「ナチス・ドイツによる『ユダヤ人絶滅計画』は命令書が一切存在しない。
これはホロコーストがあったと唱える歴史家にとっては長年の頭痛の種だった。
連合軍はドイツ軍がそのまま残した大量の書類を押収し、軍事面・経済面で第二次大戦中のドイツがどんな状態にあったのか非常に詳しく調べることができた。
だが、ホロコーストに関する命令書はまったく存在しなかった。
現在、ホロコーストがあったと唱える歴史家も、命令書が存在しないことは異論がない。
ないものはないのだ。あったら見せてみろ。そう言われてしまえば反論することができない。
では彼らは何を根拠に絶滅計画があったと言っているのだろうか。
それはコード言語だ。
命令書には『ユダヤ人を絶滅させるために毒ガスで殺せ』とはっきり書いてあるようなものは存在しないが、暗号になっていてそれを意味している書類なら存在する、という主張をしているのだ。
Vernichtung(根絶)、Ausrottung(絶滅)、Sonderbehandlung(特別措置)、Sonderaktion(特別行動)、Endlösung der Judenfrage(ユダヤ人問題の最終解決)などがそれに当たる。
しかし、ドイツ軍の暗号はすべて解読されているため、これは非常に苦しい言い訳となる。
ドイツ軍の暗号解読の専門家はこれらの単語を見ても何のことかさっぱりわからないだろう。
わたしはこれは絶滅計画のコード言語ではないと主張する。
ではこれが絶滅計画のコード言語ではないとするなら、これらは一体何なのか?という点が問題となる。
今回はそれを示すことにしよう。」
「これは総統ヒトラーや親衛隊長官ヒムラーの演説で使用された単語だ。
絶滅計画の証拠としてこの単語が提示されることがあるが、わたしは演説はソースにならないと思う。
演説だけで絶滅計画が成り立つというのは理解に苦しむ。
演説してる本人が興奮して過激な単語を口走っただけで絶滅計画が成り立つわけがない。
口喧嘩で相手に『死ね!』と言ってもそれは『物理的に殺害する意思があった』とは言い切れないだろう。
実際に包丁でも振り回し『死ね!』と叫びながら襲い掛かるくらいじゃないと殺害の意思があったとは断定できない。
当たり前の話だ。
しかし、それでもこの『根絶』や『絶滅』の単語にこだわり続け、それが修正主義のアキレス腱と言っている人がいるが、演説はソースにならないのだからアキレス腱になるわけがないだろう。
彼らが必死なのは、こういう演説や証言くらいしか証拠になりそうなネタがないからだ。
では、第三帝国の政治指導者たちがどんな文脈でこの単語を使ったのかを見てみよう。
このVernichtung(根絶)、Ausrottung(絶滅)、という単語は多くの場合、物理的除去、すなわち、殺害をさしている。
ただし、例外もある。
『Vernichtung(根絶)』は、たんに社会的・職業的な意味合いで使われ、金銭的土台が壊されてしまうこと、友人の社会的ネットワークが壊されてしまうことをさしている。
例えば、スポーツの中での『vernichtende Niederlage(敗者の根絶)』は、負けたチームの選手が殺されてしまうことを意味しているわけではない。
『Ausrottung(絶滅)』の方が曖昧さは少ないが、それでも、すべて殺害を意味しているわけではない。
だから文の前後を読んでみないと『物理的な絶滅』を意味しているかどうかはわからない。
たとえば1941年まで総統代理であったルドルフ・ヘスは、1935年5月14日、ストックホルムでこう演説している。
なお、このルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツの所長とは別人だ」
1935年5月14日 ストックホルムにてルドルフ・ヘスの演説
「民族社会主義の法律は、外国からの[ユダヤ人からの]干渉に、修正的な措置という手段で対抗している。修正的措置というのは、例えばユダヤ人は民族社会主義ドイツでは無慈悲に絶滅されているわけではないという[事実が]、プロイセンだけでも、33500人のユダヤ人が工業・手工業で、98900人のユダヤ人が商業・交通で活動しているという事実によって、さらに、ユダヤ人はドイツの全人口の1%にすぎないのに対して、弁護士の17.5%がユダヤ人であり、ベルリンでは、非アーリア系医師のほぼ50%が依然として社会安全システムに関与することを認められているという事実によって立証されているからである。」
