

従ってナチスがソ連戦車などから捕獲したディーゼルエンジンを使えばガス室は簡単に作れる。

アウシュヴィッツやマイダネクでチクロンBによる青酸ガスによって殺された人数は、恥ずべきことだが戦後の混乱で正確な数がわからず、現在は下降修正が激しい」

 「……下降、修正? 何それ?」

 「そうだった。

ドイツの教科書にはアウシュヴィッツのユダヤ人死者数が大幅に下降修正されていることは書いてない。

その話題自体がタブーになってるから、普通のドイツ人が知らないのは当たり前だったな。

日本の教科書からは『日本軍による朝鮮人の強制連行』の記事が削除される時代だってのに、ドイツの教科書は全然変わっていない」

 「アウシュヴィッツの死者が公式に400万人から100万人に下降修正されたのも関わらず、欧州全体で殺されたユダヤ人の数は600万人のままか。

ホロコースト肯定派の脳内世界の第三帝国では、600万 − 300万=600万(!) という恐るべき方程式が成り立つようだが、実際の世界ではそんなことは有り得ない。

アウシュヴィッツで死んだはずの300万人はどこへ行ったんだ?」

 「知らん。

が、それはポーランドが勝手にやったことだ。

おそらくポーランドはユダヤ人を虐殺していたが、それがばれると困るから必要以上にドイツを悪役にしたのだろう。

ようするに、ポーランド人が悪いだけで、あくまでユダヤ人は被害者なのだ。

ユダヤ人がドイツ人に謝罪と賠償を請求する権利は無くならない。

実際にそう主張するユダヤ人は実在する。

当然のことだ。

WWIIの米軍が『神の軍隊』だったことは明白なわけだな」

 参考資料:「アウシュヴィッツでの死亡者は何名か?」著ロベール・フォーリソン

Robert Faurisson, How many deaths at Auschwitz?

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/faurison_02.htm

今日、ポーランド人が、彼らこそがアウシュヴィッツの400万という嘘を発明したのだと説明するユダヤ人がいる。ポーランド人は、反ユダヤ主義と民族主義的な自尊心にかられて、ほぼ150万のユダヤ人死亡者に、250万人のポーランド人その他の死者を付け加えたのだというのである(注27)。

注27:1983年には、G. Wellersは、この嘘や見世物のような誤りを、ポーランド人のせいにも、ロシア人のせいにも、共産主義者のせいにもしていなかった。彼は、"Depuis quelques annees, ayant compris les difficultes de ce probleme, et ayant retrouve la lucidite du jugement, on evite d'avancer des chiffes, mais on sait que 4,000,000 de morts a Auschwitz est un chiffre exagere, du au traumatisme, au choc naturel, inevitable qui dominait le psychisme des survivants pendant les premieres annees apres la fin de la guerre, apres la fin de leur cauchemar"* (G. Wellers, op. cit., 1983, pp. 138-139)と記している。それゆえ、G. Wellersは、自分自身の1973年の「慎重な見積もり」(注15参照)を読者に思い起こさせることなく、「生存者」に疑問を呈しているのである。1989年、Yehuda Bauerは、「公式のポーランドの宣伝家」を非難している。「あるポーランド人たちが、民族の神話を作り出すために、…誤った数字を広めた」というのである。また、Yehuda Bauerは、「自分たちこそが十字架にかけられた民族、ヨーロッパの真の受難者であるというポーランド人の考え方」を非難している("Auschwitz and the Poles / Fighting the Distortions", The Jerusalem Post, September 22, 1989, p. 6)。「共産主義体制が宣伝した数字は200万人のユダヤ人、200万人の非ユダヤ人――その大半はポーランド人――が殺されたというものである」(Ben Helfgott, Chairman of Yad Vashem Charitable Trust, London, The Independent, 3 August 1990)。「『共産主義者はアウシュヴィッツを「非ユダヤ化」しようとしている…』とアウシュヴィッツ国立博物館国際会議メンバーのLermanは語った」("The Polish communist's false Auschwitz story", The Philadelphia Inquirer, March 29, 1992, pp. A1, 10)。Luc Rosenzweigは『民族主義的・共産主義的ウルガタ聖書』を示唆している("Auschwitz, la Pologne et le genocide", Le Monde, January 27, 1995, p. 1)。

 「どのような状況でも『アイゴー!ウリは被害者ニダ!謝罪と賠償を(以下略』がユダヤ人の基本スタンスというわけか」

 「アイゴーって、をい……」

 「朝鮮人のようなことばかりしていれば、ユダヤ人が嫌われるのは当然だぞ。

なぜ直そうとしないのだ?

自覚はすれども反省はしない。

嫌われたままでも平気というユダヤの文化はまったく理解しがたい」

 「うーん、どっかで聞いたような話ねー」

 「ここまで毒電波を飛ばすとはな……

ある意味尊敬に値するぜ」

 「だろう?アメリカが強いのは彼らの強さを知っているからだ」

 「だからアメリカはイスラエルの植民地にされ、現在進行形で国を乗っ取られるつつあるわけか。

アメリカにネオナチが多いのも無理はない。

イスラエル国民一人当たりに400万円の補助金がアメリカ人の税金から出ている。

ブキャナン元大統領候補のように、そのことを批判するものはたちまちナチのレッテルを貼られるから何も言えない。

『ホロコースト』はドイツを服従させるだけでなく、世界最強の軍事帝国アメリカを意のままに操る魔法の呪文だ。

民主主義は自らを滅ぼす力を敵に与えている。

これは民主主義最大のブラックジョークだ。

このままユダヤの情報操作が表現の自由の下に続き、アメリカがイスラエルの食い物にされることが続けば、何かのキッカケで、アメリカは自らの民主主義を否定してファシズムにはしるかもしれん。

現に当時、世界でもっとも民主的な憲法と言われたワイマール憲法。

なぜドイツがこれを捨ててナチスを選んだのか。

過剰過ぎる民主主義は自らを滅ぼしてしまうからだ。

だから、もしもナチス第4帝国ができるとすれば、ドイツやオーストリアではなくアメリカがそれになるだろう。

ある意味では、アメリカはドイツ以上にユダヤ人の食い物にされているのだからな。

ユダヤ人と共存などできない。

あの貪欲な利権集団に共存などという文化はない。

あるのは支配するか、支配されるかのどちらかだけだ」

 「アメリカにネオナチが多いことは恥ずべきことだが、事実だからあえて反論はしないでおこう。

ごほん、最近の研究によればアウシュヴィッツで死亡した400万人という数字は、実は他の収容所の数を意味していたことが明らかになっている。

この表を見てもらいたい。

これは絶滅収容所とされる6つの収容所の死亡者数を表にしたものだ」

表1:ヒルバーグによる死の収容所の特徴[9]

収容所 場所 管轄 殺人方法 犠牲者の数
クルムホフ(チェルムノ) ヴァルテラント SS警察指導者(コッペ) ガス車(CO) 150,000
ベルゼク ルブリン地方 SS警察指導者(グロボクニク) ガス室(CO) 600,000
ソビボル ルブリン地方 SS警察指導者(グロボクニク) ガス室(CO) 200,000-250,000[10]
ルブリン(マイダネク) ルブリン地方 WVHA(SS経済管理中央局) ガス室(CO、HCN)
射殺
50,000-200,000[10]
トレブリンカ ワルシャワ地方 SS警察指導者 ガス室(CO) 750,000
700,000[10]-1,200,000[11]
アウシュヴィッツ 上部シレジア WVHA ガス室(HCN) 100万[12]

Updated figures were added here; cf. the appropriate notes.

[9]R. Hilberg, The Destruction of the European Jews, Quadrangle Books, Chicago 1961, p. 572; German ed.: Die Vernichtung der europaischen Juden, Olle & Wolter, Berlin 1982, p. 604.

[10]Updated with information from the official German Institut fur Zeitgeschichte (Institute for contemporary History).

