「野蛮なナチス」が西洋文明の宝を救ったとき

1944年2月16日イタリアで、米軍は1400年の歴史を誇り、軍事行為禁止区域に指定されていたモンテカシノ修道院を粉微塵に爆破した。ドイツ軍がここに基地を設置したと疑ったからである。後日ドイツ軍は修道院不可侵を守っていたことが証明された。

その上、連合軍の爆撃の道義に欠けることを熟知し、危惧していたドイツ軍は事前に修道院を説得し、爆撃の二ヶ月前、古書や絵画などの美術品をバチカンに避難させることに成功していた。しかしこのことが公けの場で語られることはない。

二ヵ月後に米軍によって粉微塵にされたモンテカシノ修道院の美術品をドイツ軍が避難させるのは容易なわざではなかった。避難はシュレーゲル中佐という美術品愛好家のイニシアチヴで行なわれたが敗走を前に、古書だけでも1200巻を140キロ先のローマに輸送するのは容易ではなかった。

制空権はすでに連合軍にあったために道中輸送車が爆撃されないとも限らない。美術品を保護するケースも不足していたため、早急に中庭に製材場を設けその場でケースも製作した。合計120台のトラックの燃料を確保するのも容易ではなかった。

ようやく無事に美術品の避難が終わったと肩を撫で下ろしたのも束の間、今度は連合軍側がドイツ軍がモンテカシノ修道院の美術品を盗難しているというプロパガンダを拡散しはじめ、シュレーゲル中佐は窮地に立たされた。

モンテカシノ修道院は当時避難民を庇護していたが、ドイツ軍は修道女や避難民を安全な場に移送することにも手を貸した。ローマに護送された修道女達はドイツ人兵士の紳士的態度に感激したという。