「ここで使われている絶滅する(ausrotten)なる単語が、殺人の意味で使われているのではないのは明らかだ。
1935年の時点で、ユダヤ人すべてもしくはその一部を第三帝国は無慈悲に殺戮していると非難している人は誰もいない。
文を読めば、この場合の『絶滅』は『影響力を排除する』ことを意味していることがわかる。
1933年3月24日にユダヤがドイツに宣戦布告してから、ナチスはドイツ国内におけるユダヤ人の影響力を排除しようと様々な法律を作ったが、それから2年も経っているのにユダヤ人の影響力は依然として非常に強かった。
ドイツに宣戦布告して国際ボイコット運動をしている連中が弁護士の17.5%を占めているというのは、ドイツ人からすればなんとかしなければならない状況だったのだ。
これが後のニュルンベルグ法の制定と、ユダヤ人のドイツ帰化につながっていく。
ドイツのユダヤ人はそのままでは失業するしかなかったので、書類を誤魔化してドイツに帰化することになった。
米兵は戦時中に反ドイツ映画を見ていたそうだが、ドイツ人は反米・反ユダヤ映画を見たことがない人もいるそうだ。
それは戦争が始まる頃にはユダヤ人はドイツ社会に対して影響力をほとんど持っていなかったからだ」
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
L:私にとっては、犯人の自白の方が、説得力があるように思えるのですが。
R:その問題から検証を始めましょう。「犯人」の自白をまず検証しましょう。ホロコースト正史派の歴史家たちは民族社会主義の指導者たちの証言をホロコーストの証拠として引用してきました。その証言を紹介する前に、いくつかのドイツ語の単語の意味を明確にしておかなくてはなりません。民族社会主義の指導者たちが「Vernichtung(根絶)」とか「Ausrottung(絶滅)」という単語を使うとき、何を意味していたのかということです。現代ドイツ語辞典を参照すれば、明確に見えます。多くの場合、物理的除去、すなわち、殺害をさしています。ただし、例外もあります。「Vernichtung(根絶)」は、たんに社会的・職業的な意味合いで使われ、金銭的土台が壊されてしまうこと、友人の社会的ネットワークが壊されてしまうことをさしています。例えば、スポーツの中での「vernichtende Niederlage(敗者の根絶)」は、負けたチームの選手が殺されてしまうことを意味しているわけではありません。「Ausrottung(絶滅)」の方が曖昧さは少ないのですが、それでも、すべて殺害を意味しているわけではないのです。
1920年代と1930年代初頭、のちのドイツの政治的指導者となる民族社会主義の指導者たちは、永遠に続く国内戦という雰囲気の中に政治的に巻き込まれていました。この闘争に関与した急進政党が使った言語は、煽情的で暴力的でした。熱くなっているときに語られた単語を文字通りに受け取るべきではありません。このことに留意しておく必要があります。
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
1. 1941年まで総統代理であったルドルフ・ヘスは、1935年5月14日、ストックホルムでこう演説しています[1]。
「民族社会主義の法律は、外国からの[ユダヤ人からの]干渉に、修正的な措置という手段で対抗している。
修正的措置というのは、例えばユダヤ人は民族社会主義ドイツでは無慈悲に絶滅されているわけではないという[事実が]、プロイセンだけでも、33500人のユダヤ人が工業・手工業で、98900人のユダヤ人が商業・交通で活動しているという事実によって、さらに、ユダヤ人はドイツの全人口の1%にすぎないのに対して、弁護士の17.5%がユダヤ人であり、ベルリンでは、非アーリア系医師のほぼ50%が依然として社会安全システムに関与することを認められているという事実によって立証されているからである。」