[11]Maximum figure given by F. Golczewski in W. Benz, Dimension des Volkermords, Oldenbourg, Munich 1991, p. 495.

[12]資料によって900万から68万。さしあたり、100万を公式の数字としておく。本書のルドルフとガウスの論文を参照。

↑ 参考資料:「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」著フリードリヒ・パウル・ベルク

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm#_edn11

 「これはホロコースト肯定派によるユダヤ人死者の数字を並べた表だ。

アウシュヴィッツの死者100万という数字はアウシュヴィッツ博物館の公式数字ということになる。

これを見てもらえばわかるように、アウシュヴィッツ博物館が下降修正した300万人の死者は一酸化炭素ガス室で殺されたわけだ。

すなわち、600万人 − 300万 + 300万 = 600万 という方程式が成り立つ。

なんの矛盾もないわけだ」

  「……」

 「あの、ちょっといい?」

 「なんだルクス?」

 「今のアルクの主張って、

ドイツのガス室によるユダヤ人犠牲者のほぼ3分の2がディーゼル排気ガスでガス処刑されたことになるってことよね?

それって、はじめて聞いた説なんだけど……」

 「ふむ、何せ半世紀も経てば研究も進むし、事実の修正も行われるだろう。

しかし、このような大量虐殺が技術的にどのように可能であったのかを自問する必要はない。

それは起こったから技術的に可能であったのだ。

これが、このテーマに関するあらゆる歴史研究の義務的な出発点なのだ。

われわれが望んでいることは、生きている者の記憶を守ることだけ。

ガス室の実在に関する議論は存在しないし、ありえない」

参考資料:「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」著フリードリヒ・パウル・ベルク

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm#_edn11

表1は、1961年に出版されたヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』からである。表は、過去20年間のホロコースト物語について、広く認められ、「コンセンサス」となっている研究者たちの見解をまとめている。ここにあげられている収容所は、今日、「絶滅」収容所であったとみなされているものだけである。左から4番目の列によると、ほぼすべての収容所で、殺害方法は、一酸化炭素すなわちCOであったとされている。アウシュヴィッツでは、殺害方法はシアン化水素すなわちHCNであったとされている。一酸化炭素が使われたとされている5つの収容所のうち、犠牲者の大半は、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの3つの収容所で殺されたという。COの犠牲者の大半が殺されたのはこの3つの収容所であったという。また、ここでは、ディーゼル・エンジンが一酸化炭素を発生した。クルムホフ(チェルムノ)、ルブリン(マイダネク)で殺されたとされるユダヤ人の数は、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルでの数と較べて、比較的少なかった。ロシアで使われたとされているガス車もディーゼルを使ったという。これらの犠牲者の数は今日広く受け入れられているが、その数をもとにすると、ドイツのガス室によるユダヤ人犠牲者のほぼ3分の2がディーゼル排気ガスでガス処刑されたことになる。言い換えれば、ディーゼル・ガス室は、「犠牲者」の数からすると、もっとも重要なガス室である。

 参考資料:ヴィダル・ナケ、レオン・ポリアコフと32名の研究者、『ル・モンド』紙、1979年2月21日号)

「ルドルフ事件 人権を無視して、無実の科学者を抹殺するキャンペーン」著ヴィルヘルム・シュレジガーより Wilhelm Schlesiger , The Rudolf Case

http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/schlesiger_01.htm

このような[ユダヤ人の]大量虐殺が技術的にどのように可能であったのかを自問する必要はない。それは起こったから技術的に可能であったのである。これが、このテーマに関するあらゆる歴史研究の義務的な出発点である。われわれが望んでいることは、生きている者の記憶を守ることだけである。ガス室の実在に関する議論は存在しないし、ありえない。

 「何これ?

言ってることが無茶苦茶だわ」

 「いつものことだ。こんなことでショックを受けてたらこの先ついていけないぜ」

 「いつものこと、なの?」

 「こんなのドイツじゃ日常茶飯事だぜ、よ?」

 「深く考えないほうがいい。最初はとまどうかもしれんが、慣れれば“当たり前”に思えてくる。

……何か大切なものを無くしちまっているような気もするけどな……」

 「……」

 「ふざけた話だ。

何がディーゼルエンジンのガス室だ。

そんな、どこにあったのかさえもわからない。

あったかどうかすらはっきりしないような曖昧な殺人ガス室など検証すら不可能だ」

 「検証は不可能だと?

ふふふ、それはどうかな?

たしかにディーゼル・ガス室は図面も残っていないし、公式記録にも残っていないが――――」

 「普通はその時点でただの戦争プロパガンダと見るべきだと思うが……」

 「黙れヤポンスキー。

ナチス・ドイツと同盟を組んだ日本人などネオナチの一味に過ぎんのだ」

 「同盟を組んだらネオナチなのか……

恐ろしい論理だな」

 「それじゃソ連と同盟組んだアメリカは共産主義国家ってことになるな」

 「……それはそれ。これはこれだ。

とにかく日本はアメリカを侵略した。

だから我々は日本を征伐した。

第二次大戦は最後の『正しき戦争』だったのだ」

 「つくづく昔のアメリカ人だな、こいつは。

今のアメ公の爺さんにはこーいう連中が少なからずいるけどよ。

年十年間も頭の中が『パールハーバー』のまんまって爺さんとかな」

 「まあ物語の設定が第二次大戦だからね、あたしらの場合」

 「それはそうと、ディーゼル・ガス室に根拠がまったくないとは嘘八百も甚だしい」

 「ほぉ? 図面でも見せてくれるというのか?」

 「写真や図面はナチスが燃やしたために残っていない。

というわけで今回も証言がメインとなるわけだが――――」

 「あえて言おう! また証言か!

 「……とにかく証言が存在するわけだ。

とりわけガス室の技術面に関しての証言があるので、今回はそれを紹介しよう」

 「実にくだらん。

ディーゼル・ガス室の証言は、イスラエルの裁判所ですら『馬鹿げている』と判断したくらいだ。

だからデムヤンユク裁判で被告は無罪となった。

証言しか証拠がないのに、その証言をイスラエルが否定したのならば、ディーゼル排気ガスによる絶滅物語は、完全に否定されるべきだろう。

なぜこんな馬鹿げた話が世界中で『事実』として扱われているのかは実に理解に苦しむところだ」

参考資料:「パット・ブキャナンとディーゼル排気ガス論争」 著フリードリヒ・パウル・ベルク

Friedrich Paul Berg ,Pat Buchanan and the Diesel Exhaust Controversy

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_02.htm

念頭に置いておかなくてはならないのは、大量殺戮のためにディーゼル排気ガスが使われたという証拠は、「生存者」の証言かいわゆる「自白」だけであることである。これらの話は、欠陥に満ちているので、事件のついての情報の土台とはなりえない。恥知らずな誤りを数多く含んでいるにもかかわらず、このような証言の典型とされているのは、「クルト・ゲルシュタイン陳述」である。残りの証言はもっと悪質である。

ジョン・デムヤンユク裁判はアイヒマン裁判以来もっとも重要な「見世物裁判」であり、イスラエル人すべてに大きな教訓となった。この裁判は大きな講堂で開かれた。多くの人々が法廷やテレビ中継でこの裁判を見ることができるようにするためであった。圧倒的な証拠があるといわれていたにもかかわらず、その判決文によると、イスラエルの法廷が最初の「有罪」判決を下すにあたって依拠したのは、4人のいわゆる「目撃者」だけであった。デムヤンユクはトレブリンカで80万人を殺すために、ディーゼル・エンジンを操作したという。しかし、その後、イスラエルの法廷は、これらの証言にもとづいてデムヤンユクを有罪とすることはできないとして、彼を合衆国に戻した。これらの「目撃者」の証言にある嘘は、イスラエルの法廷にとってさえも、あまりにも馬鹿げていたのである。物的証拠、法医学的証拠、ドイツ側の戦時中の文書、何らかの意味を持つ凶器はひとつも存在しない。したがって、ディーゼル排気ガスによる絶滅物語は、完全に否定されるべきである。

