人の肌の電灯の笠

ドイツの戦時収容所で死んだあるいは殺された被収容者から採られたとされる、刺青の彫られた肌を写した写真や映画の場面は無数にある。特に有名なのは、ブーヘンヴァルト収容所の解放後に米国の部隊が記録した映画の場面だ。彼らはそこに1台の机を置き、その上に死んだあるいは殺された被収容者とされる者でできたあらゆる種類の物品を並べた:保存された人間の臓器、机に置く笠、、2つの縮んだ頭、刺青の彫られた肌など。地元の人々は「教育的目的」の為にその机の近くまで歩かされた。これは合州国の心理戦争部署(アイアボッド著、2009年発表参照)によって催された作戦だった。この場面は録画され、後にドイツ人に国中の映画館でこの場面を示す事で更なる「再教育」の為に使われた。ドイツ人がそうした「映像記録」を視聴しない場合、連合国の権力者はその人への食糧配給を止めた、配給は戦後直後は多くの人にとって死活問題だったというのにだ。

Collection of objects allegedly found in Buchenwald Camp
ブーヘンヴァルト収容所の屋外の机の上に終戦時に展示されていた、ブーヘンヴァルト収容所で見つかったとされる物品一式。地元のドイツ市民たちはこの机付近に集まるよう強制され、合州国の役人たちはこれらの物品に関して残虐行為の主張を行った。一番右:電灯と人間の肌で作られたとされる笠。左側には縮んだ頭部が2つある。

この「映像記録」および物品は1946年5月の合州国軍の病理学者の専門的報告と同じく後にダッハウの見世物裁判の間及びブーヘンヴァルト収容所の元所長の妻であるイルゼ・コッホへの諸裁判の間ブーヘンヴァルト収容所の職員に対する証拠として扱われた。彼女は、収容所内で生きている囚人を刺青彫りに選び、肌から作る家具を作る為に殺す指示をしたとされている。

終戦から数年後に親衛隊(SS)判事コンラート・モルゲンが合州国の歴史家ジョン・トーランドに答えた聴取の中で、判事は刺青の彫られた人間の肌を用いたイルゼ・コッホに関する話は根拠のない伝説だと主張した。コンラートは、戦時中にイルゼの夫でありブーヘンヴァルト収容所の元所長でもあったカール=オットー・コッホによって犯された罪を調査している時に独自にコッホ家を捜査していたが、そのような物は何も見つけられなかった。(トーランド著、1976年発表、845ページ以降参照)

詳細な研究の中で、合衆国の主流派の作家アーサー・L・スミスは、合州国によって人間の肌と識別された物品はニュルンベルクにある国際軍事裁判に送られた後に跡形もなく消え失せたと判断した(スミス著、1983年発表、103、138、153、164ページ)。合州国軍のクレイ将軍の証言に拠れば、人の肌の電灯の笠は山羊の肌でできていたと思われるとの事だった(同書、227ページ)。後に見つかるあらゆる他の物品は合成皮革か、動物の革か、織物か、厚紙かでできていたと言われている。

終戦から70年程経ってDNA検査が洗練され、重度の加熱と化学処理を受けて数十年経過した標本から解析が可能になった。ブーヘンヴァルト博物館から法医学病理学者に提供された標本は実のところ人の肌でできていたと判明した。しかしその肌の起源は不明であり、それらの品々のうちどれも刺青入りの肌だと解析されなかった。

この話はどこか無害な背景を持つ。当時イェーナ大学で医学博士号を追及していたその収容所の親衛隊(SS)の職員がいたことが確かなのだ。彼の医学論文は刺青の彫られた肌と犯罪の間の相関性を調査するものだった。(スミス著、1983年発表、127ページ)。この学術論文はイェーナ大学の法医学史の中で65年程後に別の博士論文内で僅かに引用された(ボード著、2007年発表、106ページ以降)。しかし刺青の為に被収容者が殺されたという信頼できる証拠はない。

世界中の博物館で保管されている刺青の彫られた人の肌の普及状況に関する別の博士論文は、世界的に認識された市民権の隆盛前に人の肌がどれだけ広範に使用されたか(そして誤用されたか)に光を当てている(エンジェル著、2013年発表; see also ルドルフ著、2025年発表)。この事実はこの毒々しい話題をより広範な文脈に置く。

ユダヤを含む死んだ被収容者たちの遺体から作られたとされる物品は存在しないということは留意する必要がある。これが起きたと言われる当時――――カール=オットー・コッホが収容所の所長であった当時、つまり1942年8月まで(彼の項参照)――ブーヘンヴァルトは札付きの罪人、政治犯、抵抗勢力の闘士/パルチザンを収容していたが、ユダヤ人を収容してはいなかった。コッホは親衛隊(SS)内の法廷機構によって調査され、最終的に様々な違反によって逮捕された。死んだ被収容者の遺体の利己的利用の噂が1942年終盤にヒムラーの耳に届いた時、彼はその行為を厳格に禁止し、調査を命じた。そのため、仮に被収容者の肌がもし何かに使われたとして、当時でさえそれは忌まわしい犯罪だった。

(詳細はルドルフ著、2023年発表、94〜97ページ;ルドルフ著、2025年発表参照;ハンス・マルサレクの項も参照のこと。)