ここで使われている絶滅する(ausrotten)なる単語が、殺人の意味で使われているのではないのは明らかです。1935年の時点で、ユダヤ人すべてもしくはその一部を第三帝国は無慈悲に殺戮していると非難している人は誰もいなかったからです。第三帝国はユダヤ人を物理的に絶滅していたとの憶測は、この時点ではまったく愚かなことでしょう。ヒトラーに次ぐナンバー・ツーが、演説というかたちをとって、ユダヤ人の部分的物理的絶滅を否定するなどということは考えられないからです。ヘスの用語法は単語の社会的意味合いの中で解釈しなくてはなりません。すなわち、民族社会主義者は(無慈悲に)あらゆる手段を使ってもドイツにおけるユダヤ人の影響力を依然として排除することができていない、むしろ、穏健な強制手段を使って、ユダヤ人の影響力を修正・抑制し始めたにすぎないというのです。この抑制は、ユダヤ人の殺戮によってではなく、彼らに転職や移住を強いることで実行されているというのです。
「ナチの副総統の演説でも『根絶』は言葉どおりに意味しているとは限らない。これはヒトラーも同じだ。
ヒトラーは、1936年8月の四カ年計画に関する覚書の中で、『ドイツ国防軍とドイツ経済は4年間で対ソ戦の準備を整えなくてはならない、もしも、ソ連がドイツを征服するようなことがあれば、それは、ドイツ国民の根絶を意味するであろう』と述べている。
これはヒトラーが『ソ連軍による8000万人のドイツ人の物理的絶滅』を意味して言っているわけじゃないだろ。
ドイツが軍事的・政治的に独立国ではなくなりソ連の衛生国に成り下がるということを意味している。
また、この4年間で独ソ戦の準備というのは普通の防衛準備であって、ソ連侵攻バルバロッサ作戦のことではない。
バルバロッサ作戦はソ連がドイツを攻撃する準備を整えていることを察知して行われた予防戦争だからだ」
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
ヒトラーは、1936年8月の四カ年計画に関する覚書の中で、ドイツ国防軍とドイツ経済は4年間で対ソ戦の準備を整えなくてはならない、もしも、ソ連がドイツを征服するようなことがあれば、それは、ドイツ国民の根絶を意味するであろうと述べています[2]。もちろん、ヒトラーは、ソ連が8000万人のドイツ人を殺戮してしまうと言っているわけではありません。ドイツは、独立した、政治的に強力な要素、文化的に強力な要素としては、存在しなくなってしまうということを述べているのです。
参考資料:独ソ戦の歴史的修正 ドイツとロシアの歴史家論争 著D.マイケルズ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/michaels_01.htm)
バルバロッサ作戦第4ヶ月目の終わり頃、すでにドイツ経済は悲鳴を上げていた。軍需生産の責任者フリッツ・トットは、休戦の締結をヒトラーに進言している。ドイツ軍は、燃料不足のために、大規模な戦車作戦を遂行できなくなっていた。ドイツの機甲部隊は、戦車の数が限られていたために、予測しえない緊急事態に備えて長い戦線をカバーしなくてはならず、そのことがまた、燃料不足をもたらした。(大規模な電撃戦は、敵軍を広範囲に包囲して、投降に追い込むことができる。その際、戦車はある地点からすぐに別の地点に移動し、また、すぐに戻ってくることで、広範囲な包囲網を閉じなくてはならなかった。)
参考資料:ホロコースト修正主義とその政治的帰結 著:J.グラーフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/holocaust_revisionism/012.htm)
何が起ったのであろうか。1939年、ドイツ・ポーランド戦役がはじまると、大量のポーランド系ユダヤ人が西から東に移動した。1941年、ドイツがロシアに侵攻すると(ロシアの軍事専門家ヴィクトル・スヴォーロフその他多くの研究者は、これが予防戦争であったことを立証している。同じ年にドイツ攻撃を計画していたスターリンは、大量の兵力と重火器を国境付近に集中していたからである)、ソ連系ユダヤ人の大半が疎開し、ドイツの支配下には入らなかった。ヒルバーグによると、40%ほどのユダヤ人が、ドイツ国防軍によって征服されることになる地域から東に移動した。サニングは80%というはるかに高い移住割合をあげているが、彼の典拠資料は、信用できないソ連系ユダヤ人宣伝家ダヴィド・ベルゲルソンであるので、この数字は高すぎるであろう。
参考資料:オットー・レーマー少将は語る
(アドレス:http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/revisionist/remer_01.htm)
Q:ロシア人たちは虐待されなければ、ドイツ人と戦わなかったでしょうか?