参考資料:「トレブリンカ・ホロコースト」著アルヌルフ・ノイマイアー

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/neumaier_01.htm

1987年2月16日、イェルサレムでデムヤンユク裁判が始まると、トレブリンカ・ホロコーストは世界中の世論の記憶にふたたび登場するようになった。ユダヤ人証人の証言によると、トレブリンカは、典拠資料によって異なるが、70万から300万という膨大な数のユダヤ人が殺された第二次世界大戦中の絶滅収容所であった[16]。イェルサレムの法廷は勝手に、犠牲者の数を875000名と定めている[17]。トレブリンカ・ホロコーストの記憶を復活させようとするキャンペーンの要はウクライナ人ジョン・デムヤンユクであった。この人物はトレブリンカの「イヴァン雷帝」とされ、この収容所で、想像できる限りの殺戮、残虐行為、非道な行為を行なったとされた。自分で、鉄の杖や剣を使ってユダヤ人をガス室に追い込んだ、銃剣で女性の胸を切ったという告発だけでは十分ではなく、彼自身がディーゼル・エンジンを操作して、その排気ガスをガス室に送り込み、ユダヤ人を殺したというのである。デムヤンユクはソビボルとフロッセンビュルク収容所(だけ)に勤務していたことを示す文書的証拠があるが、このような主張はこの証拠と矛盾していた。しかし、このことは寛容にみすごされた。

(略)

イェルサレムの控訴審は、1993年夏にデムヤンユクの無罪を宣告したが、以上のような事態の進行を知っていれば、何も驚くべきことではない[33]。デムヤンユクが無罪となったのは、彼に死刑宣告をもたらすことになった証拠の欠如のためであった。奇妙なことに、アメリカとヨーロッパのメディアの大半は、デムヤンユク裁判の審理が法の支配とはほど遠かったにもかかわらず、イスラエルを法の支配の下にある国家と声高に呼びはじめた。死刑と無罪とのあいだの距離はきわめて大きい。しかし、もしも裁判所が、正義の執行を誤らせたのは証人の偽証であることを知っていたとすれば、このような証人こそが告発されるべきであった。イスラエルでは、ソビボルとフロッセンビュルク収容所での犯罪の咎でデムヤンユクを告発すべきかどうか議論されたが、この選択肢は採用されなかった[34]。鉄はイスラエルには熱すぎてしまうようになっていた。別の裁判を開けば、ホロコーストのその他の局面が、不本意にも、論争の対象として引き出されてしまうからである。ソ連邦の解体によって、文書や犯罪現場に容易にアクセスすることができるようになったために、デムヤンユクは1993年9月に帰国し、無罪放免となった(しかし帰国の旅では手錠をかけられていた――まったく法律違反である)。合衆国は、デムヤンユクをウクライナに移送し、そこで戦争犯罪の咎で起訴するという方法をしばらく考えていた[35]。しかし、結局、1998年に、デムヤンユクは合衆国市民権を回復した[36]。もちろん、OSIはこのような事態に臆することなく、1999年5月19日、新しく発明した、デムヤンユクに対する告発を使って、彼の市民権の剥奪を求めた[37]。

※ デムヤンユクが無罪であることが証明された理由の一つに、彼がトレブリンカに勤めていたという理由があった。

その根拠は彼の名前と顔写真が入った身分証の存在である。しかしそれはソ連崩壊とともKGBの捏造であることが判明した。

(参考サイト:http://www.stormfront.org/whitehistory/demjanjuk.htm

 「イスラエルの法廷ですら馬鹿げていると判断した証言をいまさら検証してどうする気だ?

 「はいそこまで。

それ以上の発言はコンテンツの終了を意味するので禁止します」

 「やれやれ……」

 「ではさっそく証人に入廷してもらいましょう」


【証人入廷】


 「証人、名前と職業を」

 「あ、あなたは!」

 「クルト・ゲルシュタイン。

SS上級突撃長(SS中尉)で、技師の卒業資格を持つ鉱山調査官です」

 「大佐殿……」

 「……テッサ、あんた何やってんの?」

 「テッサではありません。

わたしは『疾風怒濤!!』の登場キャラのシュタンダルテンフューラー・フォン・テスタロッサです。

『フルメタル・パニック!』の正ヒロインで、プリティでキュアキュアで、いずれは相良さんとL・O・V・Eラブラブげっちゅーでハッピーエンドになることが確実視されている美少女艦長テッサちゃん様とはまったく別人です」

 「……しばらく見ない間にかなりの電波娘になっちまったな」

 「ひどいですシュナイダーさん。わたしのどこが電波というのですか!

電波というのはそこのインディアンのことです!」

 「……たしかに電波というのはあってるが……」

 「酷いですヴォルフさん。わたしのどこが電波というのですか!

うう……わたしとの関係は遊びだったんですね! 男なんてみんなケダモノです……!」

 「……そーいうことばかり言ってるから電波って言われるんだよ」

 「で? ヴォルフ。リューシ―に何をしたか詳しく聞かせてもらおうか……?」

 「何って、あれはどうみても嘘泣き……、た、大尉! なぜ『バルムンク』をこっちに向けるんですか!」

 「……正直に言った方がいいぞ。今なら許してやらんこともない」

 「許すも何も、俺は何もやってないですって!」

 「……まあいい。あとでじっくりと話を聞くとしよう」

 「……だから何でそうなるんだよ……?」

 「ところで『バルムンク』とはなんだ?」

 「詳しくはキャラクター紹介参照のことね」

 「原作ができるのはいつになるのやらねぇ……」

 「……で、テッサは何しに来たの?

まさかコスプレしに来たわけじゃないでしょ?」

 「だって……皆さんばかり出番が多くて……

わたしだって出番くらい欲しいです。

『ふもっふ』でもほとんど出番なかったですし」

 「それ言ったらあたしの方が……」

 「メリッサはもともと脇役だからいーじゃないですか」

 「よくねーわよ」

 「……アルク検事、証人役ですが彼女でよろしいのですか?

前回のクルト・ゲルシュタイン役の黒魔術士殿  は何処へ?」

 「さ、さぁ……」

 「まさかコンスタンス様  と愛の逃避行の旅に……!」

 「ロマンチックな話ねー。

100%有り得ないってことを抜かせば」

 「ああコンスタンス様、邪悪の化身の黒魔術士殿にどんな酷いことをされているのでしょうか……?

わたしは心配でなりません。

コンスタンス様も女性として扱われることは皆無とはいえ、とりあえず生物的観点からすれば性別は年頃の娘」

 「さりげなく凄いこと言ってるな」

 「今ごろはあんなことや、あんなことや、あんなことまで…

うう、可哀想なコンスタンス様……

あなたの仇はこのわたくしめが必ず取ります。

安らかにお眠りください」

 「もう死んだのは確定なのかよ」

 「あー、オーフェンさんなら缶詰の特売セールがあるとかで辞退するそうです♪

というわけでわたしは代理ですね」

 「ふむ、では代理をお願いしよう」

 「やけにあっさりだな」

 「よくよく考えてみれば、証人役など誰でも構わんのだ。

せっかく作ったアイコンが勿体無いから使っているに過ぎん」

 「また実もフタもない言い方を……」

 「というわけでわたしはSS隊員のクルト・ゲルシュタインです。

検事側証人としてナチスのガス殺を証言しますね」

 「SS隊員のクルト・ゲルシュタイン?

