Subject:33
コード言語3 Sonderaktion(特別行動)


 「特別行動とはクレーマー日記に出てくる単語だ。

これは逆転裁判Subject6のアウシュヴィッツ収容所のガス殺について クレーマー日記でも出てきた。

特別行動は建物の外で行われるから少なくともガス殺処刑ではない。

ガス殺処刑だったら建物の中で行われるからだ。

では今回は『特別行動』がガス殺でないなら、それに代わる説明を求めなければならない。

戦時中、ヨハン・パウル・クレマーはミュンスター大学医学部教授だった。

そして1942年8月30日から11月18日までアウシュヴィッツ収容所医師代理をつとめ、その間、日記をつけていた。

この日記の項目のうち、いくつかがアウシュヴィッツで大量絶滅が行なわれた証拠としてたびたび利用されてきたし、クレマー自身が1947年のクラクフでのアウシュヴィッツ裁判、1964年のフランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判で、そのように証言してきた。

以下がクレマーの日記からの抜粋となる」

 参考資料:クレーマー日記

(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/453.htm

「伝染病(チフス、マラリア、下痢[ママ])のための、収容所の検疫。」(8月30日)

「午後、シラミの駆除のためのチクロンBを使ったブロックのガス処理。」(9月1日)

「1942年9月2日:今朝の3時、私ははじめて、外で、特別行動に立ち会った。これに比較すると、ダンテの地獄など喜劇のようである。アウシュヴィッツが絶滅の収容所と呼ばれているのはいわれのないことではない。」(9月2日)

「午後、女性収容所(「モスレム」)での特別行動に立ち会った。恐怖の中でもっとも恐ろしいものであった。軍医[4]のチローSS曹長は、われわれは『世界の肛門』にいると話していたが、それももっともである。夕方8時ごろオランダからの特別行動があった。」(9月5日)

「午後8時、ふたたび、外での特別行動。」(9月6日)

「二回目のチフスに対する予防注射、そのあと、夕方、強い副作用(熱)。にもかかわらず、夜、オランダからの特別行動(1600人)。最後のブンカーの前での恐ろしい光景! これは10回目の特別行動であった。(ヘスラー)。」(10月12日)

「この日曜日の朝、湿った冷たい天候の中で、11回目の(オランダからの)特別行動に立ち会った。3名の女性が命を助けてくれと懇願する恐ろしい光景。」(10月18日)

 「クレーマーは『オランダからの特別行動に(bei einer Sonderaktion aus Holland)』という表現を使っている。

これはおそらくオランダ系ユダヤ人の移送を指している用語だと思われる。

そうでなければ、『オランダからのユダヤ人に対する特別行動に(Sonderaktion an Juden aus Holland)』と書いたはずだからだ。

つまり、『特別行動』とは『囚人の移送』のことだと思われる。

移送なら外で行うし、外部から来た囚人には予防注射やシャワーによる消毒・殺菌、チクロンBによる衣服の消毒・殺菌などの防疫処理が行われる。

最後の3人の女性が命乞いをしたというのは、実はアウシュヴィッツだけでなくどこの収容所でもあったことだ。

いきなり裸にされてシャワーを浴びさせられるというのは屈辱的であり、恐怖を感じることは自然な反応だ。

捕虜となった白人米兵も別の収容所でシャワーを浴びさせられたときに、得体の知れないドイツ人の命令におびえていたというから、この3人の女性が同じ反応をしてもまったくおかしい点はない。

だがそれは殺菌・消毒のためであって、ユダヤ人を処刑するためではない。

アウシュヴィッツのSSはユダヤ人を殺そうとはしなかったし、病気死ぬことも望んでいなかったのだ。

以上、特別行動についての説明は終わりだ」