A:ウクライナ人やカフカース地方の人々はわれわれの側に立って戦おうとしましたが、われわれはそれを活用できませんでした。十分な武器がなかったからです。戦争では、理論的にはこうすればよかったという点が多々ありますが、実際には、実行できないことも多いのです。アラブ系の人々も自分たちの解放を求めて、われわれに武器を要求しました。スペインの指導者フランコも、参戦の条件として武器を要求しましたが、われわれ自身にも武器は不足していたのです。ドイツの軍需産業計画は、対ソ戦の進行まで見通していませんでした。われわれは3260両の戦車から始めました。それがすべてでした。しかし、ソ連軍は10000両を持っていたのです。当時、ドイツの戦車生産は月35両でした。想像できますか!月1000両という頂点に達したのはやっと1944年10月のことでした。ドイツの戦車生産は1941年の月35両から、1944年末の月1000両にまで上昇しました。これほどの相違があったのです。これこそ、われわれが世界戦争など軍事的に準備していなかった証拠です。
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
3. 1938年11月10日、彼は民族社会主義者のメディアに、ドイツの知識人階級を根絶する必要があると述べています[3]。これも、知識人の物理的絶滅ではなく、その影響力の排除を意味しているにすぎません。
4. 前に引用した1939年1月30日の国会演説の数日前、ヒトラーはチェコ外相と会談しています。その中で、ヒトラーは、チェコの自由主義的なユダヤ政策を批判し、自分の政府のユダヤ政策に触れて、「ドイツでは、彼らは根絶されている」と述べています。ユダヤ人の物理的絶滅などはこの当時は行なわれていませんでしたので、物理的絶滅という意味で使われているのではないことは明らかです[4]。
「ヒトラーの演説で「絶滅」を文字通りの「物理的消滅」と受け取ってしまうと様々な矛盾が生じることが非常に多い。
まだユダヤ人絶滅計画がはじまってないのに、『根絶されている』とか現在形で話していることになる。
当時、『影響力を排除する』とか『国外追放・失職』いう意味でナチスが用いた『根絶』は他にもいくつかある。
さて、ホロコースト肯定派が絶滅計画の証拠としてあげている1939年1月30日、すなわち開戦の7ヶ月前のヒトラー演説を検証してみよう。
1939年1月30日 ヒトラー演説
「今日、私は今一度預言者となる。もしも、ヨーロッパ内外のユダヤ国際金融資本が、民族を今一度戦争に引き込むことに成功するとすれば、その結果は全世界のボリシェヴィキ化すなわちユダヤ民族の勝利ではなく、ヨーロッパにおけるユダヤ人種の絶滅となるであろう。
今のところ非ユダヤ諸民族は宣伝手段をもっていないが、民族社会主義ドイツとファシストのイタリアには、多くの民族が本能的には気がついているが、十分には考え抜いていない問題の本質について、必要であれば、全世界を啓蒙することのできる組織がある。」
「この演説はしばし絶滅計画のソースとして使われる。
だがそのとき用いられるのはいつも演説の前半だけだ。後半は都合が悪いのでカットされる。
例えばニツコーだ。ニツコーはこの演説をソースとしているが後半をカットしている。
この演説にはヒトラーの世界観が凝縮されている。
『ユダヤ人が国際金融資本を牛耳っており、ボリシェヴィズムの黒幕である、ユダヤ人は、必要であれば大戦争にうったえてでも、全世界を金融的・政治的に支配したがっている』ということだ。
そして、
『自分ヒトラーこそが、これを防止し、ユダヤ人のくびきへの従属を防ぐために、ユダヤ人種を絶滅する推進力である。その絶滅する手段は人々に啓蒙(=新しい知識を与え、教え導くこと)である』
と言っている。人々に新しい知識を与えて教え導くことでは物理的な絶滅はできない。
だから、これはユダヤ人が危険だということを訴えて社会的な影響力を排除するという意味の演説なのだ」
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
まず、しばしば引用される、1939年1月30日、すなわち開戦の7ヶ月前のヒトラー演説を検証しましょう[7]。
「今日、私は今一度預言者となる。もしも、ヨーロッパ内外のユダヤ国際金融資本が、民族を今一度戦争に引き込むことに成功するとすれば、その結果は全世界のボリシェヴィキ化すなわちユダヤ民族の勝利ではなく、ヨーロッパにおけるユダヤ人種の絶滅となるであろう。」
ここには、ヒトラーの世界観が凝縮されています。すなわち、ユダヤ人が国際金融資本を牛耳っており、ボリシェヴィズムの黒幕である、ユダヤ人は、必要であれば大戦争にうったえてでも、全世界を金融的・政治的に支配したがっているというのです。そして、自分ヒトラーこそが、これを防止し、ユダヤ人のくびきへの従属を防ぐために、ユダヤ人種を絶滅する推進力であるというのです。