ああ、以前1m2に28人の人間が押し込まれたとかいうふざけた内容の証言をした男か。

本当にそんなことをすればガス殺の前に身体が押しつぶされて死ぬだろうに」

 「もっとマシな証人はないのか?」

 「残念ながら、ディーゼル・ガス室の技術面についての証言はクルト・ゲルシュタインだけしかない。

他の証言では『ディーゼル・ガス室によるガス殺があった』ことはわかっていても、具体的なメカニズムについては触れていないからだ」

 「それってようするに、ディーゼル・ガス室については何もわかってないってことじゃない。

そんなの詐欺よ。

半世紀以上の間、こんなしょうもないアホ話を学校で教えてきたわけ?」

 「だから事実を書くな、事実を

 「アホ話とは酷い言い草だ。

実際にアホ話かどうかは証人の話を聞いてからにしてもらおう」

 「その前に一つ確認しておきたいことがある。

ディーゼル・ガス室で殺された人間は一酸化炭素中毒が原因で死亡した。

これは間違いないか?

特に死因は一酸化炭素中毒という点を確かめたい」

 「何をいまさら。

ラウル・ヒルバーグに並ぶフランスのホロコースト専門家レオン・ポリアコフは『ディーゼル・エンジンからの排気ガスに含まれている一酸化炭素を凶器として使った』と書いている。

ナチスはディーゼルエンジンから発生させた一酸化炭素ガスでユダヤ人を殺したのだ」

 「……なるほど、それだけ確認したかっただけだ。続けてくれ」

 「? まあいいだろう。

では証人、証言を頼む」

 「わかりました」


【証言開始】

SS隊員クルト・ゲルシュタインのディーゼル・ガス室についての証言

 「SS隊員が人々を部屋に押し込ました。

ヴィルト隊長が『いっぱいにしろ』と命じ、700−800名が93uに押し込まれた。

そしてドアが閉じられたのです。

今や、私もやっと、何故この施設全体が『ヘッケンホルト建造物』と呼ばれているのかを理解しました。

ヘッケンホルトは、ディーゼル・エンジンの運転手で、ディーゼルの排気ガスで哀れな人間を殺すのです。

ヘッケンホルトはディーゼルを始動させようとしました。

しかし、ディーゼルは始動しませんでした。

ヴィルト隊長がやってきます。

彼は私が立ち会っている今日に限って、そんなことになったのを苦にしているようでした。

実際、私はすべてを理解したのです。

私は待っていました。

私のストップウォッチはすべてを記録していきました。

50分たち70分たったが、ディーゼルは始動しませんでした。

人々はガス室の中で待たされていました。

彼らが『シナゴーグでのように』と泣いているのが聞こえる、とSS少佐プファンネンシュティール教授博士が木製ドアの窓に耳をつけながら言ったのです。

ヴィルト隊長は怒って、ヘッケンホルトを手伝っていたウクライナ人の顔を乗馬鞭で打ちました。

私のストップウォッチによると、2時間49分して、ディーゼルが始動しました。

それから25分がすぎた。まさしく多数の人が死んでいた。

小窓から覗くと、電灯の光が部屋を一瞬照らして、それが判rました。

32分後には全員が死亡していたのです!

向こう側からユダヤ人労働者が木製ドアを開けました。

彼らは、そのおそろしい仕事の代償として、自分たちの命と、集められたお金と貴重品の何%かを約束されていました。

玄武岩柱のごとく死人は部屋の中に押し合って並んで屹立していました。

倒れたり傾いたりするのさえ、余地がなかったのでしょう。

まだ手を握り合っていたので、家族同志を識別することができました。

次の一団を入れるために、部屋を空けようとして、彼らをもぎ離すのに骨が折れるほどでした。

汗と尿にぬれ、便に汚れ、脚の間に月経の血をつけた、青味がかった死体が投げ出されたのです」

参考資料:フリードリヒ・パウル・ベルク著「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm

以下のテキストは、レオン・ポリアコフの『憎悪の収穫』の中で英訳されているゲルシュタイン陳述の抜粋である。ポリアコフの訳には、原文の25u(269平方フィート)のかわりに、93u(1000平方フィート)のなかに700−800名が詰め込まれたという、あつかましい「誤り」があるが、それは別として、その他の翻訳と較べても、質の悪い翻訳ではないであろう。

「SS隊員が人々を部屋に押し込んだ。ヴィルトが『いっぱいにしろ』と命じた。700−800名が93[ママ、原文では25]uに押し込まれた。ドアが閉じられた……今や、私もやっと、何故この施設全体が「ヘッケンホルト建造物」と呼ばれているのかを理解した。ヘッケンホルトは、ディーゼル・エンジンの運転手で、ディーゼルの排気ガスで哀れな人間を殺すわけであった[17]。SS下士官ヘッケンホルトはディーゼルを始動させようとした。しかし、ディーゼルは始動しなかった! ヴィルト隊長がやってきた。彼は私が立ち会っている今日に限って、そんなことになったのを苦にしているようだった。実際、私はすべてを理解したのである!私は待っていた。私のストップウォッチはすべてを記録していった。50分たち70分たったが、ディーゼルは始動しなかった! 人々はガス室の中で待たされていた。彼らが「シナゴーグでのように」と泣いているのが聞こえる、とSS少佐プファンネンシュティール教授博士が木製ドアの窓に耳をつけながら言った[18]。ヴィルト隊長は怒って、ヘッケンホルトを手伝っていたウクライナ人の顔を乗馬鞭で打った。私のストップウォッチによると、2時間49分して、ディーゼルが始動した。それから25分がすぎた。まさしく多数の人が死んでいた。小窓から覗くと、電灯の光が部屋を一瞬照らして、それが判った。32分後には全員が死亡していた!向こう側からユダヤ人労働者が木製ドアを開けた。彼らは、そのおそろしい仕事の代償として、自分たちの命と、集められたお金と貴重品の何%かを約束されていた。玄武岩柱のごとく死人は部屋の中に押し合って並んで屹立していた。倒れたり傾いたりするのさえ、余地がなかったのであろう。まだ手を握り合っていたので、家族同志を識別することができた。次の一団を入れるために、部屋を空けようとして、彼らをもぎ離すのに骨が折れるほどであった。汗と尿にぬれ、便に汚れ、脚の間に月経の血をつけた、青味がかった[19]、死体が投げ出された。」

[17]Y. Arad, Belzec, Sobibor, Treblinka: The Operation Reinhard Death Camps, University Press, Bloomington 1987, p. 123によると、このヘッケンホルトの本名はローレンツ・ハッケンホルトであった。アラドは、イヴァン・デムヤンユクがトレブリンカのディーゼル・ガス室の操作に責任をおった唯一の人物であると主張している、ibid., p. 86。デムヤンユク事件の破滅的な結果を考慮すると、アラドの使っている目撃証言の大半がまったく価値のないことは明らかである。デムヤンユク事件が決着を見ていないときに出版されたアラドの本は、世論に影響を与えようとする宣伝目的の本にすぎないと思われる。

[18]このセンテンスはH. Rothfels (ed.), "Augenzeugenberichte zu den Massenvergasungen", Vierteljahrshefte fur Zeitgeschichte 1 (1953), pp. 177-194.では削除されている.その代わりに、Rothfelsは、"A strictly personal observation then follows."という文章を入れている。

[19]Version T2, H. Roques, op. cit. (note 15), German ed. p. 57.

[20]めいっぱい詰め込んでも、1uに10名が最大である。cf. E. Neufert, Bauentwurfslehre, Vieweg, Wiesbaden 1992, p. 27; cf. U. Walendy, Historische Tatsachen no. 29, Verlag fur Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho 1985, p. 12: Quick, April 25, 1985.によると、大きな貨物自動車の4.44uのスペースに、46名を載せることができる。

[21]Letter from Pfannenstiel to P. Rassinier, dated Aug. 3, 1963, published in W. Staglich, U. Walendy, "NS-Bewaltigung", Historische Tatsachen no. 5, Historical Review Press, Southam (GB) 1979, p. 20.

[22]Theory of E. Nolte in Streitpunkte, Propylaen, Berlin 1993, pp. 309f.

