ボリス・ポレヴォイ
ボリス・ニコラエヴィチ・ポレヴォイ(カンポフとしても知られる;1908年3月17日〜1981年7月12日)は主にソヴィエト・ロシアの先進的な新聞紙プラウダに記事を書くソヴィエトの記者だった。彼の仕事はイリヤ・エーレンブルグのものに似ていた:共産主義とソヴィエト連邦を讃え、戦時中のプラウダの公式戦争特派員として敵に関する残虐行為の話を誇張しでっち上げ、それらを有効的に拡散する、という。(更なる詳細はHeddesheimer 2002参照。)
ポレヴォイは破棄されたアウシュヴィッツ収容所を1945年1月27日に占領したソヴィエト軍の中にいた。1945年1月28日と2月2日の彼の最初の2つの報告にある、彼の主張の一部をここに挙げよう(詳細は)Mattogno 2021の294ページ以降参照):
- この収容所の東側には大規模墓地が数百はあり、それぞれに殺人の被害者が数百人も埋められている。実は、かつて恐らく1〜2万人のチフスの犠牲者たちが埋まっていた4つの大規模墓地は収容所の西側に位置している。
- この収容所は長さ約500メートルの火葬棟ひと棟を擁し、それは縦筒型の火葬炉(shaft furnace)を複数備えており、その中で死体複数が8分以内に燃え尽きた。実際の火葬棟の建物は長さ50m程で、炭を燃料とする通常の大きさの火葬炉を備えており、内窯1炉につき1時間以内に死体1体を火葬できた。
- 別のある建物は金属製の床を有し、その中で犠牲者たちは高電圧で殺された。床が開き、感電死体は履帯状の道路に落ち、ゆっくりと縦筒型の火葬炉へ進み、そこで焼かれた;骨は回転式の製粉機を抜け、できた粉末は収容所の庭の費用に使われた。この全ては純粋な虚偽の幻想である。
- 子供を殺す為の特別な移動可能な装置が存在している。教条的な正史派の歴史家でさえこの主張を支持するものを思いつけていない。
正史派の歴史家ロベルト=ヤン・ファン・ペルトはポレヴォイの嘘を正当化しようとして品位を落としながら、「神話の分類」に属するとも認めている(Mattogno 2023b、80〜82ページ)。
原文
対訳表
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