しかし、彼の演説は、ユダヤ人の物理的存在の絶滅をうったえていたのでしょうか、それとも、たんにユダヤ人の政治的・社会的影響力の排除をうったえていたのでしょうか? この演説の続きを引用すれば、明らかとなります。もっとも、ホロコースト正史派の歴史家たちはこの部分をいつも削ってきたのですが。「今のところ非ユダヤ諸民族は宣伝手段をもっていないが、民族社会主義ドイツとファシストのイタリアには、多くの民族が本能的には気がついているが、十分には考え抜いていない問題の本質について、必要であれば、全世界を啓蒙することのできる組織がある。」
ご覧のとおり、ヒトラーは、ユダヤ人の邪悪な計画と振る舞いについて、全世界を啓蒙することで、ユダヤ人を絶滅しようとしていたのです。イスラエルの歴史家イェフダ・バウアーでさえも、ヒトラーがこの演説の中で物理的殺人をうったえていたという考え方に反対しています。彼は、この一文は、漠然とした、過度に誇張された脅迫であり、演説のそれ以外の部分とは好対照であると強調しています。この演説は、ルーズベルトのいわゆる「検疫演説」の中のボイコットの脅迫に対抗したものでした。ルーズベルトはヒトラーのドイツを危険なバクテリアに感染した国と呼び、それを検疫状態におくべきである、すなわち、他の国々はドイツをボイコットし、付き合いを避けるべきであると主張したのです。これに対するヒトラーの演説は、ユダヤ人の平和的移住・再定住という自分の政策を実行することについて、詳しく説明・解説したものでした。
「1939年1月30日のヒトラー演説が絶滅計画のソースになるという主張はイスラエルのホロコースト博物館の歴史観イェフ・バウアーも否定している。
理由は全文を読めばこれが『影響力の排除』という意味だとわかるからだ。
この一文は、漠然とした、過度に誇張された脅迫であり、演説のそれ以外の部分とは好対照であると強調している。
この演説は、ルーズベルト米大統領のいわゆる『検疫演説』の中のボイコットの脅迫に対抗したものだった。
ルーズベルトはヒトラーのドイツを危険なバクテリアに感染した国と呼び、それを検疫状態におくべきである、すなわち、他の国々はドイツをボイコットし、付き合いを避けるべきであると主張した。
これに対するヒトラーの演説は、ユダヤ人の平和的移住・再定住という自分の政策を実行することについて、詳しく説明・解説したものだった。
さらにバウアーは開戦後の1940年5月の文書資料を反論の資料としてあげている。
その中で、ヒムラーは、『民族の物理的絶滅というボリシェヴィキ的な方法をドイツにはふさわしくない方法として』しりぞけているが、ヒトラーは、この文書の端に、『まったく正しい』とコメントしている。
つまり、アドルフ・ヒトラー総統、ハインリヒ・ヒムラー親衛隊長官というナチスの最高指導者二人が『ユダヤ人の物理的絶滅』を文書で却下しているのだ」
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
ご覧のとおり、ヒトラーは、ユダヤ人の邪悪な計画と振る舞いについて、全世界を啓蒙することで、ユダヤ人を絶滅しようとしていたのです。イスラエルの歴史家イェフダ・バウアーでさえも、ヒトラーがこの演説の中で物理的殺人をうったえていたという考え方に反対しています。彼は、この一文は、漠然とした、過度に誇張された脅迫であり、演説のそれ以外の部分とは好対照であると強調しています。この演説は、ルーズベルトのいわゆる「検疫演説」の中のボイコットの脅迫に対抗したものでした。ルーズベルトはヒトラーのドイツを危険なバクテリアに感染した国と呼び、それを検疫状態におくべきである、すなわち、他の国々はドイツをボイコットし、付き合いを避けるべきであると主張したのです。これに対するヒトラーの演説は、ユダヤ人の平和的移住・再定住という自分の政策を実行することについて、詳しく説明・解説したものでした。
L:しかし、この脅迫は、いずれにしても、開戦の可能性を想定したものでしたね。
R:そのとおりです。しかし、ここでヒトラーが殺戮を示唆していたと想定したとしても、ルーズベルトの脅迫に対抗した、過度の誇張された脅迫を、その後に犯されたとされる犯罪の証拠として利用できるわけではありません。すでにお話したように、そのあとの一文は、世界はユダヤ人に関して啓蒙されるべきであると論じているにすぎないからです。バウアー自身が、ヒトラーが殺戮の意図を抱いていたという説に証拠をあげて反駁しています。その証拠とは、開戦後の1940年5月の文書資料なのですが、その中で、ヒムラーは、「民族の物理的絶滅というボリシェヴィキ的な方法をドイツにはふさわしくない方法として」しりぞけているのですが、ヒトラーは、この文書の端に、「まったく正しい」とコメントしているのです[8]。