[23]一酸化炭素の毒性については、たとえば、 W. Forth, D. Henschler, W. Rummel, K. Starke, Allgemeine und spezielle Pharmakologie und Toxikologie, 6th ed., Wissenschaftsverlag, Mannheim 1992, pp. 756ff.; S. Kaye, Handbook of Emergency Toxicology, C. C. Thomas, Springfield 1980, pp. 187f.; C. J. Polson, R. N. Tattersall, Clinical Toxicology, Lippincott, Philadelphia 1969, pp. 604-621を参照。

[24]L. Poliakov, Harvest of Hate, op. cit. (note 16), p. 196. ディーゼル・エンジンの使用に触れている典型的で、基本的な研究書にはW. Grossmann, Die Holle von Treblinka, Foreign Languages Publishing House, Moscow 1947がある。死は戦車の排気ガスによって10−20分でもたらされた。真空やスチームのこともあった。Eliahu Rosenberg, Tatsachenbericht, Jewish Historical Documentation, Dec. 24, 1947, p. 4。20−35分以内のディーゼル・エンジンの排気ガスを使った大量殺戮。(published in H. P. Rullmann, Der Fall Demjanjuk, Verlag fur ganzheitliche Forschung und Kultur, Struckum 1987, pp.133-144); World Jewish Congress et al. (eds.), The Black Book: The Nazi Crime Against the Jewish People, New York 1946; reprint by Nexus Press, New York 1981。戦車のエンジンからの一酸化炭素による、トレブリンカでの、少なくとも300万の犠牲者。真空やスチームのこともあった。

……

 「証言は以上です」

 「了解しました。

まず事実をまとめましょう。

今の証言からわかることは……」

  1. ガス室は93平方メートルの広さである。しかし高さが不明なのでガス室の体積はわからない
  2. ガス室ではディーゼルエンジンの排気ガスでガス殺する。
  3. 2時間49分も閉じ込められても酸欠にならないので、密閉性はあまりない。もしくは高さがかなりある建物である
  4. ディーゼルエンジンが動き出してから25分で中の人間は全員死亡。
  5. ガス室に窓付きの木製ドアがついている。
  6. 少なくとも2つの木製ドアがある。
  7. ガス殺された死体は「青みがかった死体」だった。

 「ということですね。

アルク検事。

このガス室はどこのディーゼル・ガス室の話ですか?」

 「これはすべてのディーゼル・ガス室に当てはまると考えてもらってかまわない。

フランスのホロコースト肯定派レオン・ポリアコフによれば、このゲルシュタイン陳述につけ加えることはほとんどないそうだ」

 「ほう。ではこのゲルシュタイン陳述がディーゼル・ガス室の全容を示していると考えていいのですね?」

 「その通りだ」

 「弁護人、何か言いたいことはありますか?」

 「もちろんある。

まず実際のゲルシュタイン陳述ではガス室の広さは25uだ。

93uというのは訳したフレンチの創作に過ぎない」

 「それはただの誤植だろう。

気にするほどではない」

えっち 「気にするでしょ。ガス室の大きさは大事な部分なんだから。

ディーゼル・ガス室の大きさは不明ってどういうことなのよ?」

 「くっ!」

 「第二に、700人から800人が閉じ込められても三時間近く生きていたのだから、このガス室には密閉性がなかったということになる。

密閉性があれば酸欠で死んでいるだろうからな。

それに通常のガス室ならばドアは鋼鉄製のはずだ。

木製のドアでは囚人が本気で暴れれば壊れてしまう可能性が高い。

というか、木製ドアのガス室とはホントにガス室なのか?

これでは密閉性どころか、囚人を閉じ込めることすら怪しいものがあるぞ」

 「……と言ってるけど、どうなの?」

 「……」

 「ふっ なんとも下らぬ議論だな。

まるで弁護人はディーゼルによるガス殺は不可能と言いたいようだ。

弁護側のソースであるフリードリヒ・パウル・ベルクはあらゆる詭弁を用いてディーゼルのガス室は不可能と言っている。

しかしディーゼルのガス室が不可能かどうかは、いっぺんトラックなりバスなりの排気口にホースを繋いで、口にくわえて15分ほど呼吸してみれば、簡単に証明できるだろう。

なんなら試してみるか?」

 「たしかにその方法ならば死ぬだろうな」

 「ついに自分で認めたか! やはりディーゼルガス室は―――」

 「だが、その方法は目撃証言と矛盾している。

クルト・ゲルシュタイン証言ではガス室に3時間近くいても酸欠で死亡した人間はいなかった。

つまりエンジンのかかっていないトラックなりバスなりの排気口にホースを繋いで、口にくわえて3時間ほど呼吸してみる。

それで酸欠で死亡したら目撃証言とは異なるわけで、勝手に条件を変更してはならない」

 「むぅ……」

 「フリードリヒ・パウル・ベルクは動物実験を行い、ディーゼルエンジンによるガス殺は理論的には不可能ではないことを確認した。

その実験データは論文でネット上に公表されている。

肯定派の言うとおり、エンジンに負荷をかけて一酸化炭素の濃度を高めてやれば死ぬことは死ぬ。

ホースを口を咥えるような理想的な条件ならば死ぬだろう。

だが、あーだこーだと現実的なディーゼルエンジンのガス室を想定するとまず証言と矛盾してしまう。

パウル・ベルクの結論が、理論的には可能だが、目撃証言と矛盾しないようにすると不可能だという理由はそこにあるんだよ」

参考資料:フリードリヒ・パウル・ベルク著「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm

結論

トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルで行なわれたとされる行為をディーゼル・エンジンを使って行なうことは、理論的には可能であることを認めなくてはならない。しかし、ディーゼル・エンジンに十分な負荷を課し続けるには、並外れた専門的能力と技術設備が必要であろう。これについて、目撃証言はまったく触れてもいない。このような条件がすべて整ったとしても、「殺人者」たちは、せいぜい、この不健全で、何時間も続く任務にほとんど効果的とはならないやり方を手にするだけであろう。大量殺戮手段がこのやり方よりも、不便で、効率的ではないはずがない。精神状態のおかしい人物が、ディーゼル排気ガスで殺戮を行なおうと試みることがあるかもしれないが、数回試みてみれば、精神錯乱状態にある人物でさえも、何か別の良い手段が必要であると気づくにちがいない。

