レジーナ・バイアレク
レジーナ・バイアレクは1942年7月にアウシュヴィッツに追放されたポーランドのユダヤで、後にベルゲン=ベルゼンに移送された。彼女は英国のベルゲン=ベルゼン見世物裁判に参加し、その裁判に1945年5月26日に自白調書を提出し、その自白調書には瞠目すべき嘘八百が並べられていた(The Making of the Auschwitz Mythの344ページ以降参照):
- アウシュヴィッツに関する一般的な決まり文句の型に従っている彼女は自分はチフスに罹っていたからメンゲレ博士によってガス室送りに選ばれたと主張している。
- 彼女は、貨物自動車に乗せられ、その車は殺人ガス室へ直行する坂道をくだり、そこで彼女とその仲間の罹患者は殺人ガス室の床に乱暴に積み下ろされたと訴えている。実のところ、そのような殺人手続きが可能な建造物はアウシュヴィッツにないのだが。
- 正史が断言するように穴を通してチクロンBの顆粒剤が注がれるのではなく、バイアレクによると殺人ガスが部屋の中央の床にある口からシューという音を立てて部屋へと流された。
- 彼女はその有毒ガスの効果を、人々は「自分たちの手を噛み、激怒し、耳目と口から流血し、顔が青くなり」始めた、と言って表現した。彼女もそうした症状全てを発症したと主張する。その全てが、正史がそうした部屋で使用されたと主張するチクロンB内の有効成分であるシアン化水素の効果では有り得ない。
- 奇跡的にも死ぬ直前にメンゲレ博士がガス殺中で有毒の気塊が充満した殺人ガス室を開け、死にゆく人々でいっぱいの中から彼女の位置を特定し、彼女を部屋からだ出した。
- 被収容者にしてその殺人ガス室での労働者の一員は「ガス爆弾」を窓から投げ入れられることで「収容所内にある大邸宅」の中で殺された。
原文
対訳表
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