「ヒトラーは1941年1月30日、1942年1月30日、2月24日、9月30日、11月8日、1943年2月24日の演説でも、たびたび『絶滅』や『根絶』を『影響力の排除』という意味で使っている。
それにヒトラー演説を絶滅計画の証拠としてしまったら、絶滅計画は極秘だったという連合軍の公式発表と矛盾してしまう」
1941年1月30日 ヒトラー演説
「1939年9月1日[正しくは、1939年1月30日]のドイツ国会で行なった警告、すなわち、ユダヤ民族が世界を全面戦争に駆り立てるならば、ヨーロッパにおけるユダヤ民族の役割は終焉するであろうという警告を今一度繰り返しておかなくてはならない。」
1942年9月30日 ヒトラー演説
もしもユダヤ民族がヨーロッパのアーリア諸民族を絶滅せんがために再度世界大戦をくわだてたなら、絶滅させられるのはアーリア民族ではなく、ユダヤ民族であるだろう。
1942年11月8日 ヒトラー演説
諸君は、私が帝国議会で以下のように宣言したことを想起するだろう。もし、ユダヤ民族が、ヨーロッパ諸民族を絶滅させるために世界大戦を引き起こすことが可能だと想像したとしたら、その結果は、ヨーロッパ諸民族の絶滅ではなく、ヨーロッパのユダヤ民族の絶滅であろう。聴衆はいつも、私が予言者を気取っていると笑ったものだった。当時私を笑った聴衆の中の、数え切れないほどの人々は、今日もはや笑ってはいない。そして、今なお笑っている連中は、おそらくは、今よりただちに笑うことをやめることだろう。
「ニツコーがあげている『根絶』のソースではナチのポーランド総督だったハンス・フランクの演説があるな。
ニツコーが引用しているのは下で示した演説の『しかし〜だろう。』の部分だけで、その前後は引用していない。
一部を引用して全体の意味を歪曲しているのだ。
この演説では思いっきり『大規模なユダヤ人の移住』と言ってる。
そしてニツコーが引用した部分を見てみるとこの大規模なユダヤ人の移住先がロシアだとわかる。
東部地区の再定住村落と書いてあるからな。
また『射殺することも毒殺することもできない』と言っている。
『殺せない』とはっきり言っているではないか。
ユダヤ人は射殺されることもガス処刑されることもないのだ。
つまり、この演説の『根絶』とは『ユダヤ人をロシアに強制的に定住させてドイツ社会への影響力を無くす』という意味に他ならない。
この演説を全部引用すると、それが明らかになってしまう。
だからニツコーは一部しか引用しない。典型的なサヨクの手口だ」
参考資料:ナチのポーランド総督だったハンス・フランクの演説
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
「もし、ヨーロッパのユダヤ民族が戦争を生き残り、その一方で、われわれがヨーロッパの防衛のために最良の血を犠牲にしたとすれば、この戦争は部分的にしか成功していないであろう。それゆえ、基本的に、ユダヤ人については、私は、彼らは消えさるべきであると簡単に考えている。彼らは行かなくてはならないのである。私はユダヤ人の東部地区への移送のための交渉を始めている。1月、ベルリン[ヴァンゼー]でこの件に関する大きな会議があるので、国務秘書官ビューラー博士をそこに派遣するつもりである。この会議の主催者は、国家保安中央本部の親衛隊上級集団長ハイドリヒである。いずれにせよ、大規模なユダヤ人の移住が始められる。
しかし、ユダヤ人をいかにすべきだろうか? 連中を東部地区の再定住村落に定住させられると思うか? われわれはベルリンで次のように言われた。悩むことなどあるか? 東部地区においても帝国総督領[占領下のウクライナ]においても、われわれが連中に出来ることは何もない。だから、勝手に連中を消してしまえ、と。紳士諸君、私は諸君に、いかなる慈悲の感情も捨て去るよう求めたい。われわれはユダヤ人を根絶せねばならない。帝国の機構を全体としてまっとうするために、連中を見つけ出し根絶可能なところでならどこででも。350万人ものユダヤ人を、射殺することも毒殺することもできない。しかし、それでもなおわれわれは、なんとかして彼らを根絶せしめる処置をとることが可能だろう。
総督府は帝国としてユダヤ人から解放されなくてはならない。いつどこでこのようなことは行なわれるのかは、この地域に設立される機関の問題であり、その管轄権限については、しかるべきときに通知するであろう。」
「最後に、1943年10月4日のヒムラー演説を検討するとしよう。
この演説はドイツ人の親衛隊高官・警察指導者に対して行われている。
ニツコーも1943年10月4日の演説をソースにしている」
参考資料:1942年11月23日のバッド・トルツでのヒムラー演説