 「肯定派は『負荷をかけて不完全燃焼させれば……』と言う。

だが、エンジンに負荷をかけるというのは簡単なようで難しい。

荷物を乗せて坂を上ればいいが、その条件を停止したままで再現するにはブレーキ動力計や発電機などの負荷をかけなければならない。

だが、ブレーキ動力計は専門の工場でしか手に入らないし、価格はディーゼルエンジン本体よりもよっぽど高い。

しかもその発注記録がないのでは可能性にしか過ぎない。

発電機にしても、証言では『ディーゼルエンジンはガス殺のときだけ起動した』となっている。

これは発電用と殺人用のディーゼルエンジンは別物だということを示している」

参考資料:フリードリヒ・パウル・ベルク著「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm

現実的にエンジンにかなりの負荷をかけるには、ブレーキ動力計や発電機のような装置を付けることである。

ブレーキ動力計はすでに実用化されており、ドイツ人も数多く持っていたにちがいないが、今日でも、普通の自動車修理工場では見つけることができない装置である。設備の整った実験作業場にあるだけである。大量生産されていないので、エンジンそのものよりはるかに高価である。発電装置のほうがありそうである。トレブリンカやベルゼクは、電流の通った鉄条網のフェンスや電灯を維持するためだけであったとしても、電力を必要としていたし、この当時、これらの収容所があった東ポーランドの田舎は、発電所につながっていなかったからである。しかし、このようなやり方は、発電機とディーゼル・エンジンが常時稼動していることを前提としており、それはゲルシュタイン陳述とは矛盾している。彼の陳述では、エンジンはガス処刑のためだけに始動したからである。彼の陳述には、ユダヤ人殺戮という目的以外にエンジンが使われたことをほんの少しでも示唆している箇所はない。もしも、処刑と同時に、発電機を稼動させるというような二重の目的をもっていたとすれば、ガス処刑がはじまると、電灯がついたというような話が出てきそうであるが、そのような話もまったく存在しない。トレブリンカ収容所の目撃者は、「ガス処刑用のディーゼル・エンジン」のある同じ建物には、これとは別に、電力を収容所に供給する第二のエンジンが存在していたと述べている[47]。言い換えれば、これらの話は、発電機が毒ガスの生産のために使われたとされているエンジンとは関係がなかったことを明らかにしており、毒ガスエンジンの話は、このエンジンが常時稼動していたとは述べていない。逆である。エンジンの始動についての話によると、その運転手に対する始動命令は「イヴァン、水!」であったというし(トレブリンカ)、ベルゼク(「ヘッケンホルトの建造物」)での同じような事件が、ゲルシュタイン陳述にあるだけではなく、目撃者の話の中心テーマとなっている。アウシュヴィッツ中央建設局の文書資料によると、SSは、公共ネットワークからの電力供給が絶たれた場合の備えとして、収容所に緊急発電装置を設置しており、その装置とは、440馬力で250kWの発電機を動かすディーゼル・エンジンであった[48]。言い換えると、証人たちは、トレブリンカが公共ネットワークからの電力供給を受けていなかったので、そこでは電力装置が常時稼動していたこと、これらのエンジンは、必要なときにしか稼動しないガス処刑用のエンジンとは別に稼動していたことを暗黙のうちに証言しているのである。また、この物語には間違った点がある。専門的知識をもつ者であれば、ガス処刑のために別個のエンジン、とくに、故障した場合には修復不能なロシア軍戦車のエンジンを使う代わりに、すでに、負荷状態の下で稼動している発電機のエンジンの排気ガスを利用するはずだからである。

(略)

ディーゼル・ガス室の設計者は次のようなことも知っておかなくてはならない。

  1. エンジンのフル負荷の4分の3以上の負荷をかけ、それを維持する方法、
  2. 同じ効果を出すために、特定のエンジン負荷程度と人工的な酸素不足を結び合わせる方法。

彼らが、エンジンに負荷をかけすぎたり、フル負荷に近い状態で長時間稼動させたとすれば(フル負荷の80%以上は、常時稼動では安全ではないと考えられている)、ガス処刑のたびごとに、エンジンをオーバーホールしたり、エンジンの煙による損傷のために、エンジンを交換しなくてはならない。人為的な負荷をかけたり、維持する装置などを集めたり、組み立てたりするだけでも、たんなる自動車整備工ではなく、経験豊かな専門家を必要とする大作業である。500馬力ものエンジンを建物の床に設置するにも、振動によって建物に損傷を与えないようにするために、振動を緩和するような土台が必要である。

 「証人、ディーゼルのガス室のエンジンに特別な負荷を施したことはありますか?

ブレーキ計測器や発電機のような負荷をかけたことは?」

 「いえ。

ディーゼルエンジンに特別な負荷を施したことはありません。

ホロコーストに関するあらゆる文献では、ディーゼルエンジンの排気ガスをそのままガス室に送り込んだことになっているはずです」

 「……だろうな。

肯定派がディーゼル・ガス室を立証するには、

  1. ディーゼルエンジンに特別な処置を施さない。
  2. ディーゼルエンジンは固定したまま移動しない。
  3. 1)2)を満たした上でディーゼルエンジンに負荷をかけて不完全燃焼を実現させる
  4. ガス殺時間は30〜40分

という過酷な条件をクリアしなければならない。

が、ホロコースト肯定派がこの技術的に困難な条件―――特に 3)をどのようにクリアしたかはまったく説明がない。

ネット上の議論を見る限りでは、この条件がクリアされたことが前提になってしまっているからな。

共産主義者には確信犯が多いが、まずは連中のペースに乗らないことが第一だ」

参考資料:「パット・ブキャナンとディーゼル排気ガス論争」フリードリヒ・パウル・ベルク

Friedrich Paul Berg ,Pat Buchanan and the Diesel Exhaust Controversy

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_02.htm

ウィルとヴァイスバーグは自己欺瞞におちいっている。彼らは自分たちの課題を果たしていない。ディーゼル排気ガスの一酸化炭素レベルは、重いエンジン負荷の場合に人を殺すことができるが(ブキャナンはこの点で間違っている)、このような条件を作り出すことはきわめて難しい。私の論文「ディーゼル・ガス室:神話の中の神話」を参照していただきたい。たとえ、重いエンジン負荷を何らかのかたちで作り出したとしても、30分以内で集団や犠牲者のごく一部を殺すことができるだけである。残った犠牲者のうち、何人かは昏睡状態、瀕死の状態、もしくは意識のある状態にあるかもしれないが、その人たちを死体のあいだから探し出して、別の手段か、さらにディーゼル・ガスにさらすことで処分しなくてはならない。大量殺戮に必要なことは、特定の集団の中の何名かを殺すことではなく、全員を殺す方法である。最低の致死レベル、ひいては普通の人を殺す致死レベルでは十分ではない。若者や健康な人々は生き残ってしまうからである。

最大負荷のもとでも、ディーゼル排気ガスに含まれている一酸化炭素は0.4%以下である。それとは逆に、ガソリン・エンジンならば、簡単に7%の一酸化炭素を作り出すことができる。キャブレターの調整ねじを調整すれば、12%までの一酸化炭素を作り出すこともできる。一方、ディーゼル・エンジンにはキャブレターはついておらず、調整自体が不可能である。

ホロコースト文献にあるディーゼル大量殺戮についてのあいまいな逸話を読んでみると、粗野で、単純な装置以上のものが存在していたと信じる理由はない。ガス室には常設の建物、タンクの中にあったもの、トラックの中にあったものが存在したというが、いずれにしても、ディーゼル・エンジンはガス室の外部に付けられており、排気ガスが直接ガス室に流し込まれたことになっている。このような措置では、エンジンはアイドリング状態か、それよりも少し速い回転速度で稼動していることになる。このように負荷のかかっていない状態では、どのディーゼル・エンジンも600ppm以下の一酸化炭素しか生み出さない。すなわち、1%の一酸化炭素の10分の1以下である。これでは、30分経過しても、誰かが頭痛を感じる程度しか一酸化炭素を生み出さないし、それ以上の悪い症状は生じないであろう。

※ キャブレターとはエンジンの吸入負圧(空気を吸い込もうとする力)を利用してガソリンと空気を混ぜ合わせ、火の付きやすいガス状(混合気と言います)にしてエンジンへ送りこむ機械のことである。

 「……だが、最大の問題がある。

クルト・ゲルシュタインの証言によれば死体があるということだ。

これをどう説明する気だ?」

 「証言は証言だろう。

俺にはお前が何を言っているのかよくわからん」

 「ゲルシュタイン証言で出てきた『青みがかった死体』か。

あれこそが、ディーゼル・ガス殺の証言がただの作り話であることを立証してしまっている」

 「何を根拠に言っているのかな?

ゲルシュタインは軍人だ。

軍人ならば死体かどうかくらいの判断はできるだろう」

 「そこじゃない。

この証言のおかしいところは、一酸化中毒なのに『青みがかった死体』ができるという点だ。

ホントに一酸化炭素中毒ならば死体は『ピンク色の死体』になるはずだからな。

『青みがかった死体』は酸欠の死体の症状だ」

参考資料:フリードリヒ・パウル・ベルク著「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm

引用したテキストの最後のセンテンスによると、犠牲者の死体は「青味がかっていた」という。これは、一酸化炭素中毒死に関していえば、大きな誤りである。一酸化炭素中毒死の死体はまったく、青味がかってはいず、逆に、はっきりとした「さくらんぼ色の赤」か「ピンク」であるからである[23]。この点は大半の毒物学ハンドブックに書かれており、医者であれば、また、全員ではないとしても、救急隊員であれば、熟知していることである。一酸化炭素中毒は、自動車のおかげで、一般的であり、その他すべてのガスによる中毒事件よりも、数が多い。

えっち 「ちょっと待ってよ。

ゲルシュタインの証言では『人々はガス室の中で3時間近く泣いていた』ってことでしょ。

3時間もいて酸欠にならない密閉性ゼロの部屋で、ディーゼルエンジンが動いたら30分で酸欠なんてどういうことなの?

