「なんとアウシュヴィッツが絶滅収容所だったという事実を覆す新資料が発見されました(w」
「別に発見されたワケじゃないだろ」
「っつーか、その『新たな資料が発見された』っていう説明の仕方はまるで某国の新聞みたいだからやめれ」
「ふふ。そんなにじー、と見つめないでくださいっ。照れちゃいます。てへっ」
「……」
「そんなワケでネットサーフィンで拾った画像がたまってきたので、それっぽい画像をうpしておきますね。
基本的にアウシュヴィッツIの写真なんで、施設の位置はこちらで確認してください。
ただし、出典がなかったりあいまいだったり、画像そのものが不鮮明で証拠としては使い物にならないのが多いですが、詳細は調査中ということでよろしくお願いします」
●アウシュヴィッツを訪問する国際赤十字委員会(ICRC)
参考資料:「Lets stop with the Auschwitz lies」より
Supposedly the most dreaded of German camps, Auschwitz was repeatedly visited by Red Cross inspection teams who were allowed to speak to prisoner representatives alone,in order to hear first-hand of any mistreatment, chicanery, interruption of mail and parcel delivery, health concerns, food and ration matters etc. Visits were routine
No such visits took place - ever! - to Soviet Gulag camps
意訳: アウシュヴィッツには日常的に赤十字が訪問し、物資の輸送はもちろん、囚人との会話も許されていた。しかしソ連の収容所ではそんなことはまったくなかった。
●アウシュヴィッツ収容所内の歯医者とナース(左)、看護婦さん(中央)、難しいケースを扱ったベルリンの有名な医師カール・クラオベルク博士(Dr. Carl Clauberg)(右)
参考資料:「Lets stop with the Auschwitz lies」より
Auschwitz, the supposed "death camp", had many
facilities amongst which were;
* Camp dental facilities,,attended by camp inmate dentists and
nurses to deal with the inmates' dental problems - before the war
there 43% of Germany's dentists were Jewish -
意訳: アウシュヴィッツは「死(?)の収容所」の割には多くの施設がある。歯医者と看護婦がいる歯科医病院がそれである。戦前のドイツでは歯医者の43%がユダヤ人だった。
●アウシュヴィッツ?Tのキャンプオーケストラ
↑ 最大16以上のキャンプオーケストラ
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
↑ ライブも可能なキャンプ劇場(左)
囚人が作成した音楽プログラム(右)
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
↑ A
camp cinema - where every week different, mainly
cultural and non-political films were shown
意訳:キャンプ映画館では毎週違った内容の文化的、非政治的なフィルムが見れた。
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
●アウシュヴィッツ?T図書館
↑ 図書館の外観(左)
図書館内部(右)
アウシュヴィッツの図書は4000〜5000冊の本を借りることができた。
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
●アウシュヴィッツ宗教施設
Camp religious facilities made available on a
rotating basis to every denomination for religious services -
意訳:順番で様々な宗派の宗教儀式に使われた。
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
※ 手元の資料ではこの施設が収容所内のどの位置にあるのか確認できなかった(ダメじゃん)。ただ今調査中である。
●アウシュヴィッツの犠牲者数の変化 400万人 → 150万人(250万人はどこへ?)
↑ 1989年に取り外された石碑 撮影1988年(左)
その後に設置された石碑 撮影2001年(右)
http://www.air-photo.com/english/memo.html
より
※ この石碑はビルケナウのクレマIIとクレマIIIの間に設置されている。詳しい位置はこちら(Iの位置)
●アウシュヴィッツ収容所のクーポン券
↑ クーポン券
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
※ ここでも述べているが、アウシュヴィッツ内ではクーポン券が利用できるシステムになっていて、より多く働いた者にはクーポン券が与えられた。
それらはキャンプ・バーでお菓子やアイスクリーム、化粧品などと交換できた。
●アウシュヴィッツ苦情オフィス
↑ 囚人はこの部屋で待遇に関する苦情を述べることが義務づけられていた。
それは囚人の待遇を向上させることで収容所の生産力を上げるためのナチス全体の政策だったのである。
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
●女性キャンプセクションの女性スタッフ
↑ アウシュヴィッツの女性セクション(部署)の担当には女性のスタッフが当たった。
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
●アウシュヴィッツの新生児
↑ アウシュヴィッツでは囚人同士の結婚も出産も許されていた。
記録によれば3000人が生まれたそうである(詳細は現在調査中)
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
●アウシュヴィッツの通貨
↑ アウシュヴィッツや他の収容所ではクーポン券だけでなく、紙幣も流通していた。
紙幣の流通状況については現在調査中。
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
右の画像の出典はここによると「The
Shekel, Vol. XVI, No. 2, March-April 1983, p. 43.)」
●アウシュヴィッツは世界最高水準の合成ゴムの工場だった
↑ ドイツの合成ゴム生産技術は世界一ィィィィイイイイ!!!
「Lets stop with the Auschwitz lies」より
●アウシュヴィッツ・ブロック20キャンプ病院の医療記録
↑ アウシュヴィッツ博物館にあるオリジナルの資料。
囚人名ソロモン・ラダスキー No.128232
http://www.holocaustsurvivors.org/cgi-bin/data.show.pl?di=record&da=photos&ke=92 より
●囚人にパンを配る女性看護兵
↑ ワルシャワからアウシュヴィッツに移送される囚人にパンを配る女性看護兵。
1944年8月、ワルシャワ蜂起で逮捕された1万3千人はアウシュヴィッツに移送されることになった。
その後の1945年1月、ソ連軍が侵攻してきたため602名の女性や子供がベルリンに5回にかけて輸送された。
この輸送は任意制だったのでソ連軍が到着したとき294人の囚人がアウシュヴィッツに残っていた。
「というわけで使い道のない資料をうpしてみましたー」
「ホントに使い道がない資料ばっかりだな」
「であであー しーゆー♪」