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
「私がいま言及しているのは、ユダヤ人の疎開、ユダヤ民族の絶滅に関してである。それは、簡単に言われていることの一つである。党員だったら、『ユダヤ民族は絶滅されており、それはわれわれの計画の一部である。われわれはユダヤ人の消去(Ausschaltung)、絶滅を実行している』と言うであろう。だが、やがてこの8000万の善良なドイツ人は、おのおのが礼儀正しいユダヤ人をもっていることに気づくだろう。明らかにほかのユダヤ人はブタだが、自分の知っているユダヤ人は一流だ、と言うかもしれない。しかし、こう言った人のうち誰ひとりとしてその姿勢を貫き通した者はいない。ほとんどの諸君は、100人の死体が並ぶということが、何を意味するか、それが500人、1000人だったらどうか、知ることであろう。そして、この苦しみに耐えながら、人間的な弱さによる例外を無視すれば、道徳的でありつづけることが、われわれをたくましくしてきた。これこそが、かつて書かれたことがなく、今後も書かれることがない、われわれの栄光の歴史の一章なのである。われわれは、もしわれわれが、秘密のサボタージュ主義者、煽動家、醜聞家としてのユダヤ人を、戦争による苦難と収奪とともに、空襲のあいだに、各都市に依然として抱えているとすれば、そのことがどんなにつらいことであるのかを知っているからである。もしも、われわれがドイツ民族の本体の中に依然としてユダヤ人を抱えているとすれば、1916年17年と同じ状況の中にいることになるであろう。
…われわれには、われわれを殺したがっているこの民族を殺すという道徳的権利があったし、わが国の国民に対する義務があった。」
※フィクション小説「シンドラーのリスト」のP.41にはこの演説が載っている。
「この10月4日についてニッコーは録音テープと言っているが、実際はテープではなくニュルンベルグ裁判で提出されたレコード盤だ。
この演説は本当に本物なのかどうか疑問がある。
ニュルンベルクに証拠として提出されたレコードは、いわゆる『シェラック・ディスク』によるものだった。
シェラック・ディスクは20世紀初頭の原始的な録音技術で、『録音針』によってディスクに記録する。
したがって、音質も悪い。
ドイツの家電会社AEGは1939/40年に、テープ録音技術装置の大量生産に成功しているし、ナチの演説は1941年以降はテープで録音していた。
だからドイツがテープに録音した内容をわざわざシェラック・ディスクに録音するというのは不自然だ。
さらにこのヒムラー演説はオリジナルのテープが存在しない。
連合国はドイツのファイルからこのディスクを発見したと言っているが、本来ならばこの不自然な録音のされ方をしたディスクが本物かどうか検証する必要があったはずだ。
だが、検証は行われず証拠として確定してしまっている。
このディスクは本物かどうか疑わしいが、とりあえず本物だとしておこう。
たしかにこの演説ではいたるところに絶滅という単語が出てくる。
しかしヒムラーは他の演説、たとえば1942年11月23日のバッド・トルツの演説ではこの絶滅という単語を『ドイツ以外の地域に再定住されてドイツ社会から影響力が排除される』という意味で使っている。
同じ絶滅計画が実行されていた期間の演説なのに、絶滅の意味が『物理的に絶滅する』の意味では使われていない。
また1943年10月4日の最後では『殺す権利があった』と過去形になっている。
過去形ということは今はないということだ。絶滅計画が実行されているのにそれはおかしい。
1943年10月4日の演説の『絶滅』が『物理的に絶滅する』という意味だったとは言い切れないということだ」
参考資料:1942年11月23日のバッド・トルツでのヒムラー演説
「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題は完全に変化した。総統はかつて国会演説の中で、もしユダヤ民族が、例えばアーリア民族を絶滅させるために、世界戦争の引き金を引くようなことがあれば、絶滅されるのはアーリア民族ではなくユダヤ民族であろうと述べた。ユダヤ人はドイツの外に再定住され、この東部地区で暮らしており、道路建設や鉄道建設に従事している。これは、首尾一貫したプロセスであり、冷酷さ無しに遂行されている。」
参考資料:ホロコースト講義 著ゲルマール・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm)
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/mattogno_05.htm)
L:ヒムラーの演説は録音されなかったのですか?