この証言は支離滅裂じゃないの」

 「いつものことだけどね」

 「ほとんど伝統行事だな」

 「もっとマシな証人はいないの?」

 「いない。

これが一番マシな証人だからな。

他の証人を連れてきても、技術的な事に関してはまったくノータッチ。

ゲルシュタイン証言だけがかろうじて検証できる」

 「ふははははははは!!

弁護人はゲルシュタイン一人をもってディーゼル・ガス室を否定してしまっている。

だが本来、証言というものはすべての証言を総合して検証するもの!

結論を出すのは早すぎるとは思わんか?」

 「んなこと言ったって、ゲルシュタインしかディーゼルガス室の技術面に関して語っている証人はいないんだから仕方ねぇだろ。

文句があるんだったら他の証人を連れて来い。

物証も証人もない殺人事件なんぞ誰が信じるか」

 「ディーゼル・ガス室が嘘くさい理由はいくらでもある。

例えば、WWIIのドイツではガス車が一般的に使われていたという事実だ。

『持たざる国』のドイツには燃料が無い。

ガソリンや軽油は戦車や軍用車を動かすための貴重品だ。

そこでドイツでは木炭や石炭などの固形燃料を燃やしてガスを発生させ、それを動力に使うガス車が民間に普及していた。

ところでこのガス車はディーゼルエンジンやガソリンエンジンの排気ガスよりもはるかに毒性の高い一酸化炭素を排出し、ガス車の運転手には公認の免許とマニュアルが必要とされた。

これを利用すれば簡単に、それも強力な毒ガス室ができる。

実際、当時のドイツではねずみや害虫駆除用の一酸化炭素ガス発生装置が使われ、しかもこれは効率のよい実務的な機械だった。

このように、第三帝国では殺人用ガス室に転用できる機械が国中にあふれていた

ねずみ駆除用の一酸化炭素ガス発生装置など最たるものだろう。

これをそこらの店で買ってきて密閉性のある部屋につなげればガス室の出来上がりだ。

こんな状況下で収容所のSSが殺人ガスに選んだのはよりによってディーゼル・エンジンの排気ガスだ。

猛毒『サリン』を発明したナチス・ドイツがこのような馬鹿な選択をするわけがない。

だが、これらの不条理も『そもそもディーゼルエンジンのガス室物語が嘘』ならば納得がいくというものだ」

参考資料:フリードリヒ・パウル・ベルク著「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm

8. 車両に搭載されていた50万の毒ガス発生器が大量殺戮にはまったく使われなかった!

第二次世界大戦中、ヨーロッパ諸国の多くは、非軍事的な乗り物輸送の分野で、ガソリン・エンジンもディーゼル・エンジンも使わず、木材、コークス、石炭のような固形燃料を燃やす車両にかなり依存していた。多くは木材であったが、固形燃料は、普通車両の後部に搭載されていたガス発生器の中で燃やされることによって、可燃性ガスの混合気となった。このガスは、ガス発生器からエンジン吸気によって排出され、車両前部にある改造ガソリン・エンジン、ディーゼル・エンジンのなかで燃焼した。この可燃性ガスには普通、18%/vol.から35%/vol.の一酸化炭素が含まれていた。しかし、ほぼすべてのCOはエンジンで消費されるために、排気ガスには0.3%/vol.以上のCOは含まれていなかった[71]。ヨーロッパのドイツ語圏では、これらの車両は「ガス発生車(Generatorgaswagen)」もしくはたんに「ガス車(Gaswagen)と呼ばれていた。木材を燃やしている場合には――大半がそうであったが――、「木材ガス車(Holzgaswagen)とも呼ばれた。英語圏では、これらの車両は、一般的には「ガス発生車(producer gas vehicles)と呼ばれた。しかし、発生するガスはきわめて毒性の高いものであったので、「毒ガス車」と呼んでも間違いではなかった。これらの車両を操作するには、特別な安全手順とともに、その運転手には政府公認の訓練と免許が必要であった。ドイツ占領下のヨーロッパでは、数十万のこのような運転手が、毎日これらの車両を運転していた[72]。ガス発生車の運転手は、次のようなガイドラインを熟知し、それを守り、手元においておかなくてはならなかった。[73]

(略)

戦争の長期化につれて、固形燃料への転換はますます焦眉の課題となった。1942年9月22日、軍需大臣シュペーアは、ドイツ占領下全域の中型貨物自動車、重貨物自動車、乗り合いバスすべての転換を命じた[82]。1年後、1943年9月13日の軍需省修正は、すべての例外をなくした。すべての民間車両の転換は義務となった[83]。戦後、ドイツの石油生産についての長い報告の中で、合衆国戦略爆撃調査団は、最良のドイツ軍戦車のいくつか、50台のケーニヒス・ティーゲルでさえも終戦直前には発生ガスで稼動していたと述べている[84]。

(略)

一方、第三帝国では、ねずみその他の害虫をガス処理するために、きわめて毒性の高い一酸化炭素を排出するガス発生技術が使われていた。第三帝国の公共衛生文献によると、ノッホト・ギエムザ(Nocht-Giemsa)社の製造・提供した燻蒸技術は、「広く普及して」いた[85]。しかし、この非常に実際的で、効果的で、単純で安価な技術を人間に使おうと考えたものは誰もいなかったのである。したがって、恐るべきSS隊員たちは信じがたいほど馬鹿であるか、技術的にまったくの無能であるかということになる。否、ディーゼル・ガス室物語がまったくの虚偽であるという方が正しいであろう。

写真1:典型的なガス車。もともとは普通のバスであったが、ガス発生器とザウラー・エンジンを取り換えた[74]。

写真2:ガス発生器を備えたザウラーBT4500[75]
この形式に似たザウラー社製のトラックが大量殺戮のために
クルムホフ/チェルムノで使われたという。
しかし、それはガス発生装置を備えた車両ではなかった。
その排気ガスで殺戮したというが、信じがたい87。

写真3:ガス発生器を標準装備したアストロ・フィアット4D90A。75

写真4:ザウラー社製のもう一つの戦時中のドイツのガス発生車(形式5BHw)。

写真8:ドイツの戦時中のガス発生バス。

 「先ほどから弁護側はディーゼルエンジンのガス室が嘘だと指摘している!

しかしそれならば誰が嘘をついたのか?

それを証明せねばなるまい!」

 「なんで?

だって、『ガス室は嘘か?』ということと、『誰が嘘をついたか?』ってのは別問題でしょ。

ガス室が嘘だってわかれば誰が嘘をついたなんてどうでもいいじゃない」

 「ふっ へらず口を」

 「……お願いだから会話してよ、会話」

 「ディーゼル・ガス室の起源は1943年のソ連の宣伝にある。

当時、ドイツがソ連のポーランド将校を大量虐殺したことが暴露された『カチンの森事件』で、米英は黙認したものの、ソ連は国際的な非難を受けた。

その仕返しに数ヵ月後、ディーゼル・エンジンのガス室を広めた。

1993年、元ソ連KBG将校アレクサンドル・ミハイロフがアメリカのテレビ番組でガス・トラックがイサイ・ダヴィドヴィチ・ベルクによってモスクワで発明され、それが戦前、つまり1930年代には使われていたと証言した。

1930年代のソ連はガソリン車ばかりだから、ガス・トラックは技術的に困難ではないだろう。

ガソリン車の排気ガスを密閉された部屋に送ればそれで一酸化炭素ガス室の出来上がりだ。

まあ、所詮は証言だからこれだけでソ連を有罪にすることはできない。

そのうち実物がでてくるかもしれんから、そのときになったら改めて紹介しよう」

参考資料:フリードリヒ・パウル・ベルク著「ディーゼル・ガス室:拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物」

Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/berg_01.htm

9.2 ディーゼル物語の起源

ディーゼルによる殺戮の起源は1943年のソ連の宣伝にあるであろう。その直前、ドイツはカチンの虐殺を発見しており、ソ連が無実の人々を容赦なく殺す殺人者であることを暴露していた。さらに、ドイツは、国際的に著名な法医学者を招待して、彼らにカチンの犠牲者の検証をゆだねた[88]。ソ連は、カチン事件でドイツにやり込められたことに復讐しようとして、数ヵ月後に、ハリコフとクラスノダルで見世物裁判を開いた。この裁判では、不運なドイツ人捕虜が「自白」した。しかし、ソ連は、虐殺現場にソ連人ではない専門家が立ち入ることを認めなかった。この裁判の冒頭で、ソ連は、ドイツが民間人を田舎に追い立てて、ディーゼル・トラックに押し込んだと非難した。犠牲者を収容したトラックが停車すると、ディーゼル排気ガスがパイプを介して内部に流し込まれ、犠牲者はそのすぐあとに死んだという。

(略)

ソ連崩壊期に作成され、1993年に合衆国でも放映されたテレビ番組は、ガス車物語がソ連起源であることを明らかにしている。4部構成の番組のタイトルは「怪物:血に飢えたスターリンの肖像」であった。第2部「スターリンの秘密警察」の一場面で、KBG将校アレクサンドル・ミハイロフは、ガス・トラックがイサイ・ダヴィドヴィチ・ベルク――筆者とはまったく関係がない――によってモスクワで発明され、戦争の数年前からすでに使われていたと述べている。ミハイロフによると、これがヒトラーのSSとゲシュタポのモデルとなったという。気密トラックは高濃度のCOを使っていたと思われるが、ディーゼル・エンジンの話はまったく出てこない。戦前のソ連のトラックはすべてガソリン・エンジンであったので、このことは理解できる。ソ連の交通システム全体は、フォード自動車会社のような西側のエンジン形式にもとづいていたので、ディーゼル・エンジンは存在しなかった。多分、ガス・トラックというソ連側の告発は、ソ連自身の大量殺戮技術のもとづいており、それをもっと犯罪的にするために、とくに、その起源を「よりドイツ的」にするために、その話にディーゼル・エンジンを付け加えたのであろう。ガス車物語は、ホロコースト宣伝家が、まったく犯罪目的ではないガス発生車に関する資料を利用して作り上げられたものであり、もちろん、戦後に登場した「目撃」証言がそれを支えた。まさに、ガス車物語は、より大規模なホロコースト物語が進化していくプロセスの細密画なのである。

参考資料:「ガス車:証拠の批判的評価」 著イングリッド・ヴェッカート

Ingrid Weckert, The Gas Vans: A Critical Assessment of the Evidence, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/weckert_01.doc

しかし、最近、この証言を確証する驚くべき証拠が登場している。 1993年春、ソ連を扱った4部構成のテレビ番組が合衆国で放送された。「怪物:血塗られたスターリンの肖像」というタイトルであった。この第二部は「スターリンの秘密警察」という題であり、KGB将校であったアレクサンドル・ミハイロフが登場して、ガス車、あるいはトラックが戦前のモスクワで、イサイ・ダヴィドヴィチ・ベルクによって発明されており、KGBによって使われていたと証言した。この証言が真実であるとすると、「ガス車」はドイツではなくソ連の発明であった。このことは、「死の車」や「殺人車」のことをはじめて口にしたのがソ連であったという事実にマッチしている。

 「殺人車」が始めて登場したのは、戦時中の1943年7月14−17日に開かれたソ連のクラスノダル裁判であった。7月15日から19日にかけて、プラウダ紙はこの裁判の記事を連載し、それは英訳されて、『裁判』という題で公表された。11名のウクライナ人が、ドイツ軍に協力した裏切りの罪状で告発されていた。そのうち8名が死刑を宣告され、3名が20年の懲役となった。

当時のソ連の裁判の通例どおり、被告は罪状のすべてを認めた。SS少佐クルト・クリストマンの指揮する特別行動部隊Dの特別コマンド10aが1942年秋から、「殺人車」のなかでディーゼルの排気ガスを使ってソ連軍捕虜を殺したというのである。 ソ連証人は、「殺人車」が精神病感謝の絶滅に使われたことを確証した(pp. 4ff)。すべての証言の核心は、毒性の高いディーゼルの排気ガスが、車に閉じこめられていた人々を殺したという話である。(一酸化炭素ガスには毒性があるが、ディーゼル排気ガスは二酸化炭素のために毒性がないために)この話は虚偽であるので、それ以外の証人の証言すべてが当然疑わしい。

※ KGBが結成されたのは1954年である。したがってKGBがガス車を使ったということは戦前の1930年代から最低でも20年近く使われていたということになる。

 「弁護側の主張はこれくらいだな。

そもそも物証がなくて検証不可能な殺人事件を無理に検証しようとするのだからネタ不足は避けられん。

すでに言ったが、イスラエルの法廷ですらディーゼル・ガス室の立証は不可能だと結論付けている

ディーゼル・ガス室についてはこれ以上検証する必要があるとは思えん」

 「検察側は他に何か?」

 「……ディーゼルのガス室の実物はあるらしい。

これがソースだ」

 参考資料:対抗言論のページ ガス室論争

(アドレス:ttp://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/Points2/Stove/Stove205.html

西岡さんは[aml 15475]で

「ここで論じている「ディーゼル・ガス室」に至っては、その「実物」(とされる物)すら無いのではありませんか。」

といっておられます。 しかし少なくともガス車については、第二次大戦末期にドイツからソ連軍が捕獲したものが、最低でも2台あります。その写真は公開されています。おそらく、その試用試験もなされているので、その記録は(残っているなら)やがて明らかにされるはずです。そうしたときの言い訳をいまからきちんと考えておくべきでしょうね。写真がどこで公開されているかは、西岡さんが探してください。

 「なにこれ?」

 「なにこれと言われても……

ガス室があるというソースだが……」

 「だってこれって、ガス車があるってソースでしょ?

ガス車ならさっきソフィアさんが提示した写真がたくさんあるじゃん。

しかもこのソースじゃディーゼルの殺人用ガス車かどうかもわかんないわ。

運搬用自動車のガス車なら50万両もあるわけでしょ。

そのうえ『写真がある』と言ってるのに『自分で探せ』っていうのは『インチキです』と言っているようなものじゃない。

もっとマシなソースはないの?」

 「……なかなか手厳しい意見だな。ルクス」

 「手厳しいのかなぁ?

アルクのソースって、ヨボどもの勝利宣言とレベル的には変わらないような気がするけど」

 「ヨボ?」

 「半島人の方々のことですよ。

挨拶が『ヨボセヨー』というところからついたあだ名です」

 「ふーん」

 「で、検察側の最後のソースも証拠能力ゼロとなったわけだが―――」

 「大尉、なぜ眼鏡を……?」

 「ん? なあに、読者サービスだ」

 (……誰が喜ぶってんだ? んなことして)

 「さて、では結論ですが……」

 「……」

 「……」

 「まあ、保留としておきましょうか。

読者が判断すればいいだけの話ですし、次へいきましょう」

 「またこのパターンか」

 「仕方ありませよ。

最終回にしたらわたしたちの出番がなくなってしまいますし」

 「……それもそうだな」

 「では休廷です」