R:レコード盤に録音された演説の一部がニュルンベルク裁判に提出されました。
L:ということは、ヒムラー演説は録音されていたのですね。
R:レコード盤への録音には背景上の問題点、技術的な問題点があります。まず、ヒムラーが、指導者向けの軍事情勢についての演説のような機密事項の録音を許可していたということが考えにくいからです。技術的な難点もあります。ニュルンベルクに証拠として提出された録音は、いわゆる「シェラック・ディスク」によるものでした。「録音針」によってディスクに記録するのです。これは、20世紀初頭の原始的な録音技術でした。したがって、音質も悪いのです。
L:音声分析には十分な音質ではありませんか?
R:そうでしょうか。いずれにしても、このような分析が行なわれたかどうか知りません。
L:音を真似した可能性もあるということですか?
R:その可能性がまったくないわけではありません。事実、ドイツの家電会社AEGは1939/40年に、テープ録音技術装置の大量生産に成功していますし、この技術はドイツでは燎原の炎のように広がっていきました。
ですから、1940/41年以降、ドイツの指導者の演説はテープ録音によって行なわれるはずです。しかし、ヒムラーの演説のようなものを記録したこの種のテープは一つも発見されていません。
L:連合国はこの当時ドイツの録音技術を知らなかったので、このような録音技術をあつかえなかったのですね。
R:そのとおりです。だから、連合国は、自分たちの知らないテープ録音技術を使いながら、テープから音声記録を作り出さなくてはならなかったことになります。
L:ニュルンベルク裁判のときに、ヒムラー演説を記録したとされるシェラック・ディスクの素性を調査しなかったのですか?
R:検事側は、このディスクをドイツのファイルから発見したと主張しています。すなわち、テープを利用した連合国ではなく、ドイツ側がこのディスクを作成したというのです。しかし、ドイツ側が演説をテープ録音していたとすれば、そこからシェラック・ディスクは作らないでしょう。ですから、このディスクの素性は胡散臭いのです。その他多くの疑わしい文書資料と同様に、この証拠の断片は、その素性が調査されないまま、証拠として確定されているのです。ですから、この録音の素性と信憑性を調査しなくてはならないのです。しかし、このヒムラーの演説がこれまで主張されてきたものと同じであると仮定しても、マットーニョが的確に指摘しているように、1942年11月23日のバッド・トルツでの彼の発言のようなほかの演説や文書資料すべての文脈の中でその意味合いを考察しなくてはならないのです[22]。
「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題は完全に変化した。総統はかつて国会演説の中で、もしユダヤ民族が、例えばアーリア民族を絶滅させるために、世界戦争の引き金を引くようなことがあれば、絶滅されるのはアーリア民族ではなくユダヤ民族であろうと述べた。ユダヤ人はドイツの外に再定住され、この東部地区で暮らしており、道路建設や鉄道建設に従事している。これは、首尾一貫したプロセスであり、冷酷さ無しに遂行されている。」
ですから、第三帝国の指導者の演説や日記は、その全体の文脈の中でだけ正確に解釈できるのです。さらに、民族社会主義の政治的指導者の発言がこれらの指導者の意図を表現していたとしても、そのことは、かならずしも実際に何が起こったのかについての正確な情報を提供しているわけでもありません。
「さて、いくつか『絶滅』『根絶』について検証してきたが最初に言った通り演説はソースにならない。
どれほど過激な単語を連発しても、それを裏付ける物証がないのでは何の証明にもならない。
ナチ支配下のフランスではユダヤ人の4分の3が終戦までフランスに残っていたし、フランスの市民権を持つユダヤ人の90%は移送からはずされていた。
現実に収容所に移送されてないユダヤ人がこれだけいるのだから絶滅計画が成り立つわけがないのだ。
では次に